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わたしの課題 生産性とか無為とか
昨日の記事について、どうもモヤモヤして、今日もひきつづき考えている。
(「生産性信奉にとらわれないで生きたい」)
家族と1日を健やかに過ごせたのに、どうして「無為に過ごした」気になんてなるのか。
しかも、書き出してみたら結構いろいろやっているのに。でも、そもそもなぜわざわざ書き出して、やったことリストを眺めて、「うむ、いろいろやった」と確かめなくてはならないのか。
たしかに今、ツアーの仕事はない。でも、仕事をしていなかったら、あるいは、目に見えてわかる達成感がなければ、「無為」になるのか。
(わたしの本業は、ロングツアー専門の通訳案内士)
もっというと、小説では「無為な時間」を美しく描いてくれる作品が大好きなのに、どうして現実の生活となると否定的にとらえてしまうのか。
なぜ、いまでは軽い嫌悪感を覚えてしまうくらいに反発しているのに、「生産性」という概念に縛られつづけてしまうのか。
昔から、こうだった。生産性的概念に懐疑心を抱きながらも、思いっきりその中に飲み込まれてしまう。両者をいったりきたり。たぶん、仕事なり勉学なり、「生産的」だと思えることに従事していれば、バランスがとれてなんとかやってこれちゃったんだと思う。でも、いまは一方がなくなってしまったことで、途端に不安に陥ってしまう。
ないものにばかり、目を向けてしまう癖をなくしたい。いまあるものを、そのまま受けいれて、慈しんでいけるようになりたい。わたしの課題。