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数学教師「何がわからないの?」

ここです、、、そう言って私は問題文を指差す。
『関数y=(sinx+cosx)+2sinxcosx+1(0≦θ<π)の最大値、最小値を求めよ。』

カツカツコツコツ…

「こんなもの、なんで求める必要があるのかが分かりません。」

医者の子とか大学教授の子とかの筆記音ばかりが響く肌寒い教室でそんなことを言える自分だったなら、今頃もっと大物になっているはずだ。

だが問題文を指差したところまでは本日午前11時頃に起こった本当の出来事だ。
どうにかして真っ当な疑問を抱いている風にしなければ。と足りない頭を働かせて考えていると、数学教師が手を叩いた。

「あ、これ問題文がおかしいのか!ここ、<じゃなくてせめて≦か。おかしいね。」

こうして私は、クラスの誰もが見落とした作門ミスに気付いた天才少女になった。

嘘だ。彼らの関心事はあくまでも数学である。これはあの場で唯一人、心を持った私の自意識過剰なのだ。

人はいつか死ぬのに、何故生きるのか。
どんな風に生きても最後は死ぬのに、何故頑張れるのか。

最近、この問いに脳みその9割を占められていて、何にも集中できない。
どの先生も答えを教えてはくれない問い。

完全理論派のM先生「自殺するほどの絶望でもないでしょ」
母のようなK先生「いずれ死んじゃうけどそれまでをどうやって楽しむかが大切!」
生存率10%の心臓の病を克服したN先生「おれは遺書まで書いたけど、まだ生きたかったから生きてるんだろうねえ」

違う。私がほしいのはそういう言葉じゃない。
本当は、俺のために生きてって、言ってほしいのかもしれない。
自分である意味を、教えてほしいのかもしれない。

この問題が解決しないかぎり、一生こんな真っ暗闇の中で生きていくことになってしまいそうで、それがすごく恐ろしい。

人生も小説も同じ。
読書ばかりしていた小学校低学年のときそう感じてから、狂い始めたような気もする。
いつか終わる。傍観者がいる。
なんなら今この瞬間、私は小説を書いているのだろう。
人生という物語を言葉に表わす。どんなつまらない物語でも。
人は誰しも売れない小説家なのだ。

この1週間くらいで湊かなえ「告白」と中山七里「さよならドビュッシー」を読破し、今は瀬戸内寂聴「夏の終わり」を読み進めています。
中でも「さよならドビュッシー」は私のお気に入りとなりました。ぜひ最初から最後まで一字残さず読んでみてください。読んでいる間、常に緊張していました。
せっかく本を読んでいるのだから、これもなにかに繋げられたら良いなと思っているのですが、とにかく時間が無くて困っています。。。
読書記録ノートを作るとか、noteに感想を書くとか、インスタにあげるとか、ユーチューブに載せるとか、色々手を出してみたいのですが勉強もピアノも小説も絵もやりたくて困っています。

勉強したくないからといって本当に勉強しないままだと、ただの逃げと言うか、あとになって勉強すらも頑張れなかった自分と付き合っていけるのか?という不安が多いです。
勉強したくない!でめちゃくちゃ頭良いっていうのが一番かっこいいんですけどね、、

集英社の新人賞に応募することにしました。1月30日?締め切りだった気がします。間に合うか分かりませんが全力でやるだけやってみます。
物語を言葉で書くとき、私は画像から浮かんでくるんですよね。
抽象画みたいな感じで、物語を画像でイメージはできているんですけどその細部を描き込むのが難しいし、その線を、色を、かたちを言葉にしていくのも大変です。

ピアノ。ラ・カンパネラと英雄ポロネーズとノクターンと月光第一楽章が弾けるようになりたくて、リベンジしています(詳しくは「友達のピアノが聞けない」で、、)。感情の発散手段として大切にしたいです。私にしか出せない音がきっとあるはずなので。これこそユーチューブに載せるべきなのかも。

とにかく今が人生開始以来最重要な局面だと本能が察しているので、なんとか自分を奮い立たせます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。おやすみなさい。




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