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マタギとギャルの共通点

マタギ×ギャル――「現代社会との巧みな交渉」で共鳴するふたつの世界

なぜギャル要素をいれたし

昼に朝ドラを見ることにハマっています。

最初は12:30の再放送「ちゅらさん」からハマってしまいました。面白いですよね、朝ドラ。

それで、今は「カムカム」で涙腺がゆるみまくりです。なんて素晴らしい脚本なんだ…。

そして、呼応するように「おむすび」が私には合わない…。面白くない朝ドラ。栄養管理士と大震災の話の中に、なぜギャル要素が必要だったのかが理解できません。

なぜギャル?

そもそもギャルとは何なのか…。考えているうちに、私が生き方の参考としているマタギとギャルには共通点があるのかも?と思ったので下記にメモします。


秋田の山奥で狩猟を営むマタギと、都会を華やかに彩るギャル。一見すると正反対に見えるこの二つの文化ですが、実は「現代社会のルールや価値観と巧みに交渉しながら自己実現を図る」という点で、驚くほど似通っているように思えます。

え、最初から飛躍しすぎでしょうか…(笑)現代の中で孤高の存在。


マタギの交渉術――山と法律と観光のはざまで

マタギは古くから東北の山々で熊やカモシカなどを狩りながら生活してきた人びとです。伝統的には「獲物を山の神様から授かる」という思想が根づいていて、狩猟前にはお祈りを捧げたり、獲った獲物を余すところなくいただいたりと、自然への畏敬を欠かしません。

しかし現代になると、狩猟に関する法規制が一段と厳しくなったほか、環境保護の観点から「熊を追いかけるなんて野蛮」という批判も受けるようになりました。それでもマタギは、法の範囲内で狩猟を続けるために免許や捕獲許可の手続きをしっかり踏まえながら、地元住民からの理解を得るために安全対策を行い、さらにはジビエ料理や狩猟体験ツアーなどの観光事業にも乗り出しています。

伝統への誇りはそのままに、法律や観光のニーズという“現代社会のルール”と見事に折り合いをつけている、ということもできるのではないでしょうか?


ギャルの交渉術――同調圧力と就活、そして消費社会を渡り歩く

一方で、都会の街角で独自のファッションやメイクを楽しむギャルたちも、社会との複雑な交渉を強いられています。

日本ではいまだに「地味で真面目」な外見が求められる場面が多く、就職活動では黒髪・スーツが定番とされることも。しかしギャルは「自分らしさを簡単に捨てたくない」という思いを胸に、それこそ“TPO”を巧みに使い分ける技術を身につけてきました。

たとえば平日はバイトや大学の授業でやや落ち着いた髪色とメイクに抑え、週末は派手めにして全力で仲間たちと遊ぶ。SNSでの写真は思いきり盛りながらも、ビジネスシーンではしれっとナチュラルメイクに切り替える。こうして社会の常識にまったく従わないわけではなく、かといって全面的に飲み込まれるわけでもない“ギリギリのライン”を攻め続けるのがギャルの生存戦略です。消費社会の流行アイテムを取り込みつつ、自分だけのテイストを加えて量産型にはならないように工夫する。そうやって、世のルールを踏まえたうえで、なお自分らしい生き方を守り抜いているのです。

朝ドラ「おむすび」の中でも、その面は確かに描かれていました。ギャルの掟、ですね。


ふたつの文化をつなぐ「したたかさ」と「誇り」

マタギは法規制や地域社会、観光客の目とせめぎ合いながら“山の精神”を捨てずに生き残り、ギャルは同調圧力や就活、消費社会の波にもまれながら“自分らしいスタイル”を維持してきました。この「伝統を守りながら社会を動かす」と「社会の要請を捉えながら自分を失わない」という両方の力を絶妙に行き来する姿は、確かに正反対の場所にいるようでいて、とてもよく似ています。

どちらも「そんなやり方は古い」「軽薄だ」などと、外から偏ったイメージで見られがちです。マタギには「野蛮」「恐い」というレッテルがつきまとい、ギャルは「チャラい」などと誤解される。

でも彼ら・彼女らは、その評価さえもうまく利用しながら自分たちの道を切り開いているように感じます。少数派ゆえの試行錯誤や、誤解を力に変えるたくましさも含めて、両者の姿からは“文化”の真髄が見えてきませんか。


現代社会と闘いながら自己実現する、それが“マタギ&ギャル”の真価

もしマタギが伝統だけに固執していたら、あるいはギャルが社会に真っ向から逆らうだけのアウトローだったら、とっくに袋小路に陥っていたかもしれません。けれど、二つの世界はそれぞれのやり方でルールを学び取り、活かせる部分は活かしながらも自分たちの“コア”を守り通してきました。

つまり、マタギもギャルも、ただ現代社会に押し流されるだけではないし、逆にまったく相手にしないわけでもない。「社会との上手な付き合い方」を身につけつつ、最後まで自分たちの誇りは曲げない

そこにこそ、この二つの文化が共鳴する核があるのではないでしょうか。

秋田の深い山と都会の交差点。まるで別世界を象徴するような風景ですが、そこには「どう社会と交渉し、どう自分を保っていくか」という普遍的な問いが潜んでいるように思えます。

マタギが握る銃やナガサ、ギャルが操るメイクやファッション。

使っている道具やフィールドはまったく違えど、「私たちはこう生きるんだ」と社会に突きつけながら、自分たちなりのスタイルを確立していく。

その“したたかさ”や“誇り高さ”を見ていると、まさに人間の文化とはかくあるべし、と思わずにはいられません。

すみません、言い過ぎました。
朝ドラ「おむすび」これからどう面白くなっていくのか楽しみにしています。

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織山英行@マタギの足跡を辿る命の山旅
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