ポジティブ脳には、誰でもなれるよ
「なんかいっつもポジティブだよね〜」
「自己肯定感がそんなに高くいられるのはなぜ?」
立ち飲み屋を始めてから知り合った仲間からも、昔からの友人にも、ありがたいことにそういう声をいただくことが多い。
こんなチャランポランで嫌なことはすぐに忘れてしまう陽気でお気楽な性格は、家族環境の影響も大いにあると思うのだけれど、それだけではなく「日頃の訓練」もあるのかな、と思い書き記しておくことにする。
ちょっと脱線するけれど、こんな私でも落ち込むことはよくある。
「なんて自分はダメなやつなんだ」とか「なんであの人はできて、私はできないんだ」とかとか。
夫が寝ている隣で急に悲しくなって、大の大人が恥ずかしいくらいの大きな声で泣き叫ぶこともたまに、ある。これはかなりヤバい時。
でもその状況を今思い出そうとしてもあまり思い出せないくらい、なのが私の性格だ。
それは、起こった状況や悩みの種に関して、自分なりに「ポジティブな意味づけ」をして昇華させていることが原因なんではないかな?と最近気づいた。
たとえば8年勤めた会社を1年半ほど前に辞めた時。今だから言えるけれど、辞めた理由は仕事の内容云々だけではなく、どうしても合わない人が近くにいた、という「人間関係」によるところも大いにあった。
「あの人が来てから全然楽しくない」
「あの人がいなければ、まだずっとここで働けていたかもしれない」
そう、相手を恨んでいたものだ。
ただ、辞めた直後の有給消化中に、久しぶりに会った知人とランチをしていた時に、当然なぜ辞めたのかという話になって。
仕事上の付き合いもそこまでない人だったので、ざっくばらんに話していたところ、その人がふと、こう言ってくれた。
「ああ、よかったね。その人、きっと天使だったんだよ。朝子ちゃんが今の場所にいないで、新しい環境へ行きなさい、って背中を押してくれたんじゃない?」
ポーン、と瓶の蓋の栓が抜けたような、閃きのような感覚が体に走った。そう、そうなんだ。この方は私がネガティブに考えていたその人に対して「長年勤めてくすぶっていた私を救ってくれた、天使」と、意味づけしてくれたのだ。
たしかに、会社を辞めてからは人生がコロコロと好転した。会社に属さないという新しいチャレンジ、引っ越し、結婚、と......。
それ以来はもうその人のことを悪く思わないし、むしろ感謝の気持ちしかない。新卒から勤めていて昔から目をかけてもらっていたから辞めづらかった状況を打破してくれてありがとう、と。
この例はちょっとスピリチュアルちっくだから、合わない人には合わないと思う。
でも意味づけは、自分が納得できる形であればどんなものでもいい。
スピリチュアル寄りの思考が好きな私は、たとえば財布を電車ですられた時も「あ、5000円ばっかしで社会勉強ができてよかった」と思うし、占いのおばさんに騙されて(というか自分が料金計算できていなくて)2万円近く使ってしまった時も「ま、飲み会のネタになるからいっか」と思ったりする。
この「ネガティブな現象」をどうにかこうにかして「今の自分に意味があることだったんだ」と思考を変換させること。
これって生まれ持ったものではなく、日頃の訓練でどうにかなるものだと、私は思う。まるでバレーボールのリベロのように、自分に覆いかぶさってくるネガティブ球をポジティブに打ち返すことが特技かもしれない。
もちろん、こんなに簡単に思考を変換できないこともある。
けれど周りの人に話したり、テレビを見ていたり、自然に触れたりしていると、ちゃんと「ポジティブな意味」が頭の中に舞い降りてきたりするものだ。時間はかかるかもしれないけれど、嫌なことと向き合って、考えておいて損はないと思う。
自分一人では持ちきれないような重たい荷物を抱えて塞ぎ込んでいる人に、ちょっとした思考のヒントになればいいなあと思って書いてみました。
必ず今起きていることには意味があるよ。そんな気持ちを込めまして。
ホステルやゲストハウスなどの「地域コミュニティ」を創っている方々に会いに行って、勉強させてもらい、タバタバーに持ち帰ります!