
山では自分の一番弱い部分が出る【マタギの教え】
私がマタギの世界へと足を踏み入れたばかりの頃、指導してくださった猟友会の会長さんから「山の中では自分の一番弱いところが出るんだ」と諭されたことがあります。
聞いた当初は、「そんなものなのかなあ」くらいに思ったのですが、冬山に慣れはじめた頃にその言葉の重みを実感させられました。山での行動は、日頃のちょっとした習慣や性格が、極限状態でいとも簡単に表に出てしまうのだと痛感させられる瞬間が何度もあったのです。
マタギと呼ばれる人たちが山に入るときは、獲物との遭遇や雪崩の危険、天候の急変など、平地の生活では考えられないような緊張感がつきまといます。ときには朝から長い時間、山奥を歩き回り、足腰は疲労し、気づけば唇が凍えるほど寒さが身体をさいなんでいることもある。
そんな状況で、もし少しでも気を抜いてしまえばどうなるか。
誤射のような取り返しのつかない事故が起こる可能性はもちろん、道迷いをして下山のタイミングを誤ったり、ちょっとした怪我が命に関わるものへと発展したりする危険性すらあるのです。
緊張が続き、疲れがたまるほど、普段は意識していない弱い部分が顔を出す。だからこそ、マタギの師匠は常々「日頃から自分を律して生きろ」と言い続けています。
何も特別な精神修行をしなければならない、という意味ではありません。
むしろ日常の何気ない場面で「当たり前のことを当たり前にやる」ことが肝心だと言うのです。
特に印象深いのが、車を運転するときに踏切でしっかり止まって左右を確認する、という例えでした。「そんなの、子どもでもわかる」と思う方もいるかもしれません。
しかし、それが“必ずできるかどうか”は別問題。急いでいるときや見通しがいい場所だと、「大丈夫だろう」とそのまま進んでしまう人は決して少なくないでしょう。
この「踏切で止まる」という動作と、山で銃を撃つ前に矢先(銃口の向き)を確認する行為は、本質的に同じだとマタギの師匠は言うのです。
どちらも「ひと呼吸おいて、自分の行動を客観的に見直す」こと。それができない人は、山で緊張が高まったときに必ずと言っていいほど油断してしまうと。
踏切で止まれない人は、山でも「これくらい大丈夫だろう」という甘い気持ちに支配されてしまう。私たちは無意識のうちに、そうした小さな妥協を積み重ねているのかもしれません。
実際、私も一度、日頃の小さな油断が山での大きな失敗につながりかけた経験があります。
まだ雪が深い時期に山へ入ったときのこと。夜明け前に家を出発するのですが、前日に荷造りを終えた安心感から、必要な道具リストを最後までチェックしないまま眠ってしまいました。結果、いざ現地に着いて装備を確認すると、肝心の行動食を忘れていたことに気づきました。
雪中では、行動食がない状態で長時間歩き回ると、体温があがりきらずに足もとが冷え、凍傷のリスクまで出てきます。幸い、その日は仲間が多めに食べ物を持ってきていて事なきを得たのですが、この一件で「普段の確認をおろそかにすると、本当にやばいことになる」という教訓が身に染みました。
山暮らしの先輩方を見ていると、彼らの「当たり前」は徹底しています。
道具の点検はもちろんのこと、銃を扱う前には必ず身体を落ち着けて、山の気配を肌で感じ取るようにしてから行動します。
また、自分の体力や体調に常に意識を向け、少しでも疲労が溜まったら無理をせず小休止をとる。こうした行動の裏には、「もしここで甘えたら、本当の緊急事態で取り返しがつかなくなるかもしれない」という強い自覚があるからなのでしょう。
山の中では命をつなぐ行為の一つひとつが、日常の姿勢と地続きだということをよく知っているのだと思います。
山は大自然の教えに満ちた場所ですが、決してやさしいだけではありません。
私がマタギの先輩にくっついて巻狩りを見せてもらったことがありました。その先輩の背中を追っていた時は突然強烈な吹雪にあい、道が分からなくなりました。樹林帯を通っているときに視界が突然ゼロに近くなり、目印にしていた尾根の形すら分からなくなったのです。
そんなとき、先輩は落ち着いた様子で、いつも通りコンパスを確認し、風向きと雪の吹き溜まり方を見極めて進むべき方向を探り当てました。
あたふたする私に「焦るな。山は逃げない」と言って、自分の行動を一度停止してから判断する“間”を作ってくれたのです。
何度も経験した吹雪でも、いざ恐怖と疲れが混じり合うと冷静さを失いがちです。
しかし、先輩や師匠から教えてもらったのは、日頃の動作は決まって揺るがず、それが結果として私たちの命綱になったのだと、今でも強く感じます。
マタギの師匠の言葉を借りれば、「山は人間をそのまま映す鏡みたいなもんだ」。ここには余計な誤魔化しも取り繕いも通用しません。
自分の内面が浮き彫りになり、弱い部分をしっかりと見せつけられるのです。だからこそ、山に入る前に「踏切で止まる」ような基本の習慣を見直し、日常から自分を律する大切さを胸に刻む。そうすれば、いざというときに取り乱さず、自分と自然を正しく見つめることができるのだと教えてくれました。
私もまだ修行の身とはいえ、この教えは日常でも大きな力になっています。ちょっとした時間の余裕を見つけては、身の回りの整理や道具の手入れをこまめに済ませるようになりました。
車の運転でも、無理な割り込みや急ブレーキを避けるだけでなく、踏切での一時停止を意識するようにしています。心の中で1、2と数えます。
それだけで不思議と心持ちが変わり、どこか落ち着きが生まれるのです。「山の中でうろたえたくないから、今ここで止まるんだ」と思うだけで、慌ただしい日常の中で少し余裕が持てる気がします。
人間は誰しも弱さや甘えを抱えているものです。
けれど、だからこそ山に学び、それを日常に持ち帰る意味があるのではないでしょうか。厳しい自然の中で突きつけられる自分の弱点を、普段の生活習慣から補っていく。
その積み重ねが、山でも街でも通じる本当の強さにつながっていくように感じます。
マタギの大先輩(猟友会の会長)が「山の中では自分の一番弱いところが出る」と言った真意を、今の私はかみしめるようにして受け止めています。
多くの方にとって山は遠い存在かもしれませんが、最初の一歩は誰にでもできます。ぜひ踏切で止まって左右をじっくり確かめるように、自分の行動を見直す習慣を持ってみてください。
そうすれば、山に限らず、どんな場面でも自分を見失わずにいられるのではないかと思っています。
本日はここまで。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
いいなと思ったら応援しよう!
