自己紹介|ようこそORIYAMAKEへ
はじめまして!最近フォローをしてくださる方が増えてきましたので、ここで改めて自己紹介のページをつくってみたいと思います。私の名前は織山英行(おりやま ひでゆき)と申しまして、秋田県北秋田市の深い山あい、根森田地区という非観光地で「森吉山麓ゲストハウスORIYAMAKE」という小さな宿屋を営んでいるものです。
宿の情報はホームページでご覧いただくとして、この記事では私という人間が何を思い、何を目指しているのかについて、ご紹介させていただきます。(調子に乗って書き進めていたら合計10,000字とのこと。見出しに番号を振ってますので、無理せず何回かに分けて読んでくださいね。お手数おかけします。)
「なぜ、私はここにいるのか?」
私が住んでいる根森田(ねもりだ)集落は冬になると肩まで埋まるほどの雪が降り、朝早起きして1時間強の雪寄せをしてから1日が始まるなんてことも珍しくありません。春と秋にはカメムシが襲来し、夏にはアブや蚊が乱舞するような場所です。春夏秋冬、人間が我が物顔で闊歩できる季節はありません。都会から見ると「何故そんな不便な場所で宿を?」と首をかしげたくなるような環境です。私が2018年に宿をオープンさせた時も、役場の人から宿泊業の許可を出すのは10年振りだと驚かれたほどでした。
でも、この“どう見ても不利”な地で生きることでこそ、私は「なぜ自分はここに存在するのか」を骨身にしみて感じられるようになりました。
宿を経営しながら、地元に今も息づくマタギ文化を体感できるプログラムを提供しています。私自身も銃を所持してから10年が経過し、ようやくイロハの「イ」が分かってきたところです。そもそもマタギとは熊などの大型鳥獣を狩る猟師集団だとよく言われますが、それ以上に“山に生かされている”という謙虚な精神が根っこにあると、私は思っています。先祖から受け継がれた掟や祈りを守りながら、過酷な自然の中で命をやり取りする。
その独特な生き方(ライフスタイル)に惹かれ、自分なりに学び、実践することで、「人はなぜ生まれ、なぜ死に、そしてなぜ世界を変えようとするのか?」という問いを反芻してきました。巡る日々の中で山の神に祈り、自分を律して暮らすことの大切さを教えていただきながら、汗と泥にまみれる毎日です。
1.マタギ文化が内包する“厳しさ”と“祈り”
1.1 自然に屈するからこそ見えてくるもの
秋田の森吉山麓で暮らしてみると、自然というものが全く妥協を許さない存在だと痛感します。例えば、冬は雪が3メートル以上積もる場所。ある年など4日間連続で猛吹雪が続き、家の前に停めていたお客さんの車が埋まってしまいました。除雪車も来ないし、仕方なくスコップ片手にひとりで雪を掘り進めるしかない。いくらノウハウや作業効率を考えても、“これ以上はムリ”と諦めさせられる壁がある。あと少しで飛行機が飛び立ってしまう。そんな人間の都合など、自然は歯牙にもかけないのです。
マタギ文化にも通じる「山が主役、人間は脇役」という姿勢は、この圧倒的な自然に屈する経験から生まれるのだと思います。狩猟へ出かける前には神社へ赴き山の神に手を合わせますし、授かった獲物には「お前は尊い命を捧げてくれた」と心から謝意を伝える。私自身も、雪の中を何時間も歩き、ヘトヘトになりながら、山の神に「これはどういう意味で歩かせ続けているのか」と聞いてしまうことがあります。もちろん独り言ですが、これは何か特定の宗教ではなく、“自分よりはるかに大きな存在”を前にして自我を小さくする自然な行為(本能)なのかもしれないと思うのです。
ここで、よく“仏教”の話が出てくる本や論考も見たことがありますが、実際に山奥で生きるときはそのような整った言葉よりも先に、身体が先に悲鳴をあげてしまいます。「もう無理」「参りました」と頭の中で本能が絶叫する。そうやって折れていくうちに、逆説的ですが自然と寄り添う術を身につけていくのだと思っています。そのあたりの極限的な感覚が、山で体験できる本当の価値ではないかと思い、日々活動しているところもあります。簡単には言葉にできない価値が湧いては消え、湧いては消えていく。渦中にただただ身を委ねる心地良さ。それを他の人にも何とか体験してもらいたいと願って今日もお客さんと山を歩きます。
