2018.04.08 僕はドラマを見れない
孤独のグルメをTVerで見ていた時、4月から始まる『宮本から君へ』というドラマのCMが流れた。冴えない主人公が自分と戦いながら生きる意味を探すというもの。
CMでは宮本が一目ぼれした女性に「僕の名前はぁ!宮本浩です!」と叫ぶシーン ※1 があった。それだけで絶対胸に刺さるドラマだって分かるじゃん。
金曜の夜に配信されて、この休み中ずっと見るべきタイミングを見計らってた。月曜を迎える日曜の夜、今だって思った。叫んで名乗るシーンでは案の定涙がこぼれそうになって、そしたら直後にエレカシの曲 ※2 と共にOPが流れた。
こっちの気持ちが整ったところにパワーのある曲が流れたら、涙が止まらなくなるに決まってるじゃん。「倒れても立ち上がる」という、J-POP・J-ROCKで擦り切れるほど使い古された言葉に、これほど心を揺さぶられるとはね。エレカシの熱が言葉に命を吹き込んだというか。
3年になってクラスが変わって、全然喋ってない。そういやこの間の打ち上げだってそうだ ※3。KさんがNくんに「3年間同じクラスだね!」とテンション高めに話しかけていて、それをはたから見ていて「俺もだろ」と腹を立てていた。俺もKさんと3年間クラスが一緒なのだ。
そうじゃないんだね、自分から話しかけていけよってことなんだね。頑張って勇気出していかないとなぁ。
そして不安なのが、日曜夜の感傷的な気持ちでいろいろ思っているだけで、月曜朝になると「学校行きたくねぇ~」という、世の中全てのめんどくささに飲まれて、今までと何ら変わりない生活に逆戻りして終わりなんじゃないかということ。
怖い、そして何かやってのける自信もない。本当に怖い。
※1 主人公の宮本が駅のホームで毎朝見かける美しい女性に捨て身でアタックするところからこの物語は始まる。
※2 主題歌「Easy Go」
※3
結末から先に言うと、宮本から君へ、物語中盤くらいでもう見るのがつらくなって追うのをやめてしまったのだ。だから宮本が結局どうなったのかは知らない。なんか宮本がピンチっぽくなったところで見るのをやめた。
つらかったのだ。がむしゃらに生きるのに誰かに振り回されて、真っすぐな人間なのに誰かに歪まされるのが、見ててつらかった。回を追うごとに宮本への感情移入が暴走しすぎて、やるせなさと怒りで苦しかった。
この1件以来、ドラマを3ヶ月追い続けるということを全くと言っていいほどやっていない。俺が苦しくならずに見ることができるドラマは、やはり孤独のグルメのみだ。あれはいいよね、心の平穏を保っていられる。
そこからしばらく経った頃に、ネット上で「共感性羞恥」という心理用語が話題になった記憶がある。他人が恥ずかしい状況にあったり、怒られたり笑われたりしているのを見ると、こっちまで苦しくなってしまうという、今でこそ広く浸透して市民権を得た言葉。みんな知ってるよね?
この言葉を知るまでは「あれ? ドラマってもっと気軽に見られるものなんじゃないの? クラスの人達はドラマの話題で盛り上がってるけど、何でこんな苦しいものをみんな耐え忍ぶことができるの?」と思っていた。
この感情に名前が付けられネット上で話題になり、私もそうですと次々と仲間が現れたことで、ようやく自分がおかしいわけじゃないと思えるようになった。そういう人はざらにいると思えた。
こんなこと言っちゃ元も子もないのだが、ドラマって絶対に中盤で主人公がピンチになるじゃん。それがつらいんだ、何でこんな頑張る人を脚本家や原作者はひどい目に遭わせたがるんだ!という怒りが湧いてくる。特に宮本は味方に立ちたくなる。
と同時に。宮本から君へに関しては「無責任な感動」に対する自責の念があった。これはネット上でも決して話題にならない、俺の中だけにある複雑な感情だ。
ドラマを見て、女性に告白する主人公の勇気に心を打たれ、涙まで流して、一見感銘を受けたように見える。だからといって人付き合いの苦手意識は一朝一夕で変わるわけではない。実際にクラスの女子に積極的に話しかけるようにはなれなかった。
じゃあ何で感動したんだよ。自分の行動に移せるようにはなれない、勇気を受け取ったわけでもない。じゃあその涙は何だったんだ、あんなに泣くだけ泣いて何も変わらないって、それは宮本に失礼ではないのか?という罪悪感が湧く。
こんなものはもう、宮本の人生を搾取しているにすぎないという感覚がある。宮本を監視して、宮本の一喜一憂を笑い、宮本を消費する。なんだか『トゥルーマン・ショー』みたいな話である。宮本はお前のおもちゃじゃないんだよ!と、もう1人の自分が怒っている。
原作者や製作者、池松壮亮さんが見たらどう思うだろうか? あんなに魂込めて作り上げたドラマを、表面だけすくい上げられて条件反射で泣いて、翌日何事も無かったかのようにケロッとしていつも通りの情けない日々を送る。そんなだったらもう、見る意味ないじゃん。
泣くなら泣くだけの責任を持てよ。無責任に手あたり次第泣くなよ。感動ヤリチンめ。片っ端からコンテンツを見て、何も考えず泣いて、それで終わり。パブロンの犬じゃねぇんだから。
宮本がピンチになるのが耐えられないというのもそうだが、何も変わらない自分に失望したというのも、ドラマを見れなくなった理由の1つである。
別にドラマってそういうものではないってのも、分かってはいるんだけどね。たしかに宮本から君へは視聴者の心を揺さぶる系のドラマではあるが、全てのドラマがそうではないよ。『不適切にもほどがある!』を見て何を学べと言うのだろうか(これも見てないんだけどね)。
そんでもっともっと言うと、音楽や漫画、小説ではこれほどまでに「教訓を内在化できなかったら意味がない」とまでに真面目な態度では見聞きしてないんだけどね。なんでドラマだけなんだろうかね。迫真の演技とか、視覚的な情報が、より説得してくる感じを出しているんだろうか。やっぱり俳優さんって凄いんだなぁ。