じぶんに対する思い込みの壁
これは非常に分厚くて、なかなかに覆すのが困難らしい。
『言葉にできるは武器になる』に書いてあった。
私はこんな人間だ、これはできない、苦手だ、嫌いだetc…でも、思い込んでこそじぶんのことを理解できるのでは?って、私はおもってる。
思い込みを言葉にしてみることで、そんなことない、実はこうでは?など、いろんな意見に研磨され、私の認識する私はできあがってゆく。
大学の社会学で習ったジョハリの窓がまさにそうなのだけど、自分が認識する・しない、他人が認識する・しないの4章限に分けて自己を分析する方法。
「自分も他人も知らない私」が、誰にでもあるのだとしたら。それこそが未来であって、いやはや真っ白なのびしろであるとか、目から鱗が零れ落ちてようやく見える自分像なのだろうな。
そう考えるだけでワクワクしてくる。私、きっともっといろんなことができるじゃん!って。
ちなみに、私にとっての思い込み筆頭格が、「私は営業ができない」だ。死にたくなる夜を何度か乗り越えて心底、それが私の脳内に染みついている。
ほんとは営業なんて、やりたくない。だけどなぜかまだ、営業側にいる。早くここから逃げ出すには、自由を手に入れるには。最短で最大の結果出して新しい領域へ向かおう。
営業が苦手だ。だからこそ、営業ができる人を心底すごいとおもうしリスペクトしている。なので、たくさん褒めるし頼るし気持ちよく仕事ができるのだ。
営業が苦手だ。だからこそ、極力少ない接触数でも質が担保できるように吟味して電話する。余計なところをなるべく見ずに、熱いお客さんがどこにいるか、どんな話をしようかを見極めてから動く。すると、じぶんの心も健全で、上司からごちゃごちゃ口出しされることもない。
苦手意識やコンプレックスにこそ、もがいた跡や努力の影は潜んでいるし、好きな人のそういうところこそ、私は知りたくなってしまうなあ。
だってその人をその人たらしめている、魅力が匂い立つような部分だとおもうから。
そんなところを、そっと恥ずかしそうに見せてくれる人のことを、愛おしいっておもうんだろうな。まだ1月だけど、なんだかさいきん、春の予感をほんの微かに感じている。きっとすぐそこに、来ているのかもしれないなあ。