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作品シリーズ「み熊野の」について(その1

写真家の森谷修です。
今回は私の作品シリーズ「み熊野の」についてお話ししてまります。



偶然が偶然を呼び、点と点が結びついた撮影体験


2015年写真撮影係として友人に同行した熊野、まさかこれほどまで深入りするとは思いもよらず。。。ただ、古(いにしえ)より聖なる地・大斎原(おおゆのはら)に足を踏み入れた瞬間に、込み上げてくる言いようのない感情に動かされて。。。その後は、偶然が偶然を呼び、これまで別々であった点と点が結びつく不思議な体験へとつながっていきました。

まずは大まかな概要として、2015年に始まった旅がどこへ行き着いたのか、時間を少し飛ばして、2022年~23年開催の大規模な長期写真展の際に私が書きたステートメントをお読みいただきたく存じます。
(2022年~23年の展示は「市ヶ谷DNPプラザ〜表現工房〜」での3ヶ月間、現地では「世界遺産熊野本宮館」(詳細はこちら)・「三重県立熊野古道センター」・「ナダール京都大山崎」で開催いたしたものでございます。)

写真展「み熊野の」ステートメント

遠い昔、人々は岩や滝、巨木など自然物に祈りを捧げてきた。紀州熊野の山中には、今もそうした自然信仰の痕跡が多く残されている。
私はこの「祈りの原風景」とも言える熊野に強く惹かれ、何度も歩き彷徨いながら写真に収めてきた。
それは前作「バリの祈り」で表現した祈りの形から、さらに時空を超えたものの見方へと変化していった。私自身が古代人の心と眼を持って、今の熊野を旅する。大いなる自然と向き合い、ただならぬ気配にブルブルと震え、心揺さぶられ、強い畏怖の念を抱いた。
熊野はまた、平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった歴史の大転換機に強い存在感を示した。京都より上皇や貴族、あるいは平清盛など武士が長い道のりを何日もかけてこの地を詣でたのはいかなる理由があったのか。この世に存在する“あの世”すなわち熊野の地へ向かい、エネルギーを得てまた蘇る。旅をするうちに私もまたこの思いと大きく向き合うこととなった。
 
「み熊野の」とは万葉の和歌、その書き出し冒頭部分である。古く巡礼では道中に和歌を読み熊野の神々へ手向ける行為が行われていた。私の写真もまた神々への捧げ物、私の作品群から「み熊野の」に続く上の句下の句を感じて下さったら幸いである。

森谷修写真展「み熊野の」ステートメント

2018年熊野本宮大社創建2050年記念 プラチナプリント奉納新聞記事

続いて、2018年に熊野本宮大社へのプラチナプリント奉納に関する新聞記事を貼り付けておきます。
写真が持つ「残す」「アーカイブする」ということ、また芸能や芸術の初源的なありようである「捧げる」ということ、自分の写真家人生においては一つの区切りとなった瞬間だと思っております。

2018年11月22日紀南新聞

「祈り」とは何か、古の人々は大いなる自然に何を見たのか

古来より人々は大いなる自然物に祈りを捧げてきました。岩や大木、滝や山そのものにも。そうした人々の心のありように私も深く魅了され、「祈りの原風景」とでも言うべき自然信仰が色濃く残る場を訪ね歩いています。その旅はまだまだ途中ではありますが、これまでの道のりの一端を記事を書いてまいりたいと存じます。様々な出会い、見聞きした話、写真の技術的側面、写真家として感じたあれこれなど。
また訪れて頂けたら幸いです。

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森谷修_photographer
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