もう「なんとなく地方創生」は終わりにしよう
――限界突破の資本主義と農山村の逆襲――
私はここ数年、「地方創生」という言葉があまりにも軽々しく使われているのを目にしてきました。皆さんも「地方創生」という言葉の空虚感に辟易としているところではないでしょうか。政府や大企業がスローガンのように掲げても、実際の農山村には新幹線すら通らず、若者が都会に流出するばかり。気がつけば、学校は廃校、商店はシャッター街へ変わり、残された人々が疲弊していく姿を見ては、正直なところ「このままでは地方が本当に消えてしまうのでは」という危機感を抱いています。
しかし一方で、私は「地方」という言葉が示すフィールドこそが、日本の未来における最大の可能性だとも思っています。なぜなら、いま資本主義は大きな変革期を迎えており、その“行き詰まり”を新たなかたちに進化させる鍵が、農山村をはじめとする中山間地域に眠っていると考えているからです。
資本主義のこれまでの総括
従来の資本主義は、経済成長や利益の最大化にひたすら突き進みました。その結果、効率性を優先するあまり、都市部への人口集中が加速してきた面は否めません。大量生産・大量消費の仕組みは確かに豊かさをもたらしましたが、同時に環境破壊や格差拡大といった問題を生んでしまいました。
都市が高度に発展する一方で、農山村では若者が減り、産業が衰退し、生活インフラもままならないという格差が生じました。これまでは「農山村が疲弊していくのは仕方がない」と見る向きが多かったかもしれません。災害が起きる度に『はやくこんなところを捨てて都市部に住むべき』『コンパクトシティ化するべき』『こんなところに住んでるので自業自得』といったコメントは必ずつきます。しかし、資本主義が限界に直面し、地球環境や地域コミュニティとの共生が問われる時代となった今こそ、この地方と都市のギャップを埋めることで、新しい経済モデルが拓けると考えています。
未来の資本主義のかたち
私は、未来の資本主義は「共生型」へと進化していくべきだと思います。成長一辺倒ではなく、自然環境や地域の文化、多様なライフスタイルを尊重しながら、テクノロジーを活用して地域の可能性を引き出すかたちです。
たとえば、AIやブロックチェーンを使えば、これまで都市が独占していた“情報”や“資本”が分散的に活用されやすくなります。農産物や工芸品などをネットで直接販売したり、ブロックチェーンを活用して透明性の高い流通ルートを構築したりすることで、農山村の生産者が中間マージンを削減し、適正な利益を得る仕組みを作れます。また、AIが農作物の育成や物流をサポートすることで、高齢化や人手不足をカバーしつつ、質の高い生産を維持できる可能性も広がります。
このように「テクノロジー+地域資源」の融合が実現すれば、これまで成立しづらかったビジネスモデルや働き方が生まれ、農山村でもしっかり収益を上げられる環境が整うのです。そうした事例が蓄積されれば、「都会に行かないと食べていけない」という固定観念も覆せるでしょう。
都市と農山村の格差をどうなくすか
では、実際に都市と農山村の格差をなくすためには何が必要でしょうか。私は大きく以下の3点が重要だと考えています。
インフラと教育の充実
農山村でも高速通信網や移動手段が確保され、オンライン学習や遠隔医療が普及すれば、都会に匹敵するレベルでの生活と学びが可能になります。教育機会が広がれば、地域の若者がAIやデジタル技術を習得して地元で活躍できる下地ができます。コミュニティ主導のイノベーション
農山村の住民が自らの意志で新しいビジネスやサービスを立ち上げられるよう、行政や企業が支援する仕組みが重要だと考えます。特に、起業を後押しするインキュベーション施設や、成功事例の共有・ネットワーク化が欠かせません。外部から持ち込まれた施策ではなく、地域が主体的にアイデアを出し合うことで“本物の活性化”が生まれるでしょう。地域文化や自然との共生
大量生産・大量消費型の資本主義では見落とされがちだった“地域固有の文化”や“豊かな自然”をきちんと経済価値に変えていく視点が必要です。エコツーリズムやローカルフードのブランド化など、地域にしかない要素を世界に発信できれば、農山村は“辺境”ではなく“世界に誇るフィールド”として認識されます。
私が信じる「熱と必死さ」
最後に、私がこの投稿で一番伝えたいのは「熱と必死さ」です。ここで言う“必死さ”とは、ただ無計画に突っ走ることではありません。農山村を守りたい、格差をなくしたい、この土地が持つ可能性を最大限に引き出したい――その強い思いを行動に移すことです。
資本主義は確かに多くの問題を抱えてきました。しかし、そこにテクノロジーの進化や新たな価値観を取り入れることで、「都市vs農山村」という単純な構図を超えた未来が開けるはずです。農山村にとっては、むしろ“今”が勝負のチャンスです。何もない場所だからこそ、思いきり新しいアイデアを試せるという強みがあります。
私たちが協力し合い、泥臭く取り組んで成功の“種”を育てていけば、大企業や都市部の人々だって必ず振り向いてくれます。いや、振り向かせる必要は微塵もないのですが、地方に住む若者はもちろん、都会にいる方々も含め、私たち自身が「やればできる」という意志を固めて挑戦し続けることが、最後には都市と農山村の格差を消し去り、新しい資本主義の姿を創り上げる一歩になるのではないでしょうか。
私は、この国の農山村が「若者が逃げ出す土地」ではなく、「若者がわざわざやって来る土地」に変わり得ると信じています。どうか一人ひとりが地域でできることを行動に移し、諦めずにもがいてみてください。それが、日本全体の未来を変える力になると信じています。
なんとなくでやれていた時代は終わり、極々限られたリソースを、慎重かつ大胆に振り分けなければなりません。
高級キャビアをクラッカーの上に乗せていくような工程の積み重ね。ひと粒もこぼすことなく、進めていきましょう。