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2024.06.03 灰色の春、届かない大声

久しぶりに揺れた。もう揺れないかと思ってた。

1月中は毎日のように余震に遭っていたのが、2月になって徐々に減っていき、3・4・5月と安心しきっていた。石川で震度5強、富山は震度3。何故かは分からんが新潟で震度4あったらしい。富山より遠いのに何で?

揺れた時はコップに牛乳を注いでいた。ドンッと音がして揺れ始めた瞬間、呑気なことに「牛乳がこぼれる!」という焦り方をしていた。棚が倒れて物が散乱する方が被害が大きいのに。

牛乳のことしか考えられず慌ててシンクにコップを置いた。そしたら倒れて牛乳がこぼれても排水口に流れていくだけだし。人間ピンチの時は正常な判断ができないものだ。

最初は「随分と久し振りじゃねぇかあんちくしょうが!」とかイキってたが次第に、復興のために前を向き始めたそんな中のでかい余震に、少々絶望感を覚え始めた。

こないだ、小坂俊史さんの『遠野モノがたり』を読んだ。小坂さんが2年ほど岩手県の遠野氏に移住していた記録を、モノローグ形式で綴ったマンガ。

時期的には東日本大震災の直前くらいに連載が完結したため、本編に被災のことは描かれてなかった。最終回から単行本として発売するまでの間に震災があったようで、あとがきで軽く触れてるくらいだった。だから被災者としての日々は別に語られてないんだなと思ってた。

しかしWikipediaで調べるとそれから3年後の2014年に、遠野モノがたりの主人公がもしも東京に帰らずもう少し遠野に居続けたらという世界線の同人誌『灰色の春』を描いたとあった。noteでも公開されているとあったので読んでみた。それが今日・今・自分の状況と重なるところがあって胸が痛い。

小坂さんが住んでた遠野市がまた絶妙な位置にあったのだ。東日本大震災といえば津波が甚大な被害を生んだというイメージが強い。しかし遠野市は内陸部であるため津波の被害は無く、家(アパート)も倒壊せず電気も2日で復旧したとのこと。東京と沿岸部をつなぐ中継地点としての役割を任され、河川敷にはヘリコプターが、駐車場にはテレビ局の取材車が停まっていたらしい。

もちろん家の中の物は散乱し物資も足りず余震は続く。富山県民としては内陸部とはいえ遠野市も充分被災地だ。しかし小坂さんの感覚としては沿岸部の被害には遥か遠く及ばず、暖房がついてる部屋で「被災者のフリをしていた」んだそうだ。

周囲のインフラも徐々に復旧してきた4月7日、震度6の余震があった。落ち着いて前を向き始めたところでの余震。小坂さんは本震よりもこっちの方が身に堪え、初めて涙を流したそうだ。

「この灰色の春が終わらないんじゃないかって思ったんだよ」

能登の方々も同じように永遠を感じてるんじゃないのだろうか。そもそも東日本大震災の余震は13年経った今も終わらないと聞く。俺も本震よりも今日の余震の方が精神的に苦しいと感じた。

それは能登のことを思うと、というのもあるがそれ以上に、俺もやはり「被災者のフリをしている」ところにあると思う。石川のすぐ隣県だというのに、こんなにも被害が少なくこんなにも平和に生きてて、それなのに近さだけ先行して他県の友達にいらぬ心配をかけているのではないかという申し訳なさ。

すぐ隣で5強の強い揺れが起きてるのに、たった震度3でうろたえている。どうして隣県なのにこんなに揺れなくなるのだろうか。そしてどうして新潟の方が揺れたのだろうか。

不謹慎な感想になってしまうが、もうちょい揺れてくれれば俺ももっと被害者ヅラ、被災者然とできたのに思った。でもこんなにも幸せな立ち位置のことを考えると、そんなこと絶対思っちゃだめだというのも分かる。

