サスペンダーズの『看板持ちバイト』が価値観のハードバトルかつ長篠の戦いみたいな面白さのコントである件について

時経つの遅ぉ

協力してくれるって言った?

適度に楽で責任感の無いバイト

https://www.youtube.com/watch?v=_8sVFWdwHw4&t=127s
サスペンダーズ『看板持ちバイト』

 人は見かけに寄らぬもの
 街を歩けば、信号機の付近で歩行者をカウントしている者もいれば、自転車に跨りUberEatsのバッグを背負って滑走する者たちもいる。竣工したばかりの高級マンションの前で看板を持って内見者を待つ者もいれば、陽が射す中で工事現場に立つ警備員もいる。
 自分の職業を一旦棚に置きながら、そのような人達を横目に見るとき、われわれは一度は思うのではないか。「あの人たち