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ロングトレイルはテコの支点!歩くことで再生する地域の底力

私は今、秋田県北秋田市にある森吉山から、岩手県の八幡平を通って秋田県仙北市の乳頭温泉まで抜けるロングトレイルのコースを作ろうと奮闘中です。ここでは、なぜこの地域でロングトレイルを作りたいと思ったのか。観光振興だけにトドマラナイ、ロングトレイルの価値について書き記しておこうと思います。


森吉山を出発点とするロングトレイルを思い描くとき、いったい何が生まれるのでしょうか。

歩くことや地域文化の意味を、あらためて考えてみました。最近は日本各地で長距離の山道や里山を結ぶコースが整備され、人々がゆっくりと足を運ぶ「歩く旅(ロングトレイル)」を楽しむ機会が増えてきました。けれども、その旅路に繰り返し出かけたくなるかどうかは、自然だけではなく、土地に根ざした暮らしや物語が関わってくるように思っています。

私の暮らしている秋田県北秋田市でも様々な文化がありますが、地域に住む方々の話を聞くと、マタギ文化が欠かせない要素として語られることが多いようです。マタギというと、狩猟のイメージが先に立ちがちですが、本来は山と共存しながら生きてきた人々の生活そのものを指している気がします。横文字にすると【ライフスタイル】のようなもの。雪深い季節にも山を渡り歩く技術や、動植物と向き合う際の心構え、そして集落同士の支え合い――こうした知恵は、一部だけを抜き出すのではなく、できるだけ豊かな全貌を感じ取ることが大切ではないでしょうか。

その点で、ロングトレイルに期待しているのは「山でどう暮らしているのか」を肌で感じられる環境づくりです。数日間かけて歩くうち、麓から高所へ、そして谷へと移り変わる地形を自分の足で確かめながら、地域特有の自然環境と対峙する。ときには急登に息が切れ、ときには薄暗い森の奥で不安を覚え、ときには風が心地よく汗を冷ましてくれる瞬間を味わう。そんな小さな発見の積み重ねが、あらためて「自分は山や森をどう感じているのだろうか」という問いかけを誘発してくれるのかもしれません。

歩きながら考えているうちに、ふと立ち寄った場所で地元の人に声をかけられ、旬の食材をいただくこともあるでしょう。そこでは山をめぐる昔ばなしが語られ、マタギとして奥羽山脈づたいに何日も山中を歩き回った体験がさらりと紹介されるかもしれません。私たちは観光客として遠目に山を眺めるのではなく、人々の生活を垣間見ながら「この土地で暮らす」という行為にぐっと近づいていく。そんなロングトレイルのかたちがあってもいいのではないか、と感じるのです。

もちろん、ロングトレイルを設定するには、長い道程を歩くための安全対策や、快適な宿泊・休憩のための場づくりが欠かせません。マップの整備も必要になりますし、分かりやすい看板や標識も準備したほうが安心です。そのためには行政や地元の企業、住民の協力体制が求められます。ルート沿いの山小屋を維持するには資金や人手も要りますし、山道の補修などは頻繁に行わないと自然の力ですぐに荒れてしまいます。ひとまず歩けるコースが用意できたとしても、定期的に点検をしながらバージョンアップしていくことが大切なのだろうと、いろいろな地域の事例を見ていると思わされます。

そうした手間や苦労を惜しまなければ、やがてロングトレイルを歩く人が少しずつ増え、山の美しさや地元の人たちが培ってきた文化に触れる人の輪が広がっていくかもしれません。すると、トレイル周辺の宿泊施設や飲食店、あるいは案内人の役割を担う登山ガイドなどに新たな需要が生まれる可能性があります。外から訪れるハイカーの目を通して地域の魅力を再発見するとともに、自分たちが当たり前に思っていた行事や習慣、言葉が「こんなにも面白いものだったんだ」と再確認できる瞬間がやってくるでしょう。

マタギ文化についても、狩猟にとどまらない山暮らしの知恵をどのように伝えるかが課題になりそうです。いきなり罠の設置や狩猟のやり方を説明しても、その一面だけでは「文化全体を理解した」とは言いがたいかもしれません。狩りはマタギのたった一面です。ほかにも十九面はあるのです。狩猟はむしろ省いてしまって、昼は森を踏破し、夜は地元の人と囲炉裏端で話すなかで、自然を敬う心や、山を往来するための技術、それを守り継いできた集落のコミュニティの在り方などが、じわじわと伝わってくる。そんな体験の連鎖をどう設計するか――そこにロングトレイルが、ゆったりとした時間をもたらしてくれるように思います。

もうひとつ、ロングトレイルは環境保全や持続可能な観光の視点とも密接に関わります。歩くことで自然を感じやすくなり、保護活動を意識する人が増えるかもしれません。ルート整備に関わる人たちがゴミ拾いや植生回復に取り組む姿を見れば、「こういう形で山を守っているんだ」と実感する人も出てくるでしょう。訪れる人の増加と自然保護のバランスは難しい課題ですが、丁寧に進めるほどに「ここを大切にしたい」という思いが広がっていきそうな気がします。

さらに、地域に住む若い世代にも、ロングトレイルづくりが新しい学びの場になる可能性があります。たとえば、高校生がトレイルの調査に参加して道標をデザインしたり、デジタル技術を使って地図情報を発信したりするプログラムがあったらどうでしょう。自分たちの暮らす土地を見直すきっかけになり、将来的に地域に残って活動しようと考える人が出てくるかもしれません。地域外の人が「ぜひ歩いてみたい」と思うルートを、内側からつくりあげる試み――そこには、住民同士が協力しあうモチベーションや誇りも生まれやすいように感じます。

このように、ロングトレイルは単なる観光事業ではなく、地域の文化と自然を結びつける回路のような存在だと考えています。何日も山の中を歩くという行為は、人間と土地との関係を見つめ直すチャンスであり、そのプロセスで出会う多くの人たちが互いの価値観を少しずつ交換していく。それが積み重なることで、地方に眠っていた魅力が大きく花開く可能性はあるのではないでしょうか。

ただ、実際に進めるうえでは問題も山積みです。道の整備費用をどうまかなうか、宿泊施設が限られているエリアではどう連携をとるか、山の所有者や森林管理の許可を得るにはどう手続きを進めればいいのか――ひとつひとつの課題に丁寧に向き合わないと、せっかくのプランが立ち消えになってしまう不安もあります。それでも、一歩ずつでも前に進むことでしか道はできない、という気持ちが根底にあるのです。


最後に、こうしたロングトレイルづくりが、地域にとってはどのような意味を持つのか、あらためて考えてみたいと思います。観光収入を増やすだけでなく、昔から続いている文化や地元の人々の思いをひとつの方向へと結びつける「テコの支点」のような役割を担ってくれるのではないか――そんな期待感があります。だれもが安易に求める『起爆剤』ではなく、支点のひとつとして。
山を中心とした生活の知恵や独特の信仰、そして豊かな四季の移ろい。そのすべてを解きほぐすきっかけとしてロングトレイルが機能すれば、地域の未来は意外なほど柔軟に開けていくのかもしれません。歩きたい人、関わりたい人、残りたい人が少しずつ増えていく。その流れの原点に森吉山があると思うと、不思議と心が弾むような気がしています。

総距離は約90kmになる見込みのロングトレイルです。最低でも4泊5日で歩く道は、いつお披露目できるでしょうか。
私が一番わくわくしているのですが、ぜひ一緒に試走したり、整備したりする仲間も募集していきたいと思いますので、お気軽にメッセージくださいね!よろしくお願いします~

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織山英行@マタギ湯治トレイル開発中
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