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2018.11.17 激イタ大喜利高校生・後編

先生のスジがなっていないところを指摘したら、学校が保管している個人情報をちらつかされてこっちは何も言えなくなるという夢を見て、午前3時に目が覚めた。夢なら一発殴っときゃよかったかな、やられる前にやるって感じで。

きっとストレスと緊張の現れだろう。というのも、今日はあぶよしさんとの大喜利対決の日だ。震える指で動画を再生した。お題「クリスマスプレゼントに欲しいものランキング第100位は?」に対して、俺は

「自尊心」
「レ・ミゼラブルでアン・ハサウェイが切り落とした髪」
「孫」

と回答を送り、あぶよしさんは

「misonoのサイン色紙」
「足で踏んでパカパカ開くゴミ箱」
「とくになし」

と答えていた。2つ目のお題「運動会で大パニック、何があった?」では、俺は

「騎馬戦で、紅組が白組の1人を人質にとった」
「保護者競技にMEGUMIが出て、周りのお父さんたちが一斉にカメラを構えた」
「自民党があまり議論を重ねないまま競技を決定して、野党がキレた」

あぶよしさんは

「解説者席に松木安太郎」
「雨天決行」
「ことあるごとに『安倍首相バンザーイ!』と叫んでいる」

と回答した。

正直「misono」という単語が出た時点で、勝ちを確信した。ここからは、勝ちを確信した饒舌な日記になります。

misonoて。何だろうこの「とりあえずおもしろワード使っとけ」感。大喜利って意外なところからの言葉が面白みを持つわけじゃん。レミゼとか自尊心とか。

「とくになし」なんか絶対ダメよ。それってもう「回答が思い付きませんでした」って宣言して白旗上げてるようなもんじゃん。

運動会のお題の3つ目の回答が政治対決になったのは面白かった。ただ、安倍首相バンザーイ!ってなんか直接的すぎない?萎えるわー。

とりあえずここは勝てるようなので安心した。ただ猛者が集まる場所では全然だけど。うぬぼれるべからず。



5年前の薄れた記憶の中では目くそ鼻くその泥仕合だったと記憶しているが、日記にちゃんと書き残された当時の双方の回答を見直して、やっぱり「とくになし」だけはダメだと思った。misonoはまぁいいや、5年経って徐々にあの人が面白くなってきた。

これはどっちが大喜利センスがあるかという話ではない。俺が大喜利センスであぶよしさんにマウントを取りたいわけではない。大喜利におけるスポーツマンシップ、大喜利マンシップの話をしたいのだ。

大喜利から逃げるな。「とくになし」でお茶を濁すな。たまにはスベることもあるだろう、それでもなにかモノとかコトとかでプレゼントをチョイスしてほしいのだ。

スカして笑いを取って手元に何が残るというのだろうか。誰でも切れるようなワイルドカードを出したって、その先に何があるのだろうか。俺だってスベることもある、ただ大喜利という土俵の上には上がってきている。それは大喜利対決をするにあたって最低限のマナーではないだろうか。

あんなのは土俵の外からヤジを飛ばしたり座布団を投げたりしているだけなのだ。勇気の出ないネット民と同じとしか思えない。戦え、そして俺を打ち負かせ。勝負というものをして、初めて勝つことができるんだよ。目くそ鼻くその泥仕合というよりかは、くそ目くその砂仕合程度ではあったと思う。


当初、日記を読み返してこの話を見つけた時は、大喜利対決をふっかけられる→大喜利の回答が出そろう→リスナーの投票で勝敗が決まるという、前中後編の3部作になる予定だった。しかし前後編の2本になった。

どれだけ日記を読み返しても、勝敗が決まった時の気持ちを日記に書いていないのだ。この対決が実際どうなったのかの結末を、書き残していなかった。それは何故か。恥ずかしいことになったからだ。

ラジオを聞いているリスナーの投票によって、どっちの大喜利が面白かったか決まるというシステムだった。ふたを開けたら、総投票数3票、2対1で俺の勝ちという、あまりにも誰も興味を持っていない小さな戦いだったのだ。

勝ったは勝ったのだが、3人しか関心を持ってない戦いで、1票差で勝ったところでもう恥ずかしくて恥ずかしくてしょうがなかったのだ。情けなくて、日記を書く気にもならなかったのだろう。

日記には「misonoの時点で勝ちを確信した」と書いたが、あぶよしさんもあぶよしさんで「自尊心の時点で勝ったなと思った」と言っていた。双方が1つ目のお題の1個目の回答の時点でお互いを見下していたという、あまりにもちっぽけな2人だった。

俺は「クラスのイケてるヤツらを大喜利でボコボコにしたい」とイキって、あぶよしさんもパーソナリティとしての格をリスナーに見せつけたいとイキる。結果、どっちも面白くないという評価になり、俺もあぶよしさんも凹んで終わった。こんなみっともない話があるか。激イタ大喜利高校生と、激イタ大喜利社会人パーソナリティーだったのだ。

人間、恥ずかしい思いをして生きていくんだね。それが5年くらい熟成させて、笑い話としてエッセイに書けるくらいにはなったんだから、まぁよかったよ。若気の至りは積極的に笑っていこう。