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ベンジャミン・ブリテン作曲『シンフォニア・ダ・レクイエム』各楽章につけられたタイトルからナラティブを考える。

ベンジャミン・ブリテン作曲『シンフォニア・ダ・レクイエム』(1939年)は、非常に特異な構成を持っている。
slow-fast-slowの3楽章というのがまず目に付くが、これは珍しいとは思うが特異とまでは言えない。
この曲で本当に特異なのは、
各楽章に付けられた副題、そしてその順番である。

第1楽章: ラクリモーサ
第2楽章: ディーエス・イーレ
第3楽章: レクイエム・エテルナム

涙の日、怒りの日、永遠の安息、
である。

レクイエムの通常の順番はこの逆である。
永遠の安息、怒りの日、涙の日。
(怒りの日と涙の日の間に複数の楽章が入る)

この曲は彼の両親の思い出に(In memory of my parent)に捧げられており、余計に永遠の安息から入るのが普通のように思われる。
それだけに、この順番に特別な意味があるはずである。
なぜブリテンは通常の順番にならわず、独自の順番にしたのだろうか。

以下は、歌詞の内容から筆者が想像した『シンフォニア・ ダ・レクイエム』のナラティブである。

まず、ラクリモーサの歌詞をおさらいしよう。≪出典はWiki≫

涙の日、その日は
罪ある者が裁きを受けるために
灰の中からよみがえる日です。
神よ、この者をお許しください。
慈悲深き主、イエスよ
彼らに安息をお与えください。アーメン。

これは誰のことを指しているのか。
「灰の中からよみがえる」とあり、「彼らに」ともあるので、これは既に亡くなっている複数の人間を指しているであろう。

ではブリテンにとってこれは誰のことか。
『シンフォニア・ダ・レクイエム』が両親の思いでに捧げられていることから、
ブリテンの父ロバート(1933年没)と母Edith(1937年没)のことであることが分かる。
しかし、それだけなのだろうか。

ブリテンの伝記作家であるKildeaによれば、ブリテンは『シンフォニア・ダ・レクイエム』を可能な限り反戦的な曲として書いたという。
となれば、この「彼ら」に含まれるのは、既に始まっていた戦争による死者たちを含んでいるのではないかと思われる。
Kildeaによれば、アメリカに移住する前から、ブリテンはヨーロッパで始まっていた戦争に対して、ヨーロッパが「腐り続けている」(becoming steadily more rotten)という認識をしめしており、ドイツおこした戦争に、そしてそれに巻き込まれていくヨーロッパに対して大きな絶望と嫌悪感を抱いていた。自身はアメリカにおり、新しい生活への希望を抱いていたブリテンが、日本という戦争当事者に対して作曲をするに際し、
戦死者たちに対するレクイエムを書いたのではないかと思うのである。そして、その対象は不特定多数の人間を想定しているからこそ、
そして、戦争を行う者達を罪ある者と想定すればこそ、ラクリモーサが最初に来たのではないかと思われる。

しかし、話はここで終わらない。

第2楽章は「怒りの日」である。

以下歌詞である≪出典はWiki≫

怒りの日、その日は
ダビデとシビラの預言のとおり
世界が灰燼に帰す日です。

審判者があらわれて
すべてが厳しく裁かれるとき
その恐ろしさはどれほどでしょうか。

「怒りの日」は終末論のひとつである。
「世界が灰燼に帰す日」のことである。
第2楽章は「審判者があらわれてすべてが厳しく裁かれるとき」の話である。
これはブリテンの作曲時における戦争の継続により起きている世界の終わりについてであろう。
上述したように、ブリテンはヨーロッパが腐り続けていると考えていた。
ブリテンはアメリカは新世界でありヨーロッパは滅びゆく旧世界だったのである。
また、「怒りの日」は、まだ死んでいない者たちへの警告の意味があることを忘れてはならない。
継続中の戦争によって戦死していくであろう者達のことがブリテンの頭の中になかっただろうか。
反戦主義者であったブリテンはヨーロッパ死を「怒りの日」にたとえ、警告を発したのではないだろうか。

そして終楽章において、既に死んだ者、そして死にゆく者達へ、Requiem Aeternaと唱えたのではないだろうか。
「主よ、永遠の安息を彼らに与え、絶えざる光でお照らしください。」と。

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