本当に主張をしたいのなら簡単にしてはいけない

 「日本人は主張をあまりしない」というのが世の中でのイメージだと思う。
 その理由について追究することは今この場においては意味がないので深くは考えないが、そもそも私たちは責任を取りたくないのだろう。
これは実際、結果論的かもしれないが何かを発言すればどこかの誰かに叩かれる。名前も顔もわからないような存在に文句や批判をされる。そんなことが目に見えると誰もが口を閉ざすことになる。しかし、これが複数人だとどうなるのか。自分1人の発言から不特定多数になったとたん元気になるのだ。これは責任逃れができるからだろう。
 こうして私たちは社会の中で自分を殺して社会の一部としてモブのように振る舞っているのだ。

正直のところ、世の中には思いっきり主張したい人やはっきりと自分の考えを持っていてそれを世の中に伝えたいと考えている人はたくさんいると思う。しかし、実際にそれを実行できる人はほとんどいない。政治に関していうならば自分が政治家になった方がいいと思う人もいるだろう。
 しかし、正直言ってまともな人は基本的に選挙に立候補しないし、世界中に顔を晒して自己主張なんてしない。
 そんなの当たり前だ。リスクに対して期待できる成果の見込みがあまりにもなさすぎる。実際、私もそうだ。個人情報を犠牲にしてまでただの一般人である私が何を言おうが誰にも響かないし誰も聞きはしないし、興味すら持たない。「お前誰だよ」と一蹴されて終わり。
 選挙だってそう。当選すればいいが落選した時のリスクがかなり大きい。恥さらしになることもあるし、そもそも普通は退職をして立候補するので無職になる。お金も戻ってこない。これだけでも立候補なんてしないだろう。特に現在の地位が確立されてる人ほど。

主張をしたいのならそれなりの説得力がなくては意味がない。荒唐無稽な発言をしたところで恥をさらすだけなのだ。少なくとも多くの日本人はそう考えるだろう。説得力というのは発言力とも結びついている。少なくとも正論とも言われるような発言であれば恥はかかないかもしれない。しかし、どんなに正論を言ったところでどこの馬かもわからない人の言葉に誰が耳を傾けてくれるだろうか。結局何を言うかより誰が言うかの方が大衆にとっての影響は大きいのだ。

ハッキリ言ってほとんどの国民はバカなのだから何の根拠もないのに発信源によっては思考停止で信じるのだ。

だから、もし何かを主張したいのなら、大衆に語りかけたいのなら、世の中を変えたいのなら常識を覆したいのなら、自分自身がそれだけ大きな存在にならなければならない。それもしばしばいる"インフルエンサー"とかいう曖昧な存在ではなく誰もが無視できないような放置できないような存在にならなくてはならないのだ。それにはもちろん大きな責任と命の危険を常に感じなくてはならない。これは一般人の誰にとっても簡単じゃないが誰にだって可能性はある。そして、一人で頑張っても大きな意味を持たないことも忘れてはいけない。人間の社会は人間が作るものだ。だから多くの仲間を持つことに意味がある。どんなに大きな相手にでも数を使えば勝機はあるのだから。

では、ここまで読んできたあなたはこの記事に大してどう思っただろうか?説得力を感じただろうか?つまり、そういうことである。
もし、あなたがこの記事を読んで納得出来たのであればそれは共感である。あなたと私の意見が一致したことであなたの考えの補強になり、同じ意見の仲間を見つけたことによる効用はあるかもしれない。そしてそれはあなたにとっては説得力をあげる材料になるかもしれないがそれはあくまで同意見のあなただけにとってなのだ。

最後にこの記事は私の主張のようでほとんど一人ごとである。何せ主張としてはタイトルと矛盾するのだから。主張は簡単にするなと言いながらそういう主張をしているのだからこのジレンマからは逃れられない。結局これも今の私の戯言にすぎないのかもしれない。

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