表現としての狂気



コミュニケーションとしての笑いとは違い、鑑賞する笑いは、好みを突き詰めていくと、とても極私的な感性だと思う。そう、キングオブコントの話である。



個人的にはラブレターズの決勝のネタが大好物だった。ジュビロ磐田ファンの女性がバリカンで頭を丸刈りにしながら、その後ろでインチキ臭い外国人が釣りをしている、そのシュールな構図が馬鹿馬鹿しすぎて、狂気じみていて、本当に面白かった。



自分の笑いのツボは、シュールな馬鹿馬鹿しさに全振りしながら、狂気じみていて、構成はどこか冷めているネタなのだと思う。終わったあとに哀愁があればなお堪らない。



もちろん予想を裏切る展開の落差で生まれる笑いも、ベタな動きの笑いも大好きで、自分はゲラなほうだと思う。近年のコントはどんどん演劇的なレベルが高くなり、演者の実力も高く、キングオブコントも5分のショート作品としての完成度の高さに毎回驚いてしまう。ただ、それだけではどこか物足りなくて、やはり狂気が見たいのだと思う。日常に潜む狂気を表現できるひとには、その生きづらさを笑いでしか昇華できないニンゲンの物哀しさがあるからだ。



ラブレターズはオールナイトニッポンや階段腰掛け男も聴いていて応援していたので本当に優勝したことがうれしい。自分もそうだが、ラジオに救われてきたような根暗な者たちにとって、最後に狂ったネタをぶつけてきたラブレターズの勇姿に、心から喝采を送りたい。




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