1月26日
1月26日。
1、大きな出来事。
小学校1年生から同じクラスになり家から50メートル先に住む幼なじみがいる。集団登校も同じ班で毎日行くのも帰るのも一緒。3年生と4年生は違うクラスになったがまた5年生からは同じクラスになり、小学校のこども会のソフトボールも一緒。たくさんの時間を共に過ごした幼なじみ。
中学に上がり野球部へ。彼も入部。また同じ時間を過ごす。その3年間色々あった。仲も悪くなったりした。許せない時間もたくさん生まれた。彼もやんちゃな時期。いくつものすれ違いを繰り返した。憎たらしい時間。みんな意見も出来なくなった。恐怖を感じる時もあった。だけど根から憎む事はなかった。僕も他の人への態度と彼への態度は違った。
多分意地だろう。喧嘩しても負けるし、ちゃんと負けてたし嫌なこともたくさんされたけど、彼と過ごした時間は他の人より圧倒的に多くて、自分がここで引くとどこか遠くに行きそうな危なさを感じていた。その縁を繋ぎ止める為に対抗した。たまに言う事を聞く時があるから。
僕は心も身体的にも強い人間ではなかったのでそれはそれは弱々しい対抗でもあった。今日は引かないという決意だけ。ダメ。それはダメ。それしか言わない。言えない。なぜダメなのかとかは説明する力がない、説得も納得もさせる事が出来ない、唯一の闘い方。何をされてもここは引かない。それだけ。勝手に自分が彼の砦だと思っていたから。
それが出来たのは彼が僕が言った事とかに腹を抱えて笑ってくれたり、弱い姿を見せて相談してくれたり、正月休みを明けて新年一発目の練習に坊主が決まりなのに、とんでもないウルフカットで現れて笑かしてくれたり、喧嘩して気まずくても部活帰りはずっと一緒に帰ってくれたり、無邪気に素直に友達として楽しい時間を共有してたからだろう。
ヤンキーが猫可愛がってる現象だったのかもしれない。やり過ぎて僕ではどうにもならない時もう1人の正義の塊みたいな幼なじみが間に入ってくれて、彼を叱りつけてくれた。彼は塊の言う事だけは素直に聞く。塊も納得いかない時は誰であろうとどんな立場の人であろうと意見をぶつけてしまうタイプ。
中学の部活は違ったがなぜだか僕と彼と塊はどんどん繋がりが強くなっていた。関係性は分かりやすい、彼と塊がやり過ぎるのを僕が止める。ずっとそれ。なんでそんな事するん?多分この言葉を1番言ったと思う。
高校に進学。僕と塊は同じ高校へ。彼は違う高校に進学。地元にはお祭りがあって高校生になると青年団へ入団出来る。塊が誘ってくれて入団する。塊は彼も誘う。彼はちょっと抵抗するが塊の言う事は聞く、結局、入ると言うまで誘われ続けた。根負けしていた。
そして高校生活。青年団は月は違うが同級生が数名入団した。月1日の寄り合い。16歳から25歳までの青年団員が集まる。高校1年生の僕らは1番下っ端。完全なる縦社会。言う事は絶対。そんな環境。僕はそれを当たり前に受け入れるモブキャラ。そんな理不尽な世界。
上の人たちもそのつもりで僕たちに接してくる。知らない人にも偉そうにされる。グッと堪え、仰せつかさった任務を無抵抗で遂行する。パシリだ。
返事もはいっ!!と大きな声でハキハキ。
僕は右に習え、郷に入っては郷に従え精神の人間。任務を与えられ大きな声ではいっ!と返事をした横で、彼と塊はなんで俺がやらなあかんねん。と睨みつけていた。そう入団早々喧嘩していた。
嘘や。嘘でしょ。めんど〜。はい言うとけよ。めんど〜。なんやねんこいつら。彼と塊以外の同級生も同じ気持ちだっただろう。だる、ややこしいっ。まずその感想だろう。彼と塊以外の同級生に上はお前らがあいつらにちゃんと言わんからやろがっ!とか言うてくる。だるっ。素直にはいっ!!言えや。とばっちり来るやんけ!
