モリト創業者 森藤寿吉物語
こんにちは。広報担当のサトです。
本日、創業115周年を迎えます。
本日6月1日は、モリトの創業記念日。今年で創業115周年を迎えます。
創業した115年前と言えば、明治41年(1908年)になります。
上流階級の間ではすっかり洋装スタイルが広がっていましたが、まだまだ町村の一般の方には和装が主流の時代でした。
和装が主流の時代に洋装で使われるハトメをメインとした商いを始めた創業者、森藤寿吉。本日は、そんな創業者の物語をお伝えしたいと思います。
丁稚奉公
広島県の山間の村で次男として生まれた寿吉。
比較的裕福な家庭で生まれ育ったものの、寿吉が生まれた山間部の村では、長男以外は町に丁稚奉公に行くのが常で、寿吉も11歳の時に広島の町に丁稚奉公に出ました。
しかし、すぐにその奉公先を辞めて、大阪に向かいます。
大阪の方が大きなビジネスチャンスがあるからという理由だったようです。
斬新なアイデア
大阪では、呉服屋さんに丁稚奉公をするのですが、その呉服屋さんは寿吉のビラ(チラシ)のアイデアによって繁盛したようです。
当時のビラは長方形の周囲を赤くしたビラに、目玉商品を書き出していたようですが、他店との差別化を図るために、寿吉は三角形のビラを作ったようです。
そのビラが目立ち、他の近隣の呉服屋よりも人の入りが良かったそうです。
起業のきっかけは喧嘩?
その後、日露戦争に出兵したり、丁稚奉公先が変わったりと波乱万丈の青年時代を送ります。
そんなある時、丁稚奉公先の主人と喧嘩し、店を飛び出してしまいます。
丁稚奉公は店に住み込みで働いているので、飛び出してしまうと帰るところがありません。川に停留していたポンポン蒸気船(観光巡行船)の甲板で野宿している時に、
「これからどんどん洋装が広がる。服、鞄、靴を作るところ、売るところはたくさん出来てきているのに、その製品を作るために必要な資材を主商品として商いにしている会社は見当たらない」
と思い付き、ハトメをメインビジネスとして商いを始めることを決めたのです。
黄金に輝く輪「ハトメ」
ハトメ1個1個は小さな小さな輪で、少量では商いの対象にはならないほどですが、丁稚奉公先で見た革靴にはハトメが10個も使用されていたことを覚えていて、数を販売できる商品になると確信したようです。
そして「ハトメ・ホック・靴紐卸商 森藤寿吉商店」の看板を掲げて商売を開始しました。
当時の寿吉にはハトメが、未来への黄金に輝く輪に見えたようです。
そのハトメからたくさんのビジネスが派生し、今では様々な場所、シーンで、多種多様なモリトのパーツが使われています。
パイオニア精神を遺憾なく発揮した森藤寿吉。
現在のモリトグループで働く私たちも、若かりし日の森藤寿吉のように、柔軟で、面白い発想を持ち、グローバルニッチトップ企業を目指し続けたいと思います。
モリトの社史にはまだまだ面白いエピソードが書かれているので、またの機会に森藤寿吉物語パート2をお伝えできればと思います。