【学童】まるで物語のような⑤コナツの話
以前、とある放課後児童クラブ(以下、学童)で出会ったコナツ(仮名)の話を書いてみる。
(個人の特定を避けるため、事実を元に大幅にフィクション化してます。)
コナツは小学1年生の女の子。少し発達がゆっくりめ。大人数で遊ぶ時、遊びのルールが理解できない時がある。周りの子はみんな理解できているのに、その子だけ理解できていない。コナツが順番を守らなかったり、止まっていなきゃいけないときに走ってしまったり(こおりおにとか)する姿に、周りの子らは「なんでズルするの?」「ルールちゃんと守ってよ!」と言う。コナツはなんと言い返していいかわからず、いつも遊びからするっと抜けてしまう。コナツもみんなと一緒に遊びたいと思っている。でも、ルールが理解できないことをみんなにうまく伝えられない。
学童保育を知らない人からすると「大人がちゃんと仲介すれば良いのでは?」と思うかもしれない。しかし子どもには子どもの世界がある。明らかな暴力や暴言は阻止するし、必ず止めるが、こういった、『コナツにもコナツ以外の子にもその子たちなりの正当性がある』場合、間に割って入るのは、傲慢で高飛車じゃないかと思う。子どもも大人も皆平等で、そこに上下関係がないのが学童保育である。上下関係、というか、大人という名の権力を振りかざすというか、そういうことが発生するのは、先ほど言ったような、誰かが傷つくようなトラブルになってしまう時だけである。
だから、見守る。そして周りの子にやんややんや言われているコナツが、「じゃぁ私抜ける」と言って、しょんぼり1人になってしまったときに「なんだかあの遊び、ルールが難しいねぇ。コナツがずるしてないの、私知ってるからね。」とコナツの気持ちを代弁して共感する。それが私にできる精一杯かなと思う。
ある日、校庭で17〜8人の大勢で、私も含めて鬼ごっこをすることになった。そこにコナツも入ってくる。そうすると、ある子が「コナツ、いつも鬼になったら怒るじゃん。」と言ってきた。ごもっとも。コナツは鬼ごっこで鬼になった途端、怒って固まってしまうのである。今回は私も遊びに入っていたので「いいじゃん別に怒ったって。じゃぁさ、私とコナツで鬼やろうよ!」と言ってみた。するとコナツはうれしそうに「しゅゆちゃん(私)が一緒ならやるー!」と言ってくれた。もう1人助っ人で、3年生の男の子(ユウタ(仮名))も鬼になってくれて、計3人が鬼の、鬼ごっこが始まった。
低学年が多い学童だったため、17〜8人での鬼ごっこは、正直鬼に集中できないぐらい大変だ。鬼になるのが嫌なのは何もコナツだけではない。1人ひとりの気持ちも考えながら、そして何より、大きな怪我なく安全に鬼ごっこができるように、神経を張り巡らさなければならない。私は、鬼役で走りながら息を切らしながら、実況に徹した。
「オッケー!いいよいいよコナツ!その調子で走って捕まえてね!、、、おおー!ユウタすごい!もうタッチしちゃった!カズキ(仮名)も走って走って〜!うわ〜どうしよう!しゅゆは全然タッチできない!!も〜みんな足速いんだから〜!!、、、コナツ!一緒に頑張ろうね!」
その鬼ごっこは、誰1人怪我なく、終始楽しく遊ぶことができた。
コナツが鬼ごっこで、あんなに笑っているのを初めて見た。
その次の日。コナツは私に手紙を書いてきてくれた。
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しゅゆちゃんへ
きのう、いっしょにおにごっこたのしかったね。
こうていで、おにごっこをして、わたしは、おにになったけど、おにごっこが いちばん たのしかったね。
またみんなといっしょに おにごっこしたいね。
おにになったら つかれるけど また いっぱいタッチして、また たのしいおにごっこをして、いっしょにおにごっこしようね。
こなつより
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文法はちゃめちゃ!!(実際のお手紙は、誤字脱字が多いです笑)
でも、こんなに「鬼ごっこが楽しかった」という気持ちが伝わってくるお手紙はこれ以上ないだろう。
素敵なお手紙をもらってしまった。
なんて嬉しいんだ。一緒に鬼ごっこしてよかった。そしてコナツの「またやりたい!」と思える気持ちが、素晴らしいのだ。
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