10月21日(月)14日目 延光寺
いつもと同じく早朝に起床。夜中に何度か軽く目が覚めた以外はもう熟睡。気持ちよく眠ることができたので昨日の100km近くの移動の疲れはだいぶ消えたと思う。「途中に何度か軽く目が覚めた」というのは他でもない。ゴキブリである。夜中寝ている時、何か指先を軽くコソコソされる感覚があった。何だろうと見てみるとゴキブリが指のあたりで動いていたのだ。結局、その日の夜はそんなゴキブリを合計で五匹くらい見た。自分もゴキブリは苦手だし好きではない。が、割と「こういう状況」には慣れてるし、あまりにも疲れ果てているので「あ、ゴキブリか」「またゴキブリかあ」と確認したらそのまままたぐっすり眠ってしまった。人が住んでる古い建物、対策を取らなければゴキブリが出てくるのは世のルールみたいなものだし、何より本当だったらまたテント泊をする運命だったのが、壁付き屋根付きで眠れる喜びったらない。本来ならばゴキブリを発見したら「退治する」という選択肢もあるのかもしれないが、お遍路中である。それはそれで不殺生の戒を守っている。
朝起きてオーナーさんと軽く話をする。向こうはテレビをずっと楽しそうに見ている。泊まった人が会話を望んでたりコミュニケーション望んでるタイプなら話するけど、そうでないならテレビ見てるから勝手にやってくれというスタンスなのだろう。お世話になりましたと礼を言ったが、ほとんどこっちも見ずに「はいはい」と軽く流された。感じが悪いのではなくて、ここはそういう場所。出ていくのにいちいち挨拶も要らんけんねってことなんだと思う。
さて今日の予定と現在の状況を確認しよう。まず現在地。自分がいる場所だがこれが非常にわかりやすい。「四国の南端」である。これ以上南には行けない。南端は岬でもあるので東にも西にも行けない。要するに考えるまでもなく北上一択である。とはいえどの道を使って北上するのかについては実は次の目的地、三十九番札所延光寺に行くためには三つの道がある。
一つは四万十大橋あたりまで戻ってそこから西に進む道。もう一つは山の中をつっきる道。もう一つは土佐清水まで戻って海岸線を西に走っていく道。個人的には一番ラクそうなのは四万十まで戻るコース。もう一度あの景色を見たいという思いもある。海岸を走るコースも山道が少なくて走りやすそうだ。というわけで、なら、あえて「一番選ばなさそうなコース」を選んでみようと思い、真ん中の山道つっきりコースを行くことにした。
ほとんど台風かというくらい風が強い。昨日はただただ美しく雄大な景色だと思っていたその海が、実はいつでも人間のすべてを洗い流せるのだということがわかる。海の本性を突きつけられたかのようである。端的に言って恐怖を感じる。そしてパラパラとだが雨も降り始めている。距離的には昨日のほうが圧倒的に大変なわけで、今日は言うてもたったの50km、60km(もうそういう感覚になってきてる)しかない。ただただ天気だけが心配だ。
なんとか土佐清水まで戻ってきてコンビニで休憩。弟からLINEがある。「兄貴、今、なんか旅してるんだって?」「終わったら実家帰ってくるの?」。ずっと連絡来ていたが、あまり弟と性格が合わないので(仲は悪くない)LINEはすべて既読無視していた。が、今朝のメッセージは無視できなかった。「実家に帰る前に話しておかないといけないことがあるから、電話できない?」。気になる。電話をかけると出勤前の弟が出た。弟は旅のことなど聞きたがってるようだが、そんなことはどうでもいい。話しておきたいこととは何なのだ。
「実は親父のことなんだけど」。やっぱりそうか。弟の話はこうだ。親父はおそらく痴呆である。やっていることが明らかにおかしい。数年前に軽い脳梗塞を患った。それは命に別状なく幸い後遺症も残らなかったのだが、それ以来明らかに父親の言動がおかしい。認知症の検査をイヤイヤ受けさせたがその時の結果は問題なし。でもそれからまた数年経って最近では言動の異常性に拍車がかかっている。たとえば何回も交通事故を起こしている。事故した後、現場を離れて自分の車だけ修理に出そうとしたり、それまでだったら絶対に考えられない行動を取る。修理した自動車を売ってまた新しい自動車を買う。しかもそれが今と同じ車種である。買い替えたらまた事故を起こす。また同じ車種に買い替える……。前まではまだ怒りやすいと言っても一応怒る理由がわかったが、最近ではなぜ怒ってるのかまったく理由がわからないケースも多く、急に刃物を出そうとしたりもする。それら全部のしりぬぐいや対応を自分がすべてしているが、さすがに疲労も限界だし、先日は父親からどうしても許せない悪質な罵倒を受けた。これが痴呆症のせいだというなら水に流すが、そうでないなら謝れないならもう金輪際父親とは縁を切ろうと思う……というのである。
