アナログ同様にデジタルも追求した30年前。懐かしい話も少し。
暗室の鬼で、フィルムモノクロームで作品を発表している私、今でもフィルム現像液を自作したりサイアノタイプなど古い技法もやっておりますが、一方でデジタルとの付き合いもなかなかの長さになりました。
海のものとも山のものとも、の時代。だからこそと思った
1994〜95年、Mac・CRTモニター・フィルムスキャナー・プリンターなど手に入れて、画像処理を開始(当時のPhotoshopはフロッピーディスク!MacのHDは夢のとまで言われた1GB)。
1999年カメラの画素が200万画素くらいになった頃、デジタル撮影の仕事を請け負いました。
オリンパスでございました。
フルデジタル環境の初仕事は忘れもしない「フォーエバータンゴ」の舞台。
一眼レフ以外はプロ機でなかった時代ですから、デジカメの音が出ない仕様は音楽公演(舞台も)福音だったわけですね。
タイムラグ、バッファ不足で撮れない時間がある、その他色々。。。大変だったのですが、それでもまぁ可能性と申しますか、強みはあるなという印象。
実際、結構綺麗な写りだった記憶しています。
中判デジタルバック
懐かしい話では、モノクロCCDに三原色のフィルターをかけて1枚づつかけて3枚撮影し合成するなんて時代も経験しています。
1枚だけの撮影でいいとなった時、その製品には誇らしげに1ショットタイプと銘打たれておりました。
また、これも2000年代初頭と思いますが、400万円くらいするハッセル用デジタルバック(imacom)でスタジオ撮影をしていて。大きなモニターに表示されるモデルさんの顔がどうしても暗く映り(昔のことですので、白飛びしない露出で撮るとこうなりますし、だからと言ってモニター設定は固定、明るく表示するとかもなく)、いつものフェイストーンとはかけ離れていて。。。現場の空気もどんより。。。いやいや、これはデータ上こうしなければならないだけで本当は〜、と弁明に追われ、混乱させないために説明用としてポラロイドFP100Cでも撮影したりして。
その次の日、私の体には蕁麻疹が。。。
森谷はデジタル撮影で蕁麻疹が出た、噂が広まったのもこの頃です。
ちょうど私の銀塩モノクロの作品が評価されている頃でしたので、フィルム派の森谷デジと肌が合わず的な噂だったのかもしれません。
蕁麻疹が出たのは事実でしたので、まぁ弁明も含め飲み会の鉄板ネタみたいな感じでしばらく使っていましたね。
(imacomで検索しましたら以下の記事に出会いました!)
もう一つ!
進化してもモノクロだけは難しいという時代が
さてさて、今はというと、性能の進化に驚くばかりほんとびっくりしますね。
面白い時代に写真に携われたなと感じます。
そんな中、どれほどデジタルが進化しても、フィルムから銀塩のバライタ印画紙に焼き付けられた写真の美しさには敵わない、いつもそう実感していました。
この分野だけは、8bit256諧調の制約(16bitでデータを作っても印刷物は8bit)が重くのしかかります。
が、もうお分かりですね。
そんな時ほど、力がみなぎる。挑戦したいと強く思います!
ある時からデジタルモノクロームの研究に入りました。
次回より、そんな話を書き続けてみたいと考えています。