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2024.10.03 バックワーズ・ベビーカー

こないだ散歩してる時に、前からベビーカーを押してる母親が歩いてきた。今までそんなに深く考えてなかったけど、ベビーカーを押す向きは子供の顔と進行方向が一致するようにするものだと思ってた。

その母親は子供と顔を向き合わせるように、子供側からしたら後ろ向きに進んでいくようにベビーカーを押していた。あれ、ベビーカーの向きの相場ってどっちだったっけか。

たぶん一般的には前向きだろうけど、でも常に子供の顔を見ていたいという親の気持ちも分かる。外の世界に触れている時の子供の新鮮な表情は、目に焼き付けておきたいとも思うだろう。

ただ後ろ向きに体が運ばれていく時のなんかフワフワした感じは、今でこそそれはそれで楽しいけど、子供からしたらそこか不安に感じるものかもしれない。

事実としてその時見かけた子供は、必死にベビーカーから身を乗り出して進行方向を向いていた。母親と顔を向き合わせてはいなかったし、何より俺がビックリしたのだ。ベビーカーの背面(日差し避けの布の部分)から顔を出してこっちを覗いていたのだから。一瞬ギョッとしたよ。

だけどその子供もいずれ「体が後ろ向きに運ばれていくことの旅情・郷愁」に気付くと思うよ。電車のボックスシートに座ったらたまたま行き先に背を向ける位置になった、でも車窓から見える景色が、突然現れて一瞬で視界の向こうへ遠ざかっていく。

その少しのもの悲しさとロードムービー感。追いかけたいけどぐっとこらえて景色を見送る。そういう世界の楽しみ方もあるんだよ、ボウズ。何歳あたりで気づくかな。大学生くらいかな、20年は先の話かな。もしその子が夏休みに青春18きっぷとか買い出したら、俺泣いちゃうかもな。


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7月に遠方の友達に会う集まりがあった。北海道まで行ったのだからかなりの旅情に浸っていた。その帰り、夕方に飛行機から降り立ち、電車に乗り換えて家に帰る時。テキトーに座ったボックスシートの席が後ろ向きだった。

田園風景を眺めながら、会った友達にLINEで送るメッセージを考えていた。3日間の思い出を1つ1つ振り返りながら、ふと見える景色がどんどん遠ざかっていく。

その時間が個人的にグッと来ていた。遠くの方にうっすら見えている風景がだんだん自分に近づいてくるのではなく、背後から現れた突然のワンシーンを目に焼き付ける。人生は想定通りにはいかなくて、突然降ってかかった出来事に乗ってみることの連続。

数奇な縁で知り合い、数奇な経緯で絆が深まり、数奇なタイミングで集まった友。思うようにいかなくて苛立ったライフイベントも多かったけど、怒りで混乱しているだけで、思うようにいかなかったからこそ一生の思い出になった、嬉しい出来事もあったはず。

視界の向こうに遠ざかっていくからこそ、決して逃したくないという気持ちが湧き上がるのだろう。だから時に写真を撮るし、時に日記にしたためる。なぜなら世界は振り返るに値するほど面白いから。過去を振り返る生き方を否定してくる専門家は、残念ながら人生そんなにおもんなかったのかななんて思う。

日々の生活だってそうだ。おそらく人は死に対して背を向けて後ろ歩きをしている。こんなにも人生って先が見えなくて、思い通りにならないもんかねと毎日ボヤいてる。

そんな時こそ電車に乗って進行方向に背を向けて、後ろ歩きの人生も悪くなのかもなと思い出しに行こう。おそらくその母親も、子供の頃から「人生思うようにはいかないよ」という英才教育の最中だったのかもね。

ボウズ、楽しかったかい? 不安だったかい? そりゃそうか、身を乗り出して顔を覗かせてるくらいだったもんね。俺だって今も不安なんだけどね。