そこから毎月の寄り合いのたびにちょっとずつ自分もやりたいですと遅れて同級生が入団してくる。けっこう増えて15人くらいになった。そして彼と塊は同級生の中で地位を確保する。圧倒的独壇場。
最初何で俺らが行かなあかんねんとか言うてたくせにどんどん上の人に気に入られていく。はいっ!!!と無抵抗返事をした僕たちはそのまま。上の人は理不尽な事は彼と塊に頼まなくなった。その分、無抵抗返事衆に任務が届く。パシラされる。
遅かったら怒られる。なんでか彼と塊も同じように怒っている。なんでやねん!お前らなんでそっちの立場やねん!だんだんその状態がおかしい事に上の人も気付く。なんであいつらだけ好きなようにやっているんだと。
僕はチャンスを得た。そうですよね!おかしいですよね!気付いてくれました?あの2人許せないです。みんな同じようにしなくちゃならないのにおかしいです!!チャンスをものにしようとあの2人の悪行を告発しまくった。僕も立場を上げるんだ。無抵抗返事衆から抜け出すチャンスだ。そして2人を引きずり降ろす。
あの時は確実にあの2人を売った。自分の立場を上げるために。
すぐに2人にバレた。
最低だと罵られる。売り込んだ先輩がまずかった。その意図を読まれ面白がり2人に情報を流しやがった。俺たち友達やろ!売るのなんてひどい!
お前らが何もせーへんからやろがいっ!!!
ケタケタ笑っている。クーデターに失敗した僕をケタケタ笑っている。
だけど中には本当に納得していない上の人も現れた。僕の前で掴めない彼と塊の事を悪く言う人が現れた。僕は他の人に言われるのは腹が立つので地道に最初はみんなそう思うんですけどだんだんあのわがままを許してしまう日が来てしまうんですよ。とその考えの勢力を落ち着かせる活動が始まる。
そんな状態でも彼と塊は意にも介さない。好かれるつもりないし。と、堂々たるものだ。
腹立つんやけど!こっちの気持ちとか全然考えへんねんけどこいつら!だるっ!
とか思いながらも僕もどうせこの2人が好かれる日が来るのを読めていたので活動の事は伝えず活動を続けた。いつか分かってくれる日が来ると。
そして次の月の寄り合い。僕が知らない間にその日が来ていた。前回の寄り合いから今日までの間に誘う人がいなくてしょうがなく彼と塊を誘って遊びに行ったそうだ。そのたった1回で勢力たちを虜にしたようで勢力と彼と塊はキャッキャしている。楽しそうに。
は?なにこれ?僕の活動は?勢力をなだめまくったあの時間は?寄り合い終わりに上の人が遊びに誘ってくれるが、その月から僕より先に彼と塊を誘っていた。
ちゃうちゃう!追い抜いたらあかんがな!仲の良さ追い抜くのは違うやん!
虜になった勢力が僕にお前の言う通りあのわがままが可愛くてしょうがないわー。とか言うてきてる。
こっちは郷に入ったら郷に従え精神やのに、なに貫いとんねん!貫いて何好かれとんねん!憎そがられろ!怖気付けっ!無抵抗返事衆に入れ!
ちくしょう。
寄り合い終わり車の免許を持っている人たちが色々後輩を誘ってくれて遊びに行く。前の月まで乗せて貰ってた車には彼と塊が乗り出した事で僕の乗る場所がなくなった。ごめん違う車乗って。
おいっ!待て待て待て待てー!さみしいやないかー!彼と塊から、いや、あいつも乗せたってくださいとかあるかな思ったら何もなく目の前で強く車のドアを閉めただけだった。バタンッ!ブー!
車は走り出して行く。しょうがなく違う車に乗り込み後を付いて行く。
おいっ!こっちの車おもんないやんけ!ちょっとノリ合わんぞ!戻らせろ!そっちに乗せろ!
