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小さな経済が照らす未来
森吉山麓ゲストハウスORIYAMAKEの織山英行と申します。ここ秋田県北秋田市では、いまも昔ながらのマタギ文化が息づいています。とはいえ「熊を狩る人」という一言では片づけられません。
マタギは、山を荒らさず、いのちを必要以上に奪わず、自然の再生を妨げないよう細心の注意を払う人々です。その知恵はまるで、山と人とが対話を重ねて生まれた“共生の作法”のように思えます。
昨年の春、夜明け前に山へ入る機会がありました。雪解けの頃合いとはいえ、足元の土はまだ凍りつき、吐く息が白い。動物の気配に敏感なり「ここは熊の通り道だ。」と笹薮の状況から判断します。その数分後、新しい熊の足跡を見つけたときは、背筋がゾクッと震えました。けれど恐怖と同時に、不思議な敬意もわいてきます。ここは熊の“生きる場所”であり、人間はほんの少し分け入らせてもらっているだけなのだ、と。
この“敬意”という感覚は、効率最優先の世の中ではなかなか得難いものかもしれません。たとえば大都市やオンラインに代表される“大きな経済”は、必要なものを最短距離で手に入れる仕組みとして圧倒的に便利です。
私たちもSNSや予約サイトを通じ、全国からORIYAMAKEにお客さまが来てくださるのは本当にありがたい。ところが、それだけに頼っていると、数字に映らない“ぬくもり”をいつの間にか見失ってしまう気がします。
北秋田の里山には、昔から“小さな経済”がありました。顔を合わせた人どうしが、「ちょっと足りないから、また明日払うよ」「いいよ、困ったときはお互いさま」と声をかけ合う。会計上は曖昧かもしれないけれど、そこに残るのは「信頼関係」の記憶です。
実際、うちの宿でも「また来るんて、細かいのはその時に頼むじゃ」と言われることがある。そのときは、まるで家族の一員のように見えて、こちらもほっこり笑顔になってしまいます。
とはいえ、大きな経済を否定してしまうと、医療や教育、交通など、地域だけではままならない課題に行き詰まります。
だからこそ、顔の見える小さな経済を大切にしながら、広い世界ともしなやかにつながる“両輪”の発想が必要になるのではないでしょうか。
地域の店や生産者同士が助け合う一方で、オンラインで特産品を販売する。宿泊客にはマタギ文化を体験してもらいつつ、都会のニーズを取り込む。そんな折衷案こそが、真の意味で持続可能な未来を拓くカギだと思います。
ORIYAMAKEでは、冬場の囲炉裏端でマタギの狩猟談を聞いてもらう時間があります。
熊の毛皮や山の道具を囲んで「あの山では、どうやって熊と対峙するのか?」といった質問が飛び交う。そのとき、単なる“昔の武勇伝”ではなく、自然や命と対峙する緊張感をまずはお伝えしています。
一歩間違えれば大けがにもなりかねない狩猟の現場。しかし、そこで得た山の恵みは、土地の人全員で分かち合う。その循環の根底にあるのは「奪わず、生かす」という、ゆるぎないマタギの精神です。
現代の里山は、過疎化や高齢化など多くの問題を抱えています。私たち自身、決して理想ばかり語っていられる状況ではありません。それでも、自然に向き合い、人と人との絆で支え合う暮らしは、急がば回れの精神でじわりと地域を元気にしています。「手間はかかるし、儲けも少ないけれど、やってみないか」。そんな声を掛け合うゆったりとした時間が、もしかすると、これからのローカルを照らす小さな光になるのではないでしょうか。
熊の足跡に震えたあの朝、私が感じた敬意は、今も胸の奥にくすぶり続けています。山の呼吸が聞こえるほど深く踏み入ったとき、自然は人間に「何を大切に生きるのか」と問いかけてきます。
もしその問いに耳を澄ませたくなったら、どうか北秋田の森吉山麓へ足を運んでみてください。夜明けの澄んだ空気の中で、自分の呼吸がほんの少し変わるのを感じるはずです。
小さな経済とは、顔の見えるつながり、しなやかに繋がる信頼関係で成り立っています。
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