朝からとんでもないヘビーな話題を食らい、お遍路気分が完全に消し飛んでしまった。やれ、お遍路だ、修行だ疲労マックスだと言ったところで、自分がやってるこれ、弟がこの数年受けている苦痛や被害に比べれば良くて酔狂、ただのお遊びである。しかもどれだけここで自分が「修行」したところで実家に帰ればそんな両親との共同生活が強制的に待っているのか。お遍路なんかやってる場合ではないのではないか。とはいえ、では今すぐお遍路やめて家に帰りたいか、帰るべきかと言うとそういうわけでもないというか、帰ったからと言って何もプラスはない。いずれにせよ、ここから「帰る」ためには「進む」しかないのだ。完全にお遍路という気持ちは消し飛んでいたが、そんな気持ちでこぐ自転車のペダルの重さったらない。ダメだ。集中するしかない。
山の中、坂道を無心になって、ただひたすら登る。雨もどんどんひどくなる。ちなみによく「雨の時、お遍路はどうしてるのですか?」と聞かれるのだが答えは「濡れる。風邪ひかないように祈っててね」である。荷物だけ濡れないように、たとえばお経やお札はビニール袋に入れたり、寝袋やテント、着替えなどは絶対濡れないサイドバックの中に収納したりしてる。なので濡れる心配をしなければいけないのは自分だけなのだが、その自分がびしょびしょになっている。道はそれでも登り坂で一体この先どうなるんだろうと思っていたら、山の中に「やまびこカフェ」の看板を見つけた。ここから2km、目的地の延光寺は12km先だそうである。おなかも空いてるし、とにかくここで休ませてもらおう。そう思い、その2kmを急いだ。
やまびこカフェに到着。ランチもやっているが、スタッフは全員、三原村というこの村の「お母さん」だけだそうである。女性が五人ほどですべてをまわしている。早速ランチを注文。特に別段珍しいものやこの村ならではというものが出てきたわけではないのだが、おかずが多くて安い。こういうのが嬉しい。雨が降っている中、建物の中で休める。ただそのことだけで本当にありがたい。この村の特産はお米だそうで、確かにこのランチのごはんも独特な味である。口の中にくっつく感じというか、でも、それでもべしゃべしゃはしてないというか。好きなテイストというわけではないが個性は感じるし魅力も感じる。あと、水がうまい。単にウォーターサーバと契約してるだけなのかもしれないが、とにかく水がシンプルにおいしい。水を使ったお味噌汁、お茶もスッキリしていてクリアーでスイスイと入ってくる。こちらの喉が渇いているからか?とも思ったが、神峯寺で飲んだ「高知の名水」ですら、喉が渇いでいたにも関わらず「おいしくない」と思った正直な自分である。感じたことをそのまま記しておく。あまりにも美味しい、というかそのスッキリと自分まで研ぎ澄まされてく感じがおもしろくてコーヒーも追加で注文。「今からコーヒーメーカーを起動させるからちょっと待っててくださいね」とスタッフのお母さんから言われる。コーヒーメーカーに粉セットして水入れて作ってるだけのコーヒー。めちゃくちゃ美味しかった。これまた余計がなくて食後にさらっと飲みたい味だ。たったの200円だった。ちなみに会計はすべて先に支払うシステムである。
外を見るとまだ曇ってはいるが、いつのまにか雨が止んでいる。同じくお店を利用していた男性から話しかけられる(しかし本当に高知の人は話し好きだ)。お遍路だ、さっきまでびしょ濡れだったと話すと「この先は延光寺までずっと坂ですからね。あとはくだっていくだけですよ」。え??そうなのか!? 「はい。ここが峠めすから。ここを超えると基本あとは下り道です。ここまでが辛いんですけどね」。うわあ、ありがとう!! あと10kmと聞いて心折れかけてたんだ。
雨も止んだし、男性と話もして元気も出た。延光寺を目指して先へ進む。男性の言う通りだった。そこから先はすべて下り坂。こちらは荷物をたくさん積んだクロスバイクである。下りは下りで慎重にしないと何かで滑ったりハネると大怪我や大事故に繋がりかねないため、それはそれで気は張るのだが、延々続く登り坂に比べたら天国だ。
高知県宿毛市に入り、しばらく進むとついに三十九番札所延光寺に到着。途中またすぐ雨が降り出したので、またまたびしょびしょに濡れてはいたのだが、とにかく到着できたことでホッと安堵した。延光寺はこれまた趣のある、とにかく「亀推し」の寺である。境内の中に「七つの亀」が存在するという。本来ならゆっくりとこれらの亀を探して楽しむのだろうが、疲労でそれどころではない。雨も降ってるし、宿も決まっていない。たった一ヶ所しかまわれてないが、今日はこれで打ち止めだろう。今日この寺で高知の札所はすべてまわった。亀推しの延光寺と鶴推しの鶴林寺。どちらも抑えられたのもとても縁起がいい。最高のフィニッシュだ。