1.2 祈りとは本能的叫び
マタギは狩りの前後に必ず山の神様に対してお祈りをします。いまどき「祈る」と言うと、どこか宗教くさいとか、迷信じみたイメージを持たれがちですが。でも、私がこの地で出会ったマタギのおじいちゃんたちは、そういう形式的な儀式にこだわっているわけではなく、命のやり取りが本当に眼前にあるリアルだからこそ、自然に手を合わせてしまうのだと、その姿を見て感じています。
例えば、雪山で熊を追っていて、吹雪が強まり視界が一気に白くなる瞬間があります。山のルート、地形を熟知しているベテランマタギですら方向感覚を失い、崖下へ転落しかねない危険がある。更に進むか戻るかの選択を迫られた時、そのマタギは目を一心に瞑り山神の声を聞こうと必死になる。それは“お祈り”なんて表面的なものじゃなく、“死にたくない”という人間の本能的叫びが含まれているのを私は感じました。そして、そこにこそ祈りの本質が垣間見えた気がしたのです。綺麗事を並べるためのものでも、誰かに見せつけるパフォーマンスでもない。“どうしようもないときに人間が本能で示す謙虚さ”が祈りの根っこにある。だからこそ、死と隣り合わせのマタギたちが、雪山で熊を追う前に黙って手を合わせる姿には重みがある。そのせいか、私自身がハイキング程度の山歩きをする場合でも、「自然を完全に支配することなんてできるわけない」と、身震いするほどの畏怖を忘れず、常に緊張しながら山と接することが出来ているのだと思います。
2.「なぜ自分はここにいるのか」を問うことが、どう役に立つのか
2.1 自己否定の過去と、“山里暮らし”の救い
正直な話、わたしは都会での生活がそこまで悪いとも思っていませんでした。ただ、ある時期は「自分なんて大したことない」「何者かにならねば」という強迫観念に囚われていたような気がします。SNSでの反応をひとつひとつ気にして一喜一憂したり、仕事の成果でしか自分の存在を証明できないような気持ちになっていました。
そんなときに東日本大震災があり、秋田県北秋田市へUターンすることになりました。「いや、こんな山奥じゃ商売にならないし、生活もキツいに決まってる」と思いつつも、何か“捨てる覚悟”をしたかったのかもしれません。都会で培った効率や成果主義とは真逆の環境に身を投げ出してみよう、と。
結果、予想以上に自分はボロボロになりました(笑)。給料は東京で働いていた時の半分になりながらも朝5時から夜23時まで働かされるブラックな職場環境。自分の居場所を見つけるために「地域おこし」と称してイベントを毎月行い、土日は家にいない始末。夫婦喧嘩も多くなり、家の中は険悪なムードになってしまいました。身体も暴飲暴食でブクブクと太り、雪かきで腰と手首を痛め、商売は赤字スレスレ、知り合いも少ない。生きることが楽しくなかった時期でした。理想ばかりが先行し、己の力不足を認めるまでには時間がかかりました。
けれど、その“自己否定”に打ちのめされる中で「ああ、誰も責任を取ってはくれないんだ」という諦めというか、そこでようやく大人になったような気もします。それなら逆に、自分の子どもの頃の欠落や愛情不足すらも含めて誰かが埋めてくれるわけがないのだから、自分で自分を赦すしかないと覚悟を決めました。そうして吹っ切れたとき、「ここに生きている意味は自分で決めていいんだ」と心底思えたのです。誰かの答えを探すのではなく、自分が望む答えを自分で作り出して行っていいのね、と。
2.2 “死を見据える”ことで、いま目の前の人を大事にする
マタギの世界を少しでもなぞろうとすると、やはり死の問題は避けて通れません。山暮らしでは軽い気持ちで雪道を歩いていて、転んでケガをしてしまうことだって命取りになりかねない。木の下敷きになってしまうことだってありますし、以前、隣の集落のおじいちゃんが、今年こそは山菜を取りに行きたいと言って翌朝に倒れ、そのまま目を覚まさなかったこともありました。そんな日常を目の当たりにすると、「死なんていつ訪れるかわからない」とリアルに思うようになります。
何かを始めることが早くなり、嫌なことはすぐに断れるようになりました。いつ死ぬかわからないなら、大事な人との関係をちゃんと育んでおきたいと思えるからです。
これは“生きる意味”を難しく語るより、よっぽど実践的な考え方でした。SNSでの他人の評価なんて消えてなくなるし、どうでもいい。むしろ今日、雪かき手伝いに来てくれた近所のおじいちゃんと、暖をとりながら雑談して過ごす時間がどれほど尊いか。そういう身近な発見を積み重ねることで、あとどれ位生きられるのか?死んだ後はどうなるのか?という未来に対する恐怖心よりも、「ここで生きていて良かった」という実感が強まっていったのです。そんなご近所付き合いも体験してもらえるように、うちの宿では朝早くから集落の散歩に出かけて一緒に触れ合いを楽しんでもらっています。
3.ローカル観光のどろりとした姿
3.1 夢物語で終わらせないための“現実との折り合い”
もちろん、経営という観点では「山奥で宿をやっていけるのか?」という声が絶えません。親や友人、赤の他人まで…。公共交通は不便、若い世代は都会へ出ていき、観光客が年中押し寄せるわけでもない。実際、オフシーズンは部屋がガラ空きで泣きたくなるときもあります。
それでも、私は「マタギ文化を次世代へ伝えていく場」として、この宿屋は続けたいと思っています。どんなに馬鹿げていると言われようが、そう思うことで日々の赤字やトラブルを乗り越えられるからです。実際には役所への補助金申請で頭を抱えたり、スタッフの確保に奔走したり、泥臭い作業が山積み。でも、「この宿がきっかけでマタギ文化を知った人によって、いつか顔の見えない世代まで文化が受け継がれる」その一点だけを信じることで、まだまだ希望に目がくらみます。心地よい白さ。
偉そうに長々と自己陶酔で語っている割に、売上目標を下回る月が多いのも事実。でもそんなとき、地元の農家さんが「余った野菜あるんだけどくうか?」と声をかけてくれたり、SNSを見て遠方から「いつか行きたい」と興味を持ってくれる人がいたりする。その細い糸のような応援が繋がって、「ああ自分はここで諦めては勿体ない」と思える。経営の数字だけでは測れない温もりがあるのです。もちろん、田舎ならではの冷たさもあります。隣の集落が一番のライバルだと思うところとか…。どろどろした部分もあるのが田舎の姿なので、それはそれで受け入れていく必要があります。
3.2 なぜ「何もない」場所に人が来るのか
周りに有名な観光地もなく、山と田んぼばかりなので、よく「広告費をもっとかけて広く知ってもらえば?」と言われますが、現在のところ大々的な広告は打っていません。実際には群馬・長野・山梨のように都会の人々が楽にアクセスできる立地でもないですし、当宿は高級リゾートのような派手さもない。そこで私は思い切って、「狙うターゲットを絞り込む」戦略を選びました。つまり、「オシャレな観光パンフやインスタ映えに飛びつく層」よりも、“泥臭い本物を見たい人”と心から願っている人だけに情報が届くように設計し直しました。ホームページやSNSでの発信方法をガラリと変えたのです。受動的にしか旅を楽しめない人には見えない光があります。お客さん自身が能動的に飛び込むことで、何もない場所に波紋が立ち、輪が広がっていく。その人の周りに新たに出来た輪、感受性の輪、運命の輪。そのことについては、また別の機会に詳しく紹介させてください。
さらに私の宿屋の小さな目標の一つが「日本の有給休暇取得率を上げる」なんて聞くと、「急になんのこっちゃ?」と笑われるかもしれません。日本人の有給休暇の取得率は諸外国に比べてとても低く2023年は63%にとどまり、4年ぶりに世界最下位を記録しています。でも、もし日本の中で有給休暇を100%使える人が増えたら、多少不便な山奥でも「疲れを癒しに行こう」「人生について考えに行こう」と実際に足を運べるはずだと思うのです。それが巡り巡って、地方や山村の観光に新しい活路を開くかもしれない。
そんな構想も描きながら、ローカル観光業界を端っこから盛り上げています。(みんなも有給休暇をもっと使ってローカルへ出かけよう!)
4.ここにしかない独自の山歩き体験
4.1 手を汚し、足が疲れるほど肉体に沁みていく
ちょっと昔の話です。私は学生時代を東京の某美大で過ごしました。アトリエでキャンバスや紙を前に格闘しながら「どうすれば空間そのものをアートにできるのか?」と考え続けました。専攻はメディア・アート。特にインスタレーション作品は、置かれたオブジェや光の当て方、そして観客の動きまで含めて全体が一つの作品になることに興味を惹かれていました。
でも、山奥で暮らすようになり、ふと気づきました。アートとは無縁の生活になってしまったと思い込んでいたけれど「自然そのものが、圧倒的に完成度の高いインスタレーションなんじゃないか」と。誰が作ったわけでもないのに、風の音、水の流れ、光の射し方、動物たちの足跡、人間の吐く息の白さまで、すべてが絶妙に絡み合って“いまここ”の光景を演出している。しかも、その“演出”は毎秒ごとに変化し続ける。
アトリエにいるころは、どこか“創り手”としてのコントロール欲がありました。しかし山では“受け手”になるしかない。足を踏み出すたびに、ザクッと雪がしぶき上げ、目を上げれば木々に積もった雪がでキラキラ輝き、背後では鹿か何かの鳴き声が響く。
山そのもの、山歩き自体をインスタレーションとして受け取るには、ある程度肉体を酷使する必要があるのかなとも思っています。アート鑑賞といっても、ホワイトキューブではない場所が舞台です。整備されていない雪道や獣道を歩くのは決して楽じゃありません。足がズブズブ埋まれば冷たさと体力の限界で心が折れそうになる。そこを踏ん張って一歩を踏み出すと、いきなり視界が開けて壮大な森吉山の山並みが見渡せたりする。その瞬間、感動とか喜びなんて単純な言葉では言い表せないカタルシスが、全身を突き抜けることもあります。そして、それは一回の体験では分からないのも良いポイント。何回も何回も歩くことで、身体も次第に変わっていくのです。例えば、水泳選手の指の間に水かきのような皮膚が発達するように、山を歩くための皮膚の厚さ、爪の曲がり具合などが進化・発達していきます。
意外とすぐに身体自体が適応してくれるのが面白いところ。思えば高校時代に弓道をやっていたとき、押し手の親指の付け根がカチカチになっていき、これは一生なおらない傷ができたと思っていても、一年経つと綺麗に戻ってツルツルになっていました。肉体へ刻み込まれた記憶は消えずとも、表面の変化は激しい。自分の肉体が変わっていくことも楽しみながら、生と死のはざまの山歩き体験をぜひ味わってみてもらいたいです。
4.2 週に1組だけの体験で精一杯
私のなかで自然への感謝がフツフツと湧き上がってくる瞬間があります。「山と自分は持ちつ持たれつなんだなあ」という感じ。マタギ文化でいうところの「熊を仕留めたけれど、山に生かされた命を預かっただけ」という考え方と共鳴するのかもしれません。
だから、私にとっての“祈り”とは「自然を尊びましょう」なんて上からの説教ではないと思っています。むしろ、自然に“なんとか生かしてもらってる身”としての自分を思い出させる行為です。それがマタギたちが、マタギと呼ばれる前から、1万年以上繰り返してきた先祖からの教えでもあり、過酷な山ほど、そうした精神がコンコンと息づいている。山に入るときだけじゃなく、山を出るときにも「ありがとうございました、またお願いします」と手を合わせています。
それを毎回毎回、一から十まで丁寧にお客さんへ伝えています。ゆっくりじっくり時間をかけて、なるべく全身全霊で。そのおかげで、お客さんを宿から送り出した際は、とてもぐったりします。指先がカサカサになり、目がかすむ。
宿屋を始めた当初は一日一組の宿、なんて銘打っていましたが、今はそんな頻度でやっていたら死んでしまう。一週間に一組ぐらいが精いっぱいの、コスパ・タイパが悪い宿になってしまいました。(予約できる日数が少なくてスミマセン)
5.ド田舎の宿屋だからこそできる、血の通った“見える化”
5.1 観光以前に、“本気の暮らし”を見せる
都会や駅前一等地のホテル群から見れば、「山奥に宿を構えるなんて酔狂だな」と思うかもしれません。でも、ここで頑張っている人たちに耳を傾けると、観光だのPRだの意識する前に、“生きるだけで精一杯”なリアルがあるのです。米や大豆を地道に育てるだけでは冬を越せなかった地域。急峻な地形で、田んぼが狭い地域。そのために、熊を狩ることでなんとか生き延びてきた地域なのです。その古くからの記憶を守るために山道を整備し続けている年配の人がいたり、隣のばあちゃんが朝から晩まで冬に備えて漬物をつけていたり【みんな必死に生きてきた】そのことを実感することができる土地です。
私がこの土地で宿を運営していて感じるのは、そういう“地元の本気”を外部の人にそのまま見てもらうことこそが、一番の観光資源だということ。だから、無理なイベントや華やかな装飾はなるべくしないと心に決めています。地元の人が当たり前にやっている畑仕事や狩猟の準備、焚き火にあたって雑談する時間、ニワトリの血抜きする独特の手順、そういう“小さな物語”を訪れた人が自分の五感で体感してくれれば、それだけで強烈にDNAに刻まれるものがあると思っています。
5.2 死を受けとめる“弔い”の文化と、安心して“旅立つ”ための土台
マタギ文化には、不思議なくらい“弔い”を重んじる風習があります。熊を仕留めたら(授かったら)その魂を鎮める儀式をしますし、仲間が亡くなったら山の神に「そいつの命も預けます、よろしく頼みます」と祈る。最初は「どうしてここまで手間をかけるんだろう?」と思いましたが、実際に地元の葬式に立ち会ってみると、死というものを“恐れるだけじゃなく、送る側も覚悟を持って向き合う”からこそ、後に残された人が安心して生きていられるのかもしれないと感じました。マタギの世界では「結婚式」に出席すると猟に出られなくなります。でも葬式はむしろ歓迎される。そのアベコベにも深い意味が隠されているのです。
私自身も、祖父母が亡くなった時にこの地へ戻ってきて、「物理的な体はなくなったけど、あの人たちの気配は確かにここに残ってる」と実感した瞬間があります。宿屋として築70年の家をリフォームした時に、梁や床板はそのまま残しました。そうすることで、ふと私が幼少期に感じた「匂い」そのものをフッと感じる瞬間があるのです。目に見えない菌の仕業なのかもしれませんが、その時には祖父母の存在を感じずにはいられません。
誰もが欲する“安心して死ねる土台”というのは、別に斬新なテクノロジーでも完璧な準備でもなくて、こういう“弔い”と“感謝”の連鎖が自然に醸成されることで成り立つものではないかと思うのです。もしこの宿が、そんな土台づくりのひとつの参考になれば最高だ、とも。
6.“問い続ける”ことは、実は“血みどろ”な行為でもある
「人間は完成したときに死ぬ」と言われます。まだ生きている以上、私たちは常に“未完成”のままで、むしろ葛藤や矛盾、後悔や負け癖を抱えながら成長していくのかもしれません。例えば、偉そうにマタギやローカルを語っていても、実際に集客がゼロになったり、暖房代がかさんで借金が膨らむと「こんなのやってられない」と心が折れそうになる。それでも続けるかどうかは、自分が「なぜここにいるのか」を問うしかないわけです。
“問い続ける”という行為は、ふわふわした自己啓発ではありません。むしろ血みどろの中で何度も「自分には無理か?」と投げ出しかけるたびに、「でも、やはりここでしか得られないものがあるから頑張ろう」と奮い立たせる作業です。私がマタギ文化や山暮らしを語るのは“不確定さを抱え込む”ことに耐えながら、それでもなお自分の人生を肯定していこうとする悪あがきでもあります。
そうやってハイリスク・ローリターンな山里で暮らすと、死と隣り合わせの状況は少なくありません。でも、その一歩手前で踏みとどまるか踏み出すかで、見える景色は激変していきます。どこか死への恐怖があるからこそ、いま目の前にいる人との会話や、目に映る山の稜線がめちゃくちゃ美しく感じられる気持ちは想像できるでしょうか。
最後に:「山を祈りながら登る」その先で、あなたは何を受け取るのか
ここまで乱文乱筆にお付き合いいただき、ありがとうございます。森吉山麓ゲストハウスORIYAMAKEという、正直経営的に不安定な宿を私が続けているのは、やはり「マタギ文化や山の荒々しさを“本物”として体験してほしい」という想いからです。取り繕わない、ツラければツラいまま、嬉しければ嬉しいまま、そうした“むき出しの本音”がこぼれる場所として、この宿が機能してくれたら最高だと思っています。
もし、この文章を読んで「なんだか面倒くさいけど、ちょっと行ってみたい」と感じてくださるなら、いちばん嬉しいです。到着までの道のりでさえ楽しい旅の一部です。電車の本数は少ないし、バスはあてにならないかもしれません。でも、ようやく到着したときに待っているのは、都会の基準じゃ測れない不便さと、だからこそ際立つ喜び。ここで一緒に囲炉裏を囲み、熊鍋やキリタンポをつつきながら、「こんな辺境だけど、人生を問い直すには案外いい場所かもしれない」と笑い合えれば何よりです。
一緒に山を歩くプログラムは、そのひとつの象徴。宗教っぽく聞こえるかもしれませんが、やっていることは単純明快です。山に足を踏み入れ、自分の呼吸を感じ、自然の気まぐれに翻弄されながら、ときどき“命ってすごいな”と思うか思わされるか。その合間に、“死”や“生まれた理由”をこっそり考えてみる。理屈をこねる必要はありません。むしろ汗と泥だらけになりながら、“ああ、これが生きるってことなのか”と漠然と思えたら最高じゃないでしょうか。
最後に、改めて私の問いを掲げます。
● なぜ、私はここに存在するのか?
● 死は本当に終わりなのか、それとも元いた場所に帰るだけなのか?
● どうすれば安心して次の世代にバトンを渡せるのか?
● そして、この先どんな未来が待っているのか?
答えは一生、出ないかもしれません。でも、問いを持ち続けることでこそ、私たちは生き方を選び取り、行動を起こし、悩みながらも前に進むのだと思います。少なくとも、この森吉山麓の厳しい自然とマタギ文化は、その問いを強烈に突きつけてくれる装置として機能しています。もし、この土地を訪れる機会があるなら、どうかその“圧”を全身で浴びてみてください。あなたの人生に、ちょっとした変化が起きるかもしれません。
(↓宿の空室情報などは下記Airbnbページをご確認ください)