父のうそ
ガスホルダーとかガスタンクとか呼ばれる大型の貯槽がある。
一般家庭に安定したガスを供給する為の施設というかとても大きな容器だ。
まだ子供だった頃のわたしが羨望の眼差しで見上げていたもの。
小学校低学年の頃、よく父の仕事について行っていた。
父が運転する車の助手席がわたしの指定席だった。
流れる景色の中で自動販売機の数を数えたり、前を走る車のナンバープレートで足し算や引き算をしたり、時には大きな声で歌ったりするのが好きだった。
ある時、わたしは大きな大きな丸い建物に釘付けになった。
すぐさま、運転中の父にあの大きなものはなにかとたずねた。
それは、まわりのビルよりもっと高くて小学校の運動場よりもっと大きくて、まん丸だ。
表面に何か文字が書いてあるようだけどなんて書いてあるかはわからない。
「あれは、プールだよ」
わたしの顔をチラッと見たのはほんの一瞬で、すぐに目の前の信号に視線を戻しながら父が答えた。
ずっと停まって見ていたかったけれど、なんなら車を降りてすぐそばまで行って見てみたかったけれど、信号が青に変わって車は走り出してしまった。
後ろに後ろに、少しずつ小さくなっていくそれを、体をねじって振り返りながら、今度あそこに連れてってと父にお願いした。
「ああ、今度な」
わたしは、自分があの大きな丸いプールで遊ぶ様子を想像した。
あんなに大きくて高いところにあるプールだから、きっと特別な人だけが遊べる特別なプールに違いない。すごい。
わたしの中に、その特別なプールは強烈な記憶として残った。
その後も何度もその特別なプールの前を通ったし、その度にわたしは羨望の眼差しで見上げたものだ。
だけど、結局一度も連れていってもらえなかった。
ずいぶん大きくなるまでそれがプールだと信じていた。
本当はガスタンクだと知った時のことは覚えていない。
どうしてあの時父があんなうそをついたのか、その理由を確かめたのか、それも覚えていない。
あれからいったい何年たつだろう。
あの時、あんなうそをついた父は、今でも元気だ。