そんな高校時代。夏休みに入ると祭りのふとん太鼓の叩き手たちの練習が毎日行われる。
叩き手は小学生。その小学生たちに高校生の僕たちが教える。平日毎日。17時から2時間。それに必ず毎日出なくてはならない。用事がある時はしょうがないが基本出るのが当たり前。部活をやっている者は部活を途中で抜け遅れてでも練習に出席する。
叩き手に教えるのはその小学生と同じように叩き手の経験がある人たちが教える。
叩き手の経験がない者は祭り本番で使う紙吹雪の製作。大量の紙吹雪を準備しなくてはならない。毎日はさみでチョキチョキチョキチョキ切って行く。
けっこうしんどい。公民館の冷たい床に座りチョキチョキチョキチョキ。和気あいあいとしながらもチョキチョキチョキチョキ。けっこう面倒だ。
彼と塊はもちろん切らない。ちゃんと毎日出席する。でも切らない。同級生たちはもう彼と塊に強く言える人がいなかった。完全にのさばっている。
その中で同級生で1人だけみんなやってるんやからお前らもやれと指導を入れてくれる奴がいた。くじけずずっと指導している。指導くんと呼ぼう。もちろん簡単に言う事は聞かない2人。肩痛いとかハサミの使い方分からへんとか家でやってるとかありとあらゆる嘘で乗り切ろうとする。指導くんはそんな嘘にもちゃんと嘘つくなとそんなんええねんと指導する。
時々2人も一生懸命やる時がある。指導くんはその時はちゃんと褒める。やれば出来るじゃないか!と。
しかし2人はまた次の日しなくなる。
昨日出来てたやん!なんで今日はやらないねん!
昨日一生懸命やって自分は向いてないと思ったから応援に専念するわ。
指導くんは応援なんかいらんやれと2人を追いかけ回す。漫画みたいな事になる。
指導くんは諦め戻って黙々とチョキチョキ。2人は勝ったと大喜び。そんな夏休み。青年団をやればやるほど同級生の関係性が出来上がり色が出てくる。こいつはこういう奴というのをお互い認識し、変わらない関係性が継続する。
高校を卒業し19歳になり、進学するもの就職するもの、フラフラするもの、町を出て行くもの、と別れゆっくり団員数も減っていく。逆にそのタイミングで入団してくるものもいて入れ替わる。馴染めずすぐ去るものもいる。
色んな事があった。その時の団長のやり方に付いて行けず同級生全員で青年団を抜ける決断した年もあった。結局、説得され抜ける事はしなかったが全員が同じ気持ちだった。そんな経験から同級生はみんなで1つという強い絆が生まれていく。
僕らの年にはこども会のソフトボールから中学の野球部と全部キャプテンをやってくれるリーダーがいた。僕でも指導くんでも彼でも塊でもなくリーダーはその人だ。リーダーは彼と塊はそのままでいて欲しいと思っている。だからさっき言った勢力にもあいつらはあのままで良いんですと説き伏せていたようだ。
社会に出て時間を作るのも難しくなり月1の寄り合いも出れなかったりする。でもそれは許されない。必ず出席。出れない人と毎月出れる人との間で摩擦が生まれていく。こうしてまたゆっくり人数が減っていく。なんだかんだ20人以上いた同級生も10人を切った。
25歳青年団最後の年。団長となる。リーダーが団長。他は何かしらの役職に着く。その中で1番面倒くさい会計に僕は就任する。青年団で使うお金の管理。もう芸人を始めているのでめちゃくちゃ貧乏な時に会計として1年間の予算を預かる。
銀行に入るとかじゃなく現金で。けっこうな額だ。3桁だ。貧乏なのに家にずっと3桁があった。毎日怖かった。盗まれたらどうしよう、落としたらどうしよう、使ってもうたらどうしよう、この3点不安。
使いそうな葛藤と闘った覚えがある、どうにか手を付けずに済んだ。当たり前だ。泥棒だ。横領だ。今思えばあの貧乏な時によく我慢したなぁと思う。