被害は無いのに不安は募る。この中途半端さ・生殺しの感覚に小坂さんも苦しんでいたのだろうか。だから空が黒色にも白色にも見えず、灰色だったのだろうか。

あまりにもやるせなくて、この灰色の春のリンクとこんな感じの気持ちをXにポストした。Xで大きな声を上げたのは随分と久し振りのことだ。いつ以来だったろうか。路上観察の写真を上げる以前のことだから、少なくとも2年以上ぶりになるのだろうか。

日頃はXでひっきりなしになんか言ってるヤツに対して斜に構えて、自分は我関せずな感じで路上観察の写真ばっかり上げて、言葉数少なく寡黙な自分に酔いしれてるくせに、いざ自分に何か起こると同じくらいの大声を上げる。そんでリプライの1件もないと落ち込む。俺もあんたも、結局同じ人間だったのか。



Xを斜に構えた態度で使っている。俺の中で「Xは駅前広場、noteは自分の家」という使い分けがある。何も考えずアクセスして沢山の雑多な人々とすれ違うのが、タイムラインという機能を備えたXだと思っている。

一方でnoteのタイムラインなんてあって無いようなものだと感じる。あるにはあるがタイトルとサムネイルしか表示されず、中身や本題・言いたいことはそこからもう一歩踏み込んでアクセスしないと見えないという違いがあり、ちゃんと読もうと思った人しか読んでいないSNSのように思える。

だからこその「Xは駅前広場、noteは自分の家」だ。何気なく通った駅前広場、何気なくアクセスしたX、こっちとしては何も考えずリラックスした気分なのに、その先でかなり主張の激しい人がいたらどうだろうか。

個人的にXでの主張が激しい人は、駅前広場で宗教の勧誘をしたり、政治的演説をしたりしている人と大差ないと思っている。あなたとしては猛っている最中の発言でしょうけど、それを見ている人は同じ気持ちで同時に猛っていると思いますか?

別に誰かを批判したいわけじゃない、しんどいなら俺がTLを整理すればいいだけの話だ。だからこれまでに何人も、フォローを解除した人やフォローを見送った人がいる。人には人の、Xの使い方がある。それがたまたまたった1人の俺と相容れなかっただけだ。

俺が個人的に「家でやればいいじゃん」と思っているだけだ。だからXでは無難な路上観察の写真ばかりで、逆にnoteでは言いたい放題やってるということだ。noteで言いたいことをちゃんと言えているからこそ、Xでは誰の心もざわつかせない人でいることができている。そういうバランスを取れている。

駅前広場で街行く人々の足を止めてまで言いたいことなんて無いし、本当の俺のことを、俺の芯だとか核の部分を知りたいなら、ちゃんと本腰を据えて、3000字は平気で超えるような文章でも最後まで読んでくれる、そんな人だけでいい。その覚悟がある人だけ俺の汚ねぇ部分まで知ればいい、別に万人に理解されるつもりもないし。

そう思っていた。人の心をかき乱すだけかき乱しておいて言い逃げするような人間にはなるまい、なんて思っていた。

結局、俺もあなたも同じ人間だったのだ。苦しい時に誰かにSOSを出しやすい、だからXは長年愛されるSNSになったのですね。いつか誰かにヘルプを求められるようにしておくために、何度サーバー停止が起こっても、何度イーロン・マスクが改悪しても、何度「Xはオワコン」とトレンド入りしようとも、あなたはXを使い続けているんですね。自分のアイデンティティが崩壊して初めて理解できました。

それで結局ただの1件のリプライも無かったってことは、そもそもXの誰かの戯言で心がざわついている自分の方がマイノリティなんだとも気付いた。あっ、こんなに叫んでも誰も聞いてないんだ。さすが駅前広場。みんな足早にどっか行ってんなぁ。これから出勤なのかな、それとも遊びに行くのかな。

結局地震がうんぬんよりSNSの使い方で思うところがあっただけだった。だからこのエッセイにも「#能登半島地震」なぞ付けられるわけがない。