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カモシカ林道デスマッチ

ある真冬の早朝、私は雪深い林道の真っただ中に立っていました。寒風にさらされた頬がジンジンと痛む。まわりには人影ひとつなく、足元からは「ギュッ、ギュッ」と新雪を踏みしめる音だけが響きます。

その時は狩猟ではなく、一眼レフカメラを携えて野生鳥獣の生態写真を撮ろうとウロウロと除雪がされていない道をカンジキで歩いていました。

そして突然、私の視界に“彼”が現れたのです。

体長は大人の腰ほど、黒く光る瞳に鋭い角。そう、カモシカです。互いに「え? 誰?」という顔でしばし無言の見つめ合い。次の瞬間、カモシカが一気に走り出し、私も思わず反射的に「待って!(心の中で)」と追いかけてしまいました。


当初は、あそこのピークでコーヒーを入れて飲もう、とかヤマドリが撮れればいいなと思っていましたが、カモシカとの対峙ですべての計画が吹き飛びました。

「カモシカを間近で写真に収めたい!」と、好奇心が先行してカメラを抱えたまま小走りで追いかけたんです。すると彼は急に止まって、くるっと振り返りました。

その目はまるで「お前は何者だ?」と言わんばかり。今度は向こうが私に突進してくる気配を見せたんですね。

「ちょ、待って待って!」と私も慌てて後ずさり。

カモシカは山の斜面を利用して華麗に方向転換し、また森の奥へダッシュ。その一連のやり取りは、客観的に振り返るとまるで田舎の子供同士が“鬼ごっこ”をしているようだったかもしれません。

ただし、その舞台は膝まで埋まる新雪の林道。笑っている場合じゃありません。スマホを取り出そうにも、圏外で役立たず。さらに「もし滑落したら?足をくじいたら?」という不安が、顔をのぞかせます。

しかし不思議なもので、人間って「本能的に追いかけたくなる生き物」なのかもしれません。私自身も走り出すとだんだん楽しくなってきて、吹き飛ばされた雪が顔に当たるのも気にならず、まるで童心に返ったようでした。

だけど、あまりに調子に乗っていたら足を滑らせて、ズザザザッと転倒。カモシカどころか、完全に雪だるま状態に。

遠くのほうでカモシカが「こいつ意外とドジだな」みたいにこっちを見ている気がして、何だか悔しいような、申し訳ないような……。

そんな妙な感情を抱えながら、私は腹這いのまま雪に埋まっていました。


雪の感触って、一見ふかふかに見えて冷たくトゲトゲしています。雪の結晶がものがたっているように、雪は顔に突き刺さります。場所によって硬さも違うし、転んだときの衝撃は想像以上です。

おまけに風で飛ばされた粉雪が目に入ると、じわっと涙が出てくる。その涙が頬で凍る感覚、あれは地味に痛い。

耳をすませば、遠くで木々が軋む音や、枝葉から雪が滑り落ちる“サササ”というかすかな気配。

顔を上げると、真っ白な木立の間を黒い影がすばやく走り抜けるのが見えます。

鼻先には、冷気と樹木の青臭さと、どこか動物の野生めいた香りが入り混じった独特の匂い。…こんな環境でカモシカと追いかけっこなんて、後にも先にも経験できないかもと思いながら息を潜めます。


さて、こんな状況に遭遇すると、まず思い浮かぶのが「このまま遭難したらどうする?」という現実的な不安。携帯圏外で、しかも車も入れない真冬の林道。装備がなければ完全アウトでしょう。

実際、雪山を甘く見ると命に関わる事故は後を絶ちません。しかし一方で、人間は自然との“やり取り”に魅了される生き物でもある。

また、自然保護の観点から言えば、安易に林道を整備して車を通しすぎるのが正解とは限らない。野生動物の生息域をどこまで人間が荒らしてよいのか。山に踏み込みすぎることで失われる自然や動物たちの暮らしだってあるわけです。

しかし、“すべて立ち入り禁止”では山や動物たちと触れ合うチャンスが消えてしまいますし、人間の手が入るからこそ、豊かな生態系が守られている場合もあるのです。経済効果や人の楽しみ、自然との共存…そんなバランスについても考えていきたいものです。


さて、そんな関係のないことが頭をよぎったからかもしれませんが。

結局、私とカモシカとの“林道デスマッチ”はカモシカに軍配があがりました。

いつもはノソノソとウシ科の動物らしくゆったり歩いているのに、本気を出したら雪の中でもあんなに速いとはしりませんでした。

山の中では人間が野生動物に勝てる要素はほとんどありません…。
スリルとワクワクを少しでも体験させてくれたこと、共有できたことに感謝したいです。

このテキストに得られるものはあるのかって?

ひとまず私が言えるのは、「冬の林道でカモシカを追いかけるときは、転倒覚悟で行け」ということ(笑)。もちろん、軽はずみにはオススメしませんが、あのカモシカが私の人生をちょっとだけ豊かにしてくれたのは間違いないんですよね。ちなみに写真は撮れず…。今度また会えるように山神様にお祈りしています。


本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。まだまだ山でのエピソードはあるので、ゆっくり紹介していきたいです。

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織山英行@マタギの足跡を辿る命の山旅
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