黒井健を追いかけて(1)
新潟市出身の絵本作家、黒井健さんのことを書く。2022年11月12月に新潟市の新津美術館で「画業50年のあゆみ」展が開かれた。黒井健さんは多くの絵本を手掛けているが、中でも新美南吉と宮沢賢治に向き合い続けている絵本作家だ。展覧会会場に置かれていたビデオの中で黒井さんは「自分の作品は、作家のテキストを『私はこう読みました』という感想画なのだ」と言っていた。テキストととことん向き合い、正直に自分の感じたままを表現しようとする黒井さんの姿勢に私は共感と関心を抱いている。
50年の間に黒井さんの画風は変化していた。会場の一角に初期の黒井さんの作品が並べられていた。美大の受験に失敗した黒井さんは新潟大学の教育学部美術科を卒業したあと、あてもなく上京し、学習研究社で絵本の編集の仕事をする。しかしどうしても自分で絵を描きたくなって学研を辞める。学研の元同僚たちから小さいチャンスをもらって様々なイラストを描いていく。やがて絵本の絵を描くようになる。新潟県立図書館に残っている一番古い絵本作品は『あめってあめ』(矢崎節夫作ポプラ社1976)だ。これは黒井さんの書店デビュー絵本だ。愛敬のあるクマちゃんの顔が印象的だが、黒井さんはその背景色をどうしても塗れなかったと書いている。(注1)それから絵本や絵本雑誌に絵を描き続けて10年過ぎたころ、黒井さんは満たされない思いでいた。書店に行っても自分の描いた絵本がなかったという。自分の絵本が読まれていない、自分は絵本に向いていないのではないかと悩んだ。
そのタイミングで新美南吉の「ごんぎつね」に出会う。主人公が死んでしまうという衝撃的なお話を読んで新美南吉に興味を持ち調べ始める。これは黒井さんが書き手に興味をもった最初の作品だった。(注2「第28回新美南吉顕彰講演会」記録)黒井さんは新美南吉の足跡をたどる旅をし、矢勝川の風景を見て不思議な感覚に陥った。新美の文章を読み直して何かの力によって描かされたように描いていく。そうしてできあがったのが『ごんぎつね』(新美南吉 偕成社1986)の表紙画だった。黒井さんはあまりにうれしくて描き上げた絵を抱いて寝たと言っていた。この作品が黒井さんのその後の方向性を決めた。「文章作品の感性と、絵を描くことで対話し教わることは、私の心にみえなかった扉を開き、それ以降の絵を大きく変えてくれました」(2012年『黒井健 絵本の情景 絵本…文と絵のハーモニー』読売新聞東京本社)と黒井さんは書いている。『手ぶくろを買いに』も含め、それ以降「自分の思った通り感じたとおりに絵を描く」(『第28回新美南吉顕彰会講演会』記録)ことにしたという。
黒井さんの宮沢賢治との最初の出会いは『銀河鉄道の夜』だった。日頃あまり泣くことのない黒井さんが、その本を読んで涙が流れることを不思議に思い、興味を持って調べ始めたそうだ。黒井さんはゆっくり賢治と付き合い始める。『猫の事務所』(偕成社1994)も宮沢賢治、その人を知ろうとしながらできた絵本だ。賢治が自分の理想と現実をなかなか合わせられなくて、常に願っていたにも関わらず理解されなかったことがわかり、この絵本の猫の表情ができていった。こうして黒井さんは、賢治が何を考えてどう生きたを知るために詩を読み始め、花巻や盛岡を旅している。『雲の信号』(偕成社1995)はそういう生活の中からできた本だ。しかし、今回の展覧会で私はある言葉を見つけた。
「賢治の心が見えてこない」
詩集を読んでも賢治が何を考えていたのかわからなかったという。黒井さんはわからないところからスタートし、わからないまま、わかりたいと思って宮沢賢治に向き合い続けている。自分の作品は宮沢賢治へのラブレターなのだと言っている。
さて、展覧会の会場に戻ろう。会場に入ってまず出会うのは『しなの川』(鶴見正夫文 PHP研究所1994)だ。信濃川の源流から河口の日本海までの風景と物語が描かれる。取材から3年かかったそうだ。文を書いた鶴見正夫も新潟県出身だ。この作品が出来た直後に亡くなっている。それも感慨深い。そして信濃川の下流の風景に黒井さんが強い親しみを覚えていることを感じる。黒井さんの原風景は何だろう。それは『黒井健の世界』(サンリオ1988)に書いてあった。新潟の町、日本海、信濃川、越後平野、白根、中之口川。新潟高校の裏の松林、日本海の海岸は黒井さんが最も好きだった場所だという。そして、母の実家のあったという白根、中之口川の風景が気になって、私も何度か写真を撮りにいった。田んぼにはさ木、弥彦山。これもきっと黒井さんの原風景にちがいないと思った。黒井さんがかつて新美南吉のふるさとの矢勝川の風景を見た時に感じたような予感を私も勝手に中之口川に感じた。小学生の頃、白根で夏休みを過ごした黒井さんは釣りをしたり、川で泳いだり、従兄と寝食を共にしたりしている。
『黒井健の世界』には彼が絵の世界に惹かれていく過程が書かれていた。病弱で家にいることが多く、工作が好きだった少年時代。小学5年生くらいからは家で模型飛行機や鉱石ラジオや建物など立体物を作ってばかりいたという。高校時代は理系で建築科希望だったそうだ。(『絵本、好きですか?』永田萌 大和書房1994)建築的思考は今の絵本づくりにもつながっているように思われる。一方で、一つ年上の白根の従兄が、絵を描くのがうまくて、彼に絵を描く楽しさを教えられたのかもしれないと語っている。
黒井健さんの画業50年の始まりには新潟の海と田園風景があることを確信した。
注1 「あめってあめ」 - 黒井健絵本ハウス (kenoffice.jp)
注2 「絵本・私の出逢い~南吉さんと賢治さん~―第二十八回新美南吉顕彰講演会―」
新美南吉記念館研究紀要新美南吉記念会編 (22)2015 p1―19