初メイクのその先へ
自分のフリースタイルフットボール人生を振り返って、つくづく思うことは「もっと色んなジャンルの技をやっておけばよかった」ということ。これは過去の記事でも再三述べてきたことだが、それは自戒の念を込めてのものだった。もっとやっておけば今ごろアッパーを楽しめていただろうに、エアーを楽しめていただろうに。自分の得意なことしか練習してこなかったばかりに、ここにきてその先の景色を見ようにも「ああ、あれが習得できないからダメだ」と可能性を狭めてしまっている。具体的に言えば、「この座りの流れからこめかみにボールが乗ると面白いかも」とか「ここでクリッパーした後にDLOで締められると見栄え良さそう」みたいなことを思いついても、それができない。それを実行に移せるほど習熟していないために、諦めなければならない。
そのような場合に備えて、一通りの技はやっておくのが良い。中には「そういう技をやる予定ないから練習しない」という人もいる。それはそれで構わない。フリースタイルフットボールは究極的には自分のためにやるものだ。誰かが決めた基準の中でやるものでもないし、褒めてもらうためでもない。各個人が好きにやればいい。ただ、自分で自分の可能性を狭めてしまっているおそれもあるということは、どこか頭の片隅にでも入れておくといいと思う。それに、その技自体をやらなくとも、体の動かし方や重心の位置、タッチの瞬間など、別ジャンルの技をやることで身につくことは意外と多い。実際に自分が思い描くフローに組み込むかどうかは別としても、やっておくに越したことはない。
こういう文脈でよく言われる「基礎が大事」と言う時の「基礎」は決して「難易度が低い」という意味ではない。「この技のこの部分が、あとでチャレンジするあの技にも活きてくる」という具合に、数多ある技に通ずる「原理が身につく」という意味での「基礎」だ。すなわち、基礎技と言われる技を成功させたからと言って、それで基礎のステップを完了したとは言えない。何度も成功させて、コツが分かって、再現できるようになって初めて基礎の定着である。数学の問題を解くにあたって「とにかく公式に当てはめれば良い」と考えて取り組む人もいるが、それでは応用が効かないことは容易に想像がつくだろう。もちろん全ての問題を原理から解き明かして取り組む必要はない。そのための定理や公式というわけだが、それらを扱う上で原理がわかっていなければ、自分が想定していない問題を前にしたときにフリーズしてしまう。かつて東京大学の入試問題で「円周率が3.05より大きいことを証明せよ」という問題が出題され、今でも伝説として語り継がれているが、公式を丸暗記してその場しのぎでしか対応してこなかった受験生は解くことができなかっただろう。人によってはそこにさらに「言語化」ができることも条件として捉えているようだが、個人的にはどっちでもいいと思う。もちろんできた方がいいかもしれないが。原理が身についてるのであればそれでいい。自分以外の他者に伝える場合には必要なプロセスだが、先にも述べたようにフリースタイルフットボールは自分のためにやるものだし、バトルのジャッジに影響はしない(技に関して言語化できてないから負けたということはない)ので、好きにすればいいと思う。
では、どのようにして基礎の段階を完了させるのか。もちろん頭を使って何度も繰り返し練習すること以外ないのだが、その習得の過程には3つの段階があることを意識すると良いだろう。それは「粗協調、精協調、最高精協調」と言われ、スポーツ運動学という学問の中で用いられる概念だ。
粗協調…技を初めて成功させた段階で、まだ体全体の協調や連携が取れていない
精協調…技が概ね出来るようになり、見た目のぎこちなさも無くなっている段階
最高精協調…いつでも、どこでも、どのような環境でも技を成功させられる段階
人に見られるとできない、地面が変わるとできない、大会だとできない、ボールが違うとできない…
フリースタイルフットボールは他の競技よりも道具に大きく左右されることがあるのも事実なので、全ての技を最高精協調の域まで到達させるのは難しいかもしれない。とはいえ、一度成功させただけなのに「はい、できた。次の技に取りかかろう」と前のめりになるのは危険だ。せめてその技の「原理」は理解して歩みを進めていくのが良き上達のプロセスなのではなかろうか。