金歯を売る

「あたし、金歯を質に入れようと思うの。お金も無いし、貧乏暇なしって言うじゃない。あたし、もう少し暇な人生を送りたいの。だから、金歯を売って拵えたお金でさ、あんた、あたしと暇を楽しみましょうよ」
 お竹はそう言って釘抜きを銀一郎に渡すと、あんぐりと口を開けて自らの金歯を指さした。
「冗談はよせよ。貧乏の何がいけねぇってんだ。俺は何も困っちゃいねぇやな。おめぇの作る飯も、まあ、いつもいつも沢庵と梅干しだけどもよ。俺はそれでも構いやしねぇんだ。暇になったら他に男でも作ってお前が出ていっちまうかもしれねぇ。そう考えるとよ、俺もお前も貧乏しながら、暇なく働いている方が幸せじゃねぇか」
その言葉を聞いているうちに、お竹の目からは涙が溢れ出した。開けていた口を閉じ、そっと涙を拭うと、
「お前さん、あたしの金歯より貧乏の方が大事かい?」
銀次郎はにっこり笑って
「いいやぁ、暇になりたくねぇだけさ」

峯岸達夫『色眼鏡恋之歯車』

  また夕食の後に小一時間ほど眠ってしまった。風邪の気配を感じて葛根湯を飲む。エアコン離れをしようと思って我慢をしているのだが、耐えきれずにエアコンを付けてしまう。情けない限りである。一度、エアコンのもたらす涼風に体を許してしまうと、もはやエアコン無しでは生活できないのではないかと思って、そのような魔風によって私を支配するエアコンに恐れ慄いている。どこでこのエアコンとの関係を断つことができるのだろうかと不安で仕方がない。電気代は嵩むし、喉の調子が悪くなるし、体には悪い気がするにも関わらず、快適さを心が望んでしまうという負のスパイラルに陥っている。
 かと言って、エアコンを我慢していると水の消費量が増える。せっかく大量に買った温泉水99があっという間に底を尽きる勢いで消えていく。完全にやせ我慢であり、兵糧攻めの状態にあるのだが、水を節約するためにエアコンを付けてしまっては、エアコンに屈してしまったようで情けない。と言いつつ、いま現在、書いている段階ではエアコンは付けていないのだが、書いているうちにエアコンの快適性を思い出し、いてもたってもいられず、付けてしまう。ああ、付けてしまった。

 エアコンに敗北した後、思考は割とクリアになる。それまでは、我慢をしていたから、じっとりとした湿度を感じていたが、今はさらさらな涼風による快適さが弾けるように全身を包み込んでいる。電気代はかかるが、何よりも快適さに勝るものはない。節約のために命を削っては元も子もないのだと自己を正当化してしまうところに、人間としてのだらしなさが現れているように思う。

 さて、無事に一週間が終わった。金曜日ともなれば、気持ちはぷかぷかとにわかに浮足立ってくる。明日は何をやろうか、明後日は何をやろうかという期待感に包まれる。飯を食って寝るだけの時間を極力無くし、なにか有意義なことに使いたいという気持ちが沸き上がってくる。
 怠惰な自分を奮い立たせるために音楽教室に通い、怠け癖を治すためにジムに通っている。おかげで、大学時代の激太り体型を脱却し、それなりにスリムと言われる程度の体型を維持できている。だが、食ったらすぐ寝るという悪癖だけがどうしても抜けない。食う量に問題があることはとっくにわかっているのだが、貧乏性ゆえに「これ以上食えぬ」というところまで食わねば食った気がせぬという思いが強い。我が一族は先人がそれによって太り、予期せぬ不運に見舞われているから、食い過ぎこそが寿命を縮めるということを身に沁みて理解している。とはいえ、元来、怠惰であり誘惑に弱い人間であるから、美味いものはドカドカとうるさいロックンロールバンドのように食べてしまうし、その後で、石ころのように静かに眠ってしまい、目が覚めると記憶喪失状態が30秒ほど続くのだから、完全に良くない。胃がそもそも弱いのだと思う。もっと言えば内臓が弱いのだと思う。体の中の臓物がすべて、人より劣っているのだと思う。海外の人たちの食生活を見ていると、よくあれで太らないなと感心する。調べると、若干体の作りというか、内臓の機能が違うらしい。羨ましい限りである。私も、どれだけ食べても眠くならない体が欲しかった。脂ギトギトのスペアリブをたらふく食べても平気な体が欲しかった。まあ、米と納豆とおしんこうさえあれば、十分である。

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