2022.06.24 山科にて~見知らぬ子どもの魂の叫び~
ぶらり途中下車の旅に行ってきた。京都府京都市山科区の山科駅で降りた。
この山科というエリアは、京都在住の者としては個人的には謎のエリアだと思ってる。京都駅から東にたった1駅で市内ではあるのだが、行く用事が全くない。
そのくせ湖西線・琵琶湖線・サンダーバード ※ で定期的に通るため、やけに親近感もある。車窓からは何回も景色を見ていたが、降りてみたことはない。この謎のエリアにケリをつけるため、ようやく降りたということだ。
ぶらりを始めて1年弱経つが、始めた当初から選択肢にはあった。月末になる度に忘れてしまっていただけで。今までで一番近い場所ということもあって、9時に着いて11時半にはもう帰ることにした。
駅前の看板には史跡マップがあったから歴史都市だと思ったが、実際に歩いてみるとそうでもなかった。洋菓子店とか幼稚園で欧風な建物をしているのもあった。大きくて目立つ造りをしており、住宅街の中で突然ヨーロッパが顔を覗かせるからビックリする。
あと車窓から見えるやつで、京都薬科大学というのがある。学生が集う学生街ということだし、そもそも薬科大学自体が大正レトロの建物である。
国籍も時代も問わない町である。常々京都という都市は、歴史と生活が密接になっている、悪く言うとゴチャゴチャしているなぁと思っている。住宅や店の中に神社仏閣が紛れている。
他に生活の側面で印象的だったのが市営住宅。団地のあちこちのベランダに洗濯物や布団が干されているのを見ると、歴史の側面が頭からスッポリ抜け落ちる。
唯一観た歴史的なものとしては、だんじょの水という湧き水がある。江戸時代から近所の人々の生活用水として使われている。まぁ飲めなかったんだけどね。
ひしゃくの隣にたわしがあって、ご自由にお使いくださいという看板があったから、水路の汚れとか藻をこすってみた。キレイにはなったが、勝手にイジったら怒られるんかなと思って途中でやめた。
由来の看板を見たら「近年枯渇してしまったが、有志の努力により復活した」と書いてあった。一瞬新しいものだったのかと思ったけど、まぁ歴史的なものであることに間違いはないか。
ウンコしたくなったから慌てて山科駅に戻った。そこのトイレの蛇口が気になった。蛇っぽいから蛇口って名前なんだろうけど、ここのは逆三角形をしていた。ボディビルダーの上半身みたいな。
なんか気持ち悪かったなー。見たことない蛇口だったんだもの。水の管さえ通せばいいのに、そのデッドスペースに何が入ってんだよ。
また市営住宅のエリアに迷い込んで、とある公園に寄った。そこで紙が散乱して捨てられていた。
何だろうかと思って拾ってみると、ポケモンや鬼滅の刃の絵が描かれていた。おそらく市営住宅に住んでる子供が描いたものだろう。
それがどうして公園に散乱していたのかは分からないが。窓から風で飛んでったのか、資源回収の所から風で飛んでったのか、子供がポイ捨てしたのか、親が怒りに任せて捨てたのか。
暑さで頭がボーっとしていたのもあるんだろうけど、気づいたら俺は紙を拾い集め、リュックにしまっていた。別に見ず知らずの子供の絵をジロジロ見る趣味なんかない。あと町のポイ捨てを拾い集める習慣もない。
ただ、俺はこの絵がこのまま野ざらしになっているのは嫌だって思った。家に持ち帰ってしっかり束ねて、ちゃんと資源回収の日に出さないといけないという使命感があった。
おそらくこの団地のどこかにこの絵を描いた子供がいる。その子供は絵を描くことが好きで、絵をたくさん描いていて、もしかすると将来的に絵で有名になったり絵でご飯を食べたりするのかもしれない。
仮にそうはならないとしても、幼稚園児~小学生のうちに、自分の得意分野とか熱中できるものを見つけられたというのは凄く尊いことだと思う。高校生になるまで熱中できることを見つけられなかった身としては本当にそう思う。
今は何気なく描いているだろうし普通のことだと思ってるだろうけどそれは違うんだよ。あの公園に捨てられていた紙だって、言うなれば君の魂の叫びだし、君のルーツとも呼べるんだよ。
だから俺はそんなかけがえのない時間が雑にポイ捨てされて、風で誰からも見えない所に飛ばされて、あるいは雨に打たれてグチャグチャになって、汚い感じで土に溶けてしまうのが嫌だったんだよ。
捨てるにしても、せめて真っ当な捨て方にしたかった。低木の下にまで散らばっていたから、拾い集めるのに苦労した。屈んでも頭に葉っぱがチクチクした。
夏になって暑くなってきて、なんかアイスでも食べたかった。そしたら「冷やし焼き芋」なるものを売ってる店があった。Mサイズを頼んだら売り切れてた、昼ご飯前だったからSにした。
そしたら店員さんに「大きいSにしときますね」と言われた。ぶらりでは珍しく、人との交流・人の温かさがあった。
冷やし焼き芋は名かがドロドロしてて、勢いよく噛んだら中身が飛び出そうだった。ある程度中身を吸ってからかじるから、わしゃパピコでも食ってんのかと思った。甘くて美味しかった。
駅前のカレー屋で昼ご飯にした、カレー屋なんだけど小料理店のような格式高い店で、入った瞬間少しひるんだ。落ち着いた音楽の中でカレーを食べる違和感。
だから食べ方のマナーにも気を遣った。カレーの残りをスプーンでこそげる時のカチャカチャした音はダメなんだろうな。この店はカレーに生卵がついてくるが、この食べ方は果たして行儀良いのか?とも思った。まぁ店側が必須で出してるものだから絶対にマナー違反じゃないんだろうけど。
あと福神漬けとらっきょうが小皿にあるのだがどこにも箸が無く、スプーンでこれらをすくうのは正しいのか?とも思った。
肝心のカレーの味だが、俺はバカ舌だからよく分からんかった。950円のカツカレーと、1袋50円の業務スーパーのレトルトカレーの違いが分からない。心なしか、辛さが舌に持続して残ってる感覚はした。美味しかった。そして12時になる前に帰った。
※ 湖西線…琵琶湖の西側を南北に走る電車
琵琶湖線…琵琶湖の東側を南北に走る電車
サンダーバード…大阪と金沢をつなぐ特急
それで結局山科はどんな感じの場所だったのか。歴史と生活が混ざっているという点では北区から下京区(京都駅)のエリアと同じである。でもこの日記には生活の面を色濃く書いていた。そういや歩いてて生活感があった気がする。俺が山科に感じる思いは何なのか。
山科を通る時、車窓から見る景色にはよく「建物が密集してるなぁ」と思ってる。パソコンに向かいながら何気なく地図アプリで山科を見てたらふと思ったことがある。
北区~下京区は、道が碁盤の目のように整備されている。しかし山科は1山越えたところにあるというのもあり、他の地域と同じように道が複雑な入り組み方をしている。
それなんじゃないか? 山科に感じた生活感は。道が碁盤の目に整備されてるエリアは人の手が介入されてる感じがして、規律正しくさせられてるような。山科は人々の生活に従って道が伸びている。
入り組んだ細い道の中をずんずん歩いていたため、山科のより奥のエリアに入ってしまい、人の生活が根付いているような空気を感じていたのだろう。建物が密集してるのも街づくりがあまり整備されていないからだ。
京都市内だけど京都らしさがあまりない。比較的生活を感じる。それが山科という場所なんだろう。