16歳からたくさんの理不尽をくらいながらも祭りの楽しさ、仲間と過ごす楽しさ、この村社会特有のしがらみ、10年間一生懸命頑張った青年団、25歳、祭りを終えると卒業だ。後輩たちとの別れ、彼と塊も泣いている。仕事はサボるが2人も一生懸命やってきた。リーダーも指導くんも僕も。指導くんは双子で指導くんと同じ顔の途中入団指導もいた。みんな小学校から同じ。みんなこども会のソフトボールもしていた仲間たち。小学校は違うが中学校から一緒でおじいちゃんがその町に住んでるという事で入団して小学校からの仲間の輪に頑張って入ってきて25歳まで続けたトランス。
トランスとは普段穏やかなのに祭りになるとオラオラ系に変わりトランス状態になるとこから名付けてます。
10年間、たくさん辞めていった中、残った僕たち。7人しか残らなかった。その最後の青年団。大いに感動した。途中入団指導もトランスも泣いている。僕たちの青春が終わった。
ただ青年団を卒業しただけで祭りには参加する。ほなええがな、何を感動するんやと思うだろうけど、僕たちにとっては青年団が終わるのは子供から大人に変わる瞬間みたいな感覚だ。青年団は町の中の1つの組織で確率されている。お笑いで言うマンゲキみたいなもの。ホームがなくなるような感覚。
そんな感覚の場所を卒業した。
ここからまた結婚し家族が生まれ生活が変わる。途中入団指導が抜ける。海外で仕事をする為に。
そして彼もいなくなる。
彼と連絡さえも取れなくなる。
どこで何をしているのかも分からなくなった。
リーダーと塊と指導くんとトランスと僕。これだけになってしまった。
僕も難波に引っ越し町から遠くなる。またゆっくり形を変え続いていく。
30代に突入する。
そして彼と連絡が取れるようになった。
また戻ってきたいと言う。
一度集まって同い年で話し合おうとなった。
店に集まることに。
彼が久しぶりに僕たちの前に現れた。
驚いた。人相が変わっている。口調も強くなっている。喧嘩腰だ。話し合いにならない。戻って来たいと言われた時は嬉しかったが雲行きが怪しくなってきた。
腐れ縁の僕たちでも抜けたり入ったりされては困る戻るならちゃんとやるのが約束。
それに対しても強い口調で返す。
戻ってこられたら嫌って事か!!
僕たちは言葉を失う。
誰だこの人は。知ってる彼じゃない。
もうこれは今日で終わってしまう。
彼だけど彼じゃない彼と決別するかもしれないとまで思った。
塊が口を開く。
落ち着け。何があったかは知らない。俺たちは敵じゃない。仲間だ。友人だ。敵と思ってるのか?
そこから塊はたくさんに彼に語った。
穏やかに丁寧に。
彼は塊の言う事は聞く。
徐々に人相が戻っていく。口調が柔らかくなる。
笑顔が出てくる。間違いを認める。
ゆっくりゆっくり彼の表情が僕の知ってる彼になってくる。
僕は塊の言葉に感動する。あんなわがまま放題だった塊がしっかりした大人になっている。しかもとても愛情深い。
彼は完全に彼に戻った。
そこから話し合いは進み彼が戻る事が決まった。
連絡が繋がらなかった時も周りからは心配してくれる声を聞く。愛されているのが分かる。
彼には塊の声は届く。
そしてお祭りに彼が戻ってあの時と同じ日常が始まった。大人になった僕たちは残ったメンバーへの愛が深く深くこのまま続けば良いと願いながらいつも通りに戻れた。
ここまでの内容で塊が良い奴なのは伝わると思いますが、塊もさんざん大暴れして大揉めして巻き込む問題児ですのであしからず。
続くと思ってたが唯一、塊を叱れた指導くんもお祭りを抜ける事になった。とても悲しく淋しい決断。相談もなくもう抜ける決断をしていた。
確かにめんどくさいことがたくさんあるし、村社会のしがらみもある、指導くんはもう地元に住んでなく仕事も忙しい。そういう決断も分かるが、とても淋しい。何度も説得したが決意は固く指導くんは退会した。
とうとう5人になった。
僕も東京に引っ越してほとんどお祭りに参加出来なくなった。大阪にいた時は1日だけ行けたり担ぐ時間は行けないが最後だけ顔を出すだけとかになった。
リーダーもトランスも彼も塊も全然参加出来なくても優しくいつでも来いよとちょっとでも良いからなと求め続けてくれる。
彼も順調になり、優しい顔になった。
