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第1回 ナガヤプロジェクトはじまる


突然なのだけど、徳島市内の古いナガヤを「テナント」として借り、そこで「お店」をはじめることになった。オーナーの吉田絵美さん曰く「ナガヤプロジェクト」

そこで、この「ナガヤプロジェクト」というマガジンでは、ナガヤプロジェクトのコンセプト、森がナガヤを借りることになったいきさつ、店舗のための改修工事の様子、どんな店をするのか、店をした結果どんなことになったのかを、おカネのことについてもしっかり触れつつ、記録していきたいと思っている。


「お店を持つ」。そこに憧れを持つ人、それが夢って人は、少なくないだろう。

ぼくだってそうだ。学生の頃から、レコード屋さんや古本屋さんが大好きで、「そういうお店をやってみたいなあ」と思っていたこともある。かわいらしい、落ち着ける喫茶店なんかに入ったときは「自分でもこういうお店を持てたらなあ」と思ったりもする。自分でお店をしている友人を見て、うらやましくもなった。そんな友人の「隣」でサラリーマンとかしてると、なんだか自分はとてもつまらない生き方をしているように思えてきて、落ち込んだりもした。

けれども他方で、じゃあ、お前、お店やりたいのか、やる気あんのかと聞かれれば、そこまででもない、と答えざるをえない自分がいる。

お店をやる!となれば、まずおカネを貯めなければならない。そして貯めるだけでなく、おカネを借りなければならない。おカネを借りるには事業計画書(知らんけど)のようなものも必要なんだろう。採算がとれなくちゃ、突然、家族全員で借金こさえて路頭に迷うことになる。

それに何より「自分のキャラじゃないのではないか」という不安が強かった。お店をやるような人って、ほんとみんなから「愛されてる」人だったから。自分はあまり人に愛されるタイプではないな。そんなことも思っていた。

けれども、ってことは、ぼくは一生「お店」をやることはないだろうってことだ。それもなんだかとてもさみしい。

一言で言うと、ぼくの「お店」に対する態度は「もう1つの人生があるなら、やってみたい」だった。けれども残念ながら「もう1つの人生」なんてない。つまり、ぼくは一生お店をやることがないのだろう。仕方がないと思っていた。


ところが、ひょんなことから、そんな「もう1つの人生」となるようなきっかけが訪れた。忘れもしない(と言いながら手帳を見返す)、2014年4月12日土曜日のことだ。

妻が友人のサキさんから「内覧会」の誘いを受けたのだ。「友達の吉田さんが今、徳島市内にある古いナガヤを改装してテナントにしようとしているらしい。ついては借り手を募集しているから、見にいくだけでも見にいかないか」。自分はあれこれ忙しくしていたのだけれど、とりあえず見ておけという軽い気持ちでナガヤの「内覧」に参加した。

徳島市沖浜には、徳島県民が「バイパス」と呼んでいる国道がある(55号線)。徳島県民に「55号線」と言っても結構通じないくらい「バイパス」という呼称が定着している。なぜ「バイパス」と呼ばれているのか。県外出身の自分にとってはまったくの謎なのだけれども、その「バイパス」沿いにはケンタッキーフライドチキンがあったり、ドラッグストアがあったり、スポーツ量販店があったり、ちょっとした「郊外型」の商店が並んでいて、徳島市内では一番の店舗集中ストリートになっている。

その「バイパス」から小さな、細い道を通って、少しだけ西に入ると、小さな神社があり、さらにそこから、さらに小さな、細い道を少しだけ入っていくと、古い家が並ぶちょっとした住宅街がある。「テナント」を募集しているという「ナガヤ」はそこにあった。

事前に「古いナガヤ」と聞かされてはいたが、実際に見ると、思っていたより中途半端な古さだと感じた。いわゆる「古民家」などを買い取ってリノベーションしオシャレなカフェやオフィスに生まれ変わった!みたいなニュースはよく聞いていた。だから「古い」と言われたとき、「古民家」くらいの古さをイメージしていたのだ。具体的に言うと、築60年、80年くらい。ところが、目の前にある「ナガヤ」は「だいたい築40年くらい」だという。中途半端だ。

オーナーの吉田さんの説明によると、「ナガヤ」は全部で4棟あった。道路手前に平屋が2つ。奥に2階建ての建物が2つあり、以前はこれらすべてを、たとえば学生向けの賃貸アパートとして貸し出していたそうだ。最後に賃貸していたのは10年前。さすがに老朽化が進んだので、それ以来、人には一切貸していなかったのだという。

