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僕は「川崎の24歳」

「川崎の25歳」がTwitterのトレンド入りした。

入山禁止の栃木の山で遭難し、救助された人がどうやら「川崎の25歳」らしい。それがTwitter民の目にとまり、まあまあ、いや、結構叩かれていた。

良かった。僕は「川崎の24歳」。

いや、そういう問題ではない。新型コロナウイルスの影響で余儀なくされた外出自粛をみんなで頑張っている期間に、なんで登山しているの。あなたのせいで「川崎の25歳」って言葉に悪いイメージがついてしまったかもしれないじゃないか。次の誕生日を迎えたら「川崎の25歳」として一年間周囲の目を気にしながら過ごさなければいけないじゃないか。

、、ここまで怯える必要はないか。


このように人が「川崎の25歳」といった分類で括られるのは、もう当たり前だ。それ自体別に気にする事もない。だってその通りだし。「大学院卒」「4年制大学卒」「短大卒」「高卒」「高専卒」「中卒」など、学歴だけでもどんどん挙がる。「男性」「女性」だってそうだし、「10代」から「60代」でもたくさん分類わけされる。「川崎の25歳」はより具体的になった分類だ。

もちろん、その人がどういった分類に属するかだけで判断する人はほおっておけば良い。でも、それで人を傷つけるのは違くないか?

一昔前は「美容師と画家とは結婚しちゃダメよ」みたいなこと言う親もいたって聞くし。もしかしたら今もいるかもしれない。いや、冷静に世の美容師や画家に酷すぎるよね。美容師のおかげで自信を持てた人だっているだろう。髪の悩みを解決できた人もいるだろう。画家のおかげで心が救われた人だっているだろう。絵によって感動を与えられた人だっているだろう。


傷つける、で思い出した。

今だったら「濃厚接触者」と括られたくない。説明しなくても伝わると思うが、簡単に言うと新型コロナウイルス感染者と接触があった人だ。

最近「濃厚接触者」でも何でもないのに、迷惑なんて一切かけていないのに

「お前のせいでこっちは迷惑被っているんだ」

と怒鳴られることがあった。

確かにこういった分類は判断に影響を与える。仕方がない、そういう風にできている人間が少なからずいる。ただそれだけで判断して感情をぶつける前に、深呼吸して。一旦立ち止まって。

本当に相手は「濃厚接触者」なのか。仮に「濃厚接触者」だとしてその人自身は自分にどんな害を与えたのか。自身に迷惑かけたのは別の「濃厚接触者」であって、今から感情をぶつけようとしている人は、本当は自分に迷惑かけていないのではないか。

こんな風に考えることができたら、傷つく人を一人減らせる。たくさんの人がこう考えられたら、たくさんの人が傷つかずに済む。


「私は癌を患っていて、余命6ヶ月です」。一般的に「癌患者」と出会ったらかわいそうと思うかもしれない。ただそれを押し付けないで。本人はむしろ癌に感謝しているかもしれない。癌になる前よりも前向きに生きることができているかもしれない。良い出会いに恵まれたかもしれない。

「高校には通っていません」。「中卒」だからだらしない、と反射的に考えてしまうかもしれない。でもその人は家計を助けるために高校へは通わず働いているかもしれない。もしかしたら、早くから自分の目指す道を見つけてそれに100%、いや120%打ち込んできたかもしれない。自分の意志を持ってその道を選んでいるのだから、だらだら遊んでいただけの「大卒」よりよっぽど良い。

かくいう私は「某私立有名大学卒」だ。小さい頃から学歴は必要だと言われてきた。大学入学が決まったら優秀だと家族から、親戚からもてはやされた。だらだら遊んでいても名が売れている大学を卒業すれば、お給料がたくさんもらえる一流企業に入れる。人生安泰だと思っていた。浅はかだった。

大事なのは学歴ではなく、意志だった。どんな意志を持って行動してきたか、が大切だった。それに気づかず大学を卒業してしまった。社会に出て、学歴が大事ではないことにようやく気づいた。「大卒」なんて分類、どうでもよかった。


そう。分類なんてどうでもいい。だから「濃厚接触者」に恨みを持ったり、「癌患者」に哀れみの目を持ったり、「中卒」を怪訝そうにじろじろ見るのはお門違い。その人たちがどんな意志を持って生きてきたか、の方がよっぽど重要だ。こんなこと知っているという人が大半かもしれない。でも今回の新型コロナウイルスの広がりで強くこの思いを伝えずにはいられなかった。


もう一度言う。その人自身を見て欲しい。

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