塊もみんなから一目置かれて、トランスも祭りへの愛が深く同級生への想いも強い。リーダーもずっとリーダーとして頑張ってくれていた。
僕たちは順調だったと思う。
1つ上の人と2つ上の人と僕たちはとても仲が良く高校の時からずっとその3学年で遊んで喧嘩して仲直りして集まって騒いで兄弟のようになっていった。
3学年集まるとけっこうな人数になる。2つ上には彼のお兄さんもいる。お兄さんには彼の家で大騒ぎしてよく怒られてきた。手を焼いたとよく言われる。毎日遊びにきて夜中まで騒いで迷惑を掛けた。
彼はお兄さんがいるので特に2つ上の学年の人たちから可愛がられていた。昔から知ってる弟。彼には弟もいて男3兄弟。兄弟への愛情も強く良い関係だと思う。お兄さんも弟も真面目で、真面目に頑張ってるのに愛されるのは彼でいつも笑いながらなんでやねんと言っていた。彼はいつも憎めない。めちゃくちゃしてても憎めない。許してしまう。それくらいの魅力があって繊細で淋しがりで絵も天才的に上手くシューズのコレクターでイエローモンキーの良さを教えてくれてオシャレで顔もめちゃくちゃ男前でモテた。大人の男なのにトイレ行くのも誘ってくる。1人よりもみんなで一緒にいたがる。ちゃんとわがままも残っている。40歳を過ぎて同学年は5人になったけど彼と塊と僕、サンコイチと呼ばれてきた仲間も残って、16歳の頃の関係に戻った。彼は僕の事をめちゃくちゃ応援してくれていた。こっそりライブも見に来てくれていた。大阪でやったベスト単独も何も言わずチケットを買って見に来てくれていた。
僕たちは同級生へのストレスがなくなりお互いを受け入れ合い1番良い形になった。せめてそこに指導くんもいてくれたら良かったとは思うが、なるようになった形で、僕もなかなか会えないがLINEグループは活発に動く、小学校1年生からこの年齢までずっと同じ呼び方で居続けれた。じじいになってもあだ名で呼んでるのかな。想像もする。呼んでるだろう。
だが、1年前彼は亡くなった。
突然の訃報。数日前にLINEもやり取りしていた。
亡くなったのだけ伝わってきて詳細は伝わってこなかった。同級生もみんな何が起きたか分からない。僕はライブ終わりに同級生のLINEグループからの通知がおかしい数で何かあったのはすぐ分かった。
最初は誰か捕まったとかなのかと覚悟を決めてLINEを開いた。思いも寄らない訃報だった。
想像もしていなかった事が起きた。震える。東京にいてる僕はすぐに向かう事も出来ない。どうしたら良いか分からない。
冷静に明日すぐ大阪に行ける準備を始めた。ライブがあった。トップバッターに変更してもらいそれ終わりですぐ行けるようにしてもらった。
だけど訃報から何の情報も入ってこない。同級生に聞いても俺たちも分からないと。会いに行きたい。信じれない。見るまでは信じない。
だけど、そこから数週間詳細は分からないまま過ぎて行った。地元に住んでいる同級生たちも何が起きているのか掴めていない。
そして詳細が届いた。
お兄さんから長文で丁寧に経緯の説明が届いた。
それはたくさんの葛藤と悲しみと気遣いが入り混じる文章だった。
僕たちは腹ただしい気持ちになっていた、なぜ何も情報が入って来ないんだ。同級生の想いはどこにぶつけたら良いのだ。宙ぶらりんで数週間過ごしていたから。
でもお兄さんが届けてくれた想いや経緯を読むとその気持ちはなくなる。悲しみが溢れる。辛さも伝わる。
彼は夜中家からコンビニに行く間の道で倒れた。通行人が発見し通報してくれた。発見までに時間が過ぎていた。その日は冬にも関わらず20度近くになった日。条例で警察と市の検死が必須。家族も会えない。数日が空いてやっと面会出来た時には暖かい日が続いた事もあり、もうすぐに火葬しなければいけない状態だったそうだ。色々段取りを踏んでる時間はなかった。すぐに葬儀場を探すが明日すぐとなるとなかなか葬儀場も見つからない。ようやく見つかりすぐに身内で葬儀が行われた。ご家族は憔悴し悲しみのどん底で受け入れるまで多くの時間が必要だった。