というわけで、残りの時間で宿探しを兼ねて街を散策する。地図アプリで概観した感じ、結構栄えてる印象を持った宿毛市だが、実際にまわってみると印象がまったく違う。新しくできている店もあり新陳代謝もないわけではないようだが、どうしても「さびれた」とか「昔は活気があった」と形容したくなる。駅前なら……と足を運んでみるが静かなものである。モスバーガーやすき家、ローソンやファミリーマートなどはあり、ロードサイドにありそうな店もそろっている。が、旅人の自分が求めているのはそういう店ではない。
宿を探しそこで今日はもうゆっくり休むことにした。昨日は無料で泊まらせていただいたし、その分、お金も浮いたし……というか、はっきり言わせてもらおう。一度「屋根付き壁あり」物件に寝泊まりしてしまうと、その快適さ、便利さの虜になる。今晩もあんなに心から安心、安全を感じる夜を……と思わずにいられない。だから言い訳をつける。「充電しなければ」とか「その分、食費を安くするから」(絶対しない)とかいって今晩も民宿か旅館か。とにかく屋根、壁のあるところに泊まりたいと思うのである。宿毛市くらいの規模の都市の場合は実際野宿場所を見つけるのが難しいということもある。
そう思い、疲れ果てて駅前のベンチに座りながら宿を調べると「宿毛」(すくも)という名前の通り、民宿がたくさんある。どれも安い。これはラッキーと思い、検索して出てきた情報を見て何件か電話をかけてみたが、すると既に廃業されている店ばかりである。電話はつながりませんと言われるか、繋がっても「廃業しました」と言われるか。そんなことが何件か続き、考えるのに疲れてしまった。じゃあ野営でいい。その分好きなもん好きなように食べる。そう思い調べてみると、宿毛の道の駅が「キャンプ場併設」という珍しい道の駅らしいことがわかったのでここにする。
電話をかけてみるとスタッフの方が丁寧に応対してくれる。キャンプ場の場合、大事なのは「現場で何がゲットできるか」だ。最悪、最御崎寺の上のキャンプ場がそうだったように、飲料水さえ確保できない(事前に買ってくる必要がある)ことさえある。「食料品は買えますがお土産程度です。水は手に入ります。飲み物は自動販売機があります。お酒は買えません」とのことだったので、事前にコンビニに寄ってから向かうことにした。5時までにチェックインしなければいけない。時間があまりない。焦ってるし疲弊しきってるし、頭がまともに働かない。あれもいる、これも食べるのでは??気づいたらコンビニで4000円近く使っていた。アホである。
道の駅に到着。宿毛駅から自転車で10分くらいの近くにある。環境も素晴らしい。お店に入りチェックインする。と、まわりを見渡すと美味しそうな食べ物ばかりである。それどころか、隣接のキャンプ客を見込んでか、そのまま火にかけるだけで食べられるアヒージョセットや、おいしそうな缶詰なども売られている。店外には自動販売機まであり、そこではバーベキュー用の肉すら売られていた。こんだけいいもの揃ってるならそう言ってくれよ。コンビニでなく、こちらで好きなもの買って食べたのに。
というわけでつくづく自分の食欲の強さ(自我の弱さ)と頭の悪さが嫌になるのだが、気づくとこの道の駅でも、食料を買ってしまう。鰹の心臓を甘辛く煮付けた「ちちこ」。こんなのつまみに最適だろう。小さなイカをまとめてボイルして乾燥させただけの「海の幸」。こんなのつまみに最適だろう。「地元の人は、夏暑い時なんか
凍った状態のまま口の中に入れてボリボリ食べたりするんですよ」とのこと。そしてJAL国内ファーストクラスでも提供されているという、高知県の豆を使った銀不老大福。こんなの飲んだ後に食べたら最高だろう。って、要するにほんと高知で酒飲むと最高なのだいやマジで。
キャンプサイトもよく整備されていてきれいだし使いやすい。水場も近くにあるし、トイレもきれい。今回は使わなかったがシャワーもある。自動販売機もあるから冷たい飲み物はいつでも手に入る。何より景色が素晴らしい。テント設営はあっという間だった。あとはこの宿毛の美しい夕日を見ながら酒飲んでおいしいもの食べて寝るだけ。最高!!
さっき「屋根付き壁あり」の魅力について力説しといてなんだが、最高のキャンプができた時は「屋根付き壁あり」なんて目じゃないほどの気持ちよさ、解放感がある。最低限の装備で心から満足の行く時間が過ごせたときの幸せったらない。今日はまさにそんなキャンプができた。満足。
というわけで長かった「高知修行編」も今日で終了。明日からはいよいよ愛媛、伊予の国にて「菩提編」が始まる。乞うご期待。
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