奥の2階建ての建物はどちらも、1つの建物に2家族住めるよう、玄関が2つついていて、中の間取りは左右対称になっている。いまどきの言葉で言えば「メゾネット」ってことになるんだろうが、そういう言葉がこれほど似合わない建物もない。

吉田さんが説明を続ける。

全部で4棟あった「ナガヤ」だが、一番手前の平屋は大変古く、とてもじゃないけど使いものにならなかったため、つい先日解体した。このスペースを駐車場にする予定だ。そして手前の平屋は改装して、カフェ兼雑貨屋にしたい。奥の2階建て2棟をテナントとして貸し出し、そこでお店をはじめたり、アトリエにしてもらったり、オフィスにしてもらってはどうかと考えている。


実際の写真を貼っておこう。「テナントとして貸し出すけれど、住むのだけは止めていただいた方が...」と言われたが、言われるまでもなく「とても住めるもんじゃない」と普通の人なら思うだろう。

2物件×2棟だから、全部で1~4号まで「物件」があるわけだ。部屋の間取りは左右対称のものもあるが、基本はすべて同じ。1Fにトイレ、お風呂、リビング8畳くらい+小さなキッチン。2回は12畳ほど(曖昧な記憶)。「トイレ」「お風呂」「キッチン」と書いたが、これらは完全に死んでいて、とてもじゃないけど使い物にならない。

間取りは基本的にはすべて「同じ」だけれど、コンディションは1~4号でまったく違っていた。

まず、4号棟は、絶対に使いものにならない。それくらい損傷が進んでいた。壁から向こうの景色が見える。床は腐っていて、窓ガラスは割れ...。2号棟もかなり損傷している。使えるとしたら1号棟か3号棟だ。それすら住宅として見た場合、通常なら「絶対ありえない」感じだし、かなりの手入れが必要になってくるだろう。


これが1店舗だけだったら、話にもならなかったと思う。けれども、ぼくは吉田さんの「ナガヤ」ってコンセプトに妙に心を惹かれてしまった。

「ナガヤ」という言葉を聞いて、まず最初に自分が思い浮かべるイメージは落語の「三軒長屋」。「ちょっとお醤油がなくなったんだけど、お隣さんに借りてきてくんねえか」の世界だ。でも、それがおもしろかった。人が足りない、モノが足りない。知恵が出ない。そんなときは「ちょっとおとなりさん」ができる。みんな一癖も二癖もあって、正直、付き合いにくいと思うときもあるけれど、でも、ここでずっと一緒にやっていくんだから、言ってみれば「お互い様」。それくらいのゆるさが、今、この時代に、郊外型店舗が立ち並ぶ、徳島県のバイパス沿い(からそこそこ離れたところ)にできたら...。考えてみたら、ちょっとわくわくしてきたのだ。

4月、5月でテナントをゆるく募集しつつ、自分のところのカフェ、雑貨屋の工事も進める。8月オープンを目処に、あれこれ進めていきたいと吉田さんは言う。家賃は○円。

帰り道、妻と話をする。「どうだった?」。ああいうところは話題の場所になったりするから、なんだかんだで結構みんな借りたい!ってすぐに言い出すんじゃないかな。借りるんなら、早く言わないとすぐ埋まっちゃうよ。とりあえず、吉田さんに早めに「借りたい」って言っておかないとな、その場合。そんなことを妻に言ったと記憶している。


それから、1週間くらい経った頃、ほとんどナガヤのことは忘れていたのだけど、ふと思い出して「そういえば、あのナガヤってどうなったの?」と妻に聞いてみた。妻の答えに自分は驚いた。「あ、あのナガヤ? 内覧した日に、吉田さんにFacebookで、借りますーって連絡しておいたよ」。って、もう返事してたのかよ!

というわけで、何のお店をやるのかとか、どんな風にしたいのかとか、どうやって収益を上げるのかとか、改修費用や宣伝費用はどうするのかとか。そんなことは一切「検討」することなく、「なんとなく」で「ナガヤを借りる」ことになってしまった。

「しまった」と書いたけれど、そう書きながら、わくわくしたり、ドキドキしたり、楽しいと感じている自分がいる。おそらく最初に改修費用だ、収益だ、検討していたら、参加していなかっただろう。


ナガヤプロジェクトは走り出してしまった。そして、走り出させてしまってから考える。そんな「やり方」が最近は楽しめるようになってきた。【続く】


【おカネの話】肝心の家賃はいくらか

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