そして数日後会いに行ける事になった。
同級生だけで会いに行った。同級生だけで行ける時間をご家族の皆さんに作ってもらった。
もうそこには遺骨しかなく彼は写真の中。そこに訪れて僕たちもまだ受け入れれてない事に気付いた。涙なんて出てこない。信じるとか信じないとかじゃなく説明がつかない。不思議な感情。今この文章を書いている時は涙が溢れるのに。その時はこれから淋しくなる事も想像出来ていなかったのだろう。
長居するのもそこそこに出ようとしたとき彼のお母さんが挨拶にきてくれた。
小学校1年生の時からたくさん彼を叱ってる姿を思い出す。とても愛してる姿を思い出す。初めて涙が溢れる。塊もトランスもリーダーも抜けたが一緒にきてくれた指導くんも僕も、みんな、お母さんの表情を見てもう彼がいない事が伝わる。僕たちはもう大人だ。感情のまま動いてた時とは違う。感情を操作出来る。でも、どうにもならない感情が込み上げてくる。でもどこかやはり受け入れれていない複雑な感情。ご家族もまだまだ受け入れれていない。訪問者が来る度に悲しみを味わってしまうだろう。それでも僕たちだけの時間を作ってくれた。僕たちはその夜飲み明かし泣いて笑って彼にされた悪行を告発し笑ってまた泣いた。
それから約1年が経ち1月26日彼を偲ぶ会が行われた。1年かけてみんながどういう形でやるのかどこまで呼ぶのかたくさん話し合って彼にとって1番喜ぶ形を見つけて行われた。
僕は全くその話し合いには参加してなく彼の家に行った以来の再会になった。
騒ぐのが好きでしんみりなるのも嫌いでたくさん人がいるのが好きな彼が喜んで欲しくて、兄弟のような3学年だけで最初やる事になった。途中からそれ以外の人たちも来てもらう形に。
高校生から共にしてきたみんな。もう家族がたくさんいる。家族みんなで参加して大人数になった。
楽しくて悲しくて淋しくて嬉しくて盛り上がってめっちゃスベってとにかく素晴らしい会だった。
それでもちゃんと受け入れている訳じゃないし、受け入れなくて良いのかなと思う。今まで通りたまに連絡取る感覚で思い出してみんなで集まりその場にいてるように自然なままで。
僕のnoteはメモ代わり。忘れないようにここに書いている。忘れたくないのでここに書いた。
僕たちの関係は美しいものでもない。たまたま同じ町に生まれてたまたまお祭りがあってたまたまこうして続けてて色んなたくさんのたまたまで積み重なってきてるだけで。だけどそのたまたまが強い絆になって今にいたる。これからもまだまだ何か起きる、良い事も悪い事も悲しい事もたまたま何か起きる。たくさんあるたまたまの中でこの日はとても大きなたまたまになるのは間違いない。彼にずっと言ってたのは信じ過ぎちゃダメ、肩の力抜くんやで、嘆いてても何もないで、彼にずっと言われてたのは言い訳多いねん、トイレ一緒に行こ、金玉でかいねん、ありがとうな、ほんま好きやわ、頑張れよ、応援してるよ、祭り来いよ、タバコ一緒に行こ、話聞いてくれと毎日2時間の電話。
問題児。なのに、彼の事が大好きだ。彼もみんなが大好きだ。ようやく落ち着いてお互い大好きだと口にも出せるようになってきていた。なんとなくこの更新で現実的になってきたかもしれない。
お兄さんに許可を得てこの内容を書いている。
noteたまに読んでると地元の人間に言われたので思い切ってこの内容を書いた。
当初は地元の集まりがあった事だけにしようかと思ったが隠すのが許せない。なんでいなかった事にして書かなあかんねんと。
勝手に僕が好きで書いてるだけやのにね。
その町にお祭りがあったから、お祭りが続いているから僕たちは出会い今がある。
人は死ぬ。いつ死ぬか分からない。死ぬために生きている。なら死ぬ時たくさん思い出し笑いしたい。彼は思い出す時間を与えられなかった。僕たちが覚えとく。僕たちが思い出す、だから一緒にいてる。
また会おう。またな。トイレ一緒に行こな。
それではまた明日。
チップは今回は無しでよろしくお願いします。