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目で見ること、心で観ること

はじめに

これはアンサー記事の第2弾。当宿に訪れた体験を綴ってくれた、ペンネーム「たびのきおくさん」の記事を受けての気持ちを表明。

第1弾はこちら。HUNT山田さんの記事に対するアンサー。山で熊に食べられるのって良いよね、という話。
https://note.com/moriyoshizan/n/na889aa5d6391

どちらも20歳代半ばで、私とは10歳ちょっとの年の差がある。所謂ひとまわり違うと、ジェネレーションギャップもあり、好きな音楽や知っている芸人の層が異なっている部分もあるのだけれど、それはそれで面白い。ひとつ世代が違う若者が、どんなことを感じて、それをどんな言葉にして紡ぎだしているのか。それを見るのは楽しいし、その話の中に自分が登場するのだから、これはもっと関わりたいと思うじゃん?

あ、これは最近Youtubeで鎮座ドープネスのMCバトルばかり見ていたせいかもしれない。相手があるからこそ、生まれるもの。相手がいなければ絶対にありえなかった未来。人と人とのつながりが好きだからこそ、正面からぶつかりあいたいと思っているのかもしれない。憧れる。

形式的なメディアの取材は、どうしても表層的な部分だけを柔らかい筆先で撫でられた結果のアウトプットになりがちである。それは仕事だから仕方がないことなのだけれど、発信されたものを見て、少しさみしい気持ちになったりもする。それに対して、と比較対象にしたら勿体ない宝ものであるが、個人的なブログの中で紹介される私や私にまつわるものは、極部分的に切り取られていて、例えるなら、まるで自分のお尻の針で刺してしまったような罪悪感と、この部分が相手の心に刺さったのだなと、刺さったまんまのトゲの形を見て、嬉しい気持ちも羞恥の陰から顔をのぞかせている。分かりにくい隠喩ですみません。
さらに分かりにくく説明したい。自分自身が蚊だとすると、パチンと叩かれて床に落ちて死んでいる姿を観察されているのが大手メディアからの取材。
それに対して、自分がぷ~んと「山田さん」や「たびのきおくさん」を刺して、彼らの腕がアレルギー反応で赤く腫れる。その赤く腫れた部分をじっくりと眺め観察してくれているような感覚。(うん全く分からないけど、ここの表現は3回書き直したし、このままにしておく。)

閑話休題。今回ご紹介する記事はこちら。先に読んでから進んでね。

もう2年以上も前の話。

おかえりなさい。いい話だったでしょ。
「たびのきおくさん」とは、彼女が大学在学中にお会いしたことはあったものの、きちんと話したことがなく、この宿泊のときに初めてゆっくりお話することができた。
2020年3月。
もう2年以上も前の話だ。そんなに昔のことを、覚えていてくれるなんて。一緒に泊まった他の2人とはそれっきりなので、元気かな、どうしているかなと少し心配したりもする。

ここで、たびのきおくさんが本文中に書いている内容で、特に印象的だった部分を引用させていただきたい。

お互いの後世に思いやりをもった行動をする。
自然や地域コミュニティで生きるということは、そういうことだと思った。

この精神というのは自然と共存していく中で、地域コミュニティで生きていく中で、大切なファクターの一つだと思う。私は何世紀にも渡って受け継がれて来たこの精神を、ORIYAMAKEから学んだ。

相手に依存するのではなく、自分で掴み、さらに他に分け与える。

『本当に大切なものは目に見えないんだよ』を体現する文化で暮らす

一緒に山を歩きながら、簡易テントで薪ストーブサウナを楽しみながら、囲炉裏を囲みながら、たくさん話をした。
その中で、上記の【お互いの後世に思いやりをもった行動をする】というのは私の考えではない。なんとなくは思っていたかもしれないが、言語化できておらず、ぼんやりと話していた内容だと思う。自分たちの孫の世代が同じ場所で山菜を採ったり、獲物を授かることができるようにマタギは考えて行動しているんだよーという話はよくする。

新しい視座

でも、ここで書いてくれた「お互いの後世」というのは、新しい視点だった。私には自分の孫、自身の後世しか見えていなかったが、第三者であるたびのきおくさんからは、私と動物、それぞれの後世のつらなりがみえたのだと思う。そしてもう一文「相手に依存するのではなく、自分で掴み、さらに他に分け与える」とは、どういう意味なのだろうと、私でも一瞬で飲み込めない表現が見えた。
相手」とは人間以外の存在だろうとは思う。動物や植物などに依存しないということ。「自分で掴み」とは自分で選択することか。信念や教えに従いながら自分自身で選ぶことを大切にするのであれば、「相手」は自分以外の人間のことでもあるのかもしれない。環境に踊らされるのではなく、自分自身で積極的に観察し、行動を変えていく。それが大事なこと。
さらに他に分け与える」というのは、その行動の原理原則に、自分以外のことを含めるということだろう。同じ時代を生きる周りの人々もそうだし、次の世代の今は生まれていない子どもたちに対してもそうだ。
私自身は、訪れてくるお客さんに対して、ほぼ同じフレーズで話してしまうことが多いので、自分の言葉ではない他人の表現で示されると、一瞬どういう意味なんだろうとフリーズしてしまう。別の角度からのジャブは死角から飛び出してきてクリーンヒットになりやすい。

言わなくても伝わるこころ

そして、最後に書かれている「本当に大切なものは目に見えないんだよ。」という言葉。これは星の王子様に出てくる名台詞らしい。私は知らなかったが、宿のロゴマークの意味を聞かれたときに私が答えているフレーズでもある。
たびのきおくさんに対しては言っていないかもしれないけど、相手が心を開いてくれて、しっかりと深いところを観てくれていれば、伝えたい気持ちはちゃんと渡すことができるのだなぁと嬉しい気持ちになった。

宿のロゴマークはこんな感じ。

ORIYAMAKE ロゴマーク

宿がある森吉地区、そしてマタギ文化が育まれた森吉山の「」の字をモチーフに私の宇宙観をあらわしたものである。
人間の世界と、動植物の世界、それから目に見えない精霊のようなものたちの世界が合わさり、この地球は存在していると思うのだ。そしてそれぞれの世界は、ふたつの輪で成り立っている。何事も表と裏、左と右、両輪でまわっているという思想があり、このロゴマークでも示してみた。楕円についても中心軸が2つあったり、面白い考察はいくらでもあるのだが、ここでは脇道にそれるので一旦ここまでとしたい。

(楕円については、ほぼ日コラムで糸井重里が考察しているので、もっと楕円を知りたい人は下記ページ参照。いい楕円をつくっていこう。)

なにはともあれ、宿に泊まりに来てくれただけでも100%嬉しいのに、それをブログで感想を書いてくれるのは、本当に奇跡だということ。
ネットの記事や写真は目で見るだけだが、実際に現地へ足を運んで五感をつかって体験することで、新しい発見がある。全身をつかって観察することが、所謂こころで観ることなのかもしれないなぁと勉強になりました。スパシーバ!

たびのきおくさんのブログはこちら(ぜひフォローと、自分自身を小娘と卑下する必要ないよとコメントを!)


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