作品シリーズ「み熊野の」(その2)
前回記事からの続きです。
https://note.com/moriya_camera/n/nac0e75df8e75
古代の人の感性に惹かれ
大学では古典文学を専攻し、卒業後映像の道に進むも古代の歴史や神話、民俗学を愛し研究していました。深く知れば知るほどに、さらなる魅力が現れる。民俗学は本当に面白いです。
私の興味は、現代人の感性では見えぬものへ向かいます。古い時代の人々の心のありように強く惹かれ、今に残る風景にその痕跡を見つけ、さらに思考を深めます。
その性質は、知らず知らずのうちに写真家として生きる私のモノの見方へと結びつきました。古代人が見た風景、現代人の感性では見過ごされてしまう何かに向かう性質。初期作品「沖縄モノクローム」をプリントしている際にハッと気がついたことでございます。写真家・森谷修の特長なのだと今は思っています。
作品シリーズ「み熊野の」は、その性質が一番色濃く出ている作品群と言えましょう。
誰もいない森の中で
平安時代後期から鎌倉期にかけて、京都から熊野三山へと詣でる「熊野詣」は非常に盛んでした。時の上皇や平清盛をはじめとする武将が何度も幾つもの山々を超えて彼の地を目指します。彼らは皆、生まれ変わること、すなわち蘇ることを願い苦難の道のりを乗り越えます。(このことはまたどこかでじっくりと記すつもりです)
熊野の山々をただひたすら歩き、誰もいない森の中で、いつしか私は古人(いにしえびと)とシンクロしていきます。旅の中で見たもの感じたものを即座に記録する、通常の風景写真とは別の方法論がしっくりときて、だんだんと撮影スタイルが確立してまいりました。
それなら使い慣れたライカで。最終仕上げはプラチナプリントを想定していたので作業工程を鑑みた結果デジタルカメラにすると決めてまいりました。
次回は、機材やプラチナプリントの話をしたいと思います。