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少しの後悔と、デフレマインドからの脱却

地方で生まれ育った20代の若者たちと食事を共にする機会があった。

私の思い違いだろうか。テーブルを囲む彼らの表情には、どこか重い影が漂っていた。

大きな不満を口にすることは少なかったが、心の奥には静かなる波紋が広がっているように見えた。

彼ら自身も「何に不満があるのか分からない」「声の上げ方が分からない」と語っていた。

地域おこしの団体が一つの受け皿となってはいるが、それが本当に彼らの求めるものなのか、疑問が残る。


30年にわたる不景気の影響は、まるで長い冬の寒さのように地域全体を包み込んでいる。

この「デフレマインド」は、物価が下がり続けることで消費や投資が抑えられ、経済が停滞する現象を指す。

しかし、これは単なる経済現象に留まらず、人々の心にも深く根付いているように感じられる。私自身、この30年間で一度も本当の意味での好景気を経験したことがなく、幼い頃に抱いた夢や希望が現実の厳しさに押しつぶされそうになることもあった。

それでも「いつかは好景気を体験したい」という思いが、心の奥底でどこか燻り続けている。

「タクシー運賃で1万円を渡して、釣りはいらないよ!」と冗談交じりに言ってみたくなる瞬間がある。これは、現状への不満とともに、日本の高度経済成長期、バブルを体験してみたかったという古き良き時代への憧れである。

しかし、過去の大人たちに対して「責任を取れ」という声も多いが、実際には日本の教育システムが当時伸びていた製造業と偶然にも合致していただけで、成長も衰退も誰も意図したものではないと感じている。

過去の成功や失敗に囚われず、新たな道を模索する難しさを痛感している。ITバブルで億万長者になった人も、その人の資質うんぬんではないとよく言われることだ。たまたま伸びる産業にいた、それだけで天と地の差がうまれることもあるということ。ただそれだけ。


「気が付いた人から先に進もう」20歳代はまだ暗中模索でいいのかもしれない。私が何か気が利いたひと言でも言えれば良かったのかもしれないが、ただ頷くことしかできなかった。

自宅に帰り、しんとした部屋で会話を思い返すと、その節々に反撃のチャンスはあったかもしれないと思う。地域に住み続ける若者、または一度離れたものの未練を抱き、故郷を再び探し求めている若者たちに。

この地に根ざしながら、山里の豊かな自然を活かし、自分らしく生きる姿を共に描いていきたい。苦しい生活を正当化せず、努力が正当に評価される仕組みを作り上げていく。その過程を共有することで、田舎で稼ぎながら暮らすことの魅力と可能性を示したいと考えている。

デフレマインドが日常化している現状に対して、私たちは絶え間ない挑戦が必要だと感じている。挑戦とは、単に現状を変えるための行動ではなく、自らを超えていく試みでもある。地域の資源を活用し、新しいビジネスモデルを創出し、持続可能な経済を築くこと。

そのためには、失敗を恐れず挑み続ける精神が欠かせない。そして、その挑戦がやがて地域全体を最適化し、経済の循環を生み出す力となることを信じている。

豊かな自然と人々の温かさを現代に蘇らせるために、私たちはどのように行動すべきか。地域の魅力を再発見し、それを発信することで新たな価値を創り出す。また、地元の人々との協力を深め、共に未来を築く姿勢が求められる。具体的には、地元資源を活用した観光業や農業の新しい取り組み、地元企業とのコラボレーションなどを進めているところだ。

私自身もこの道を歩む中で、霧の中を進むような不確かさと確信の狭間に立たされることがある。道しるべが見えない森の中で、一歩一歩慎重に足を踏み出すように、地域の若者たちと共に希望を見出し、持続可能な仕組みを築く答えを探し続けている。

しかし、少しずつでも前進することで、変化を生み出せると信じている。私たち一人ひとりの可能性を信じ、地域の未来に向けて勇気を持って踏み出すことが重要ではないな。

温かく、力強いコミュニティを目指し、デフレマインドを打破し、豊かで持続可能な地域社会を実現するために、私たち自身が変革の担い手となる必要がある。

若者たちが誇りを持って生きられる場所はここにある。それを認識してもらいたい。そのために、私自身も日々の中で感じる迷いや不安を静かに乗り越えながら、確実に活動を続けていきたいと強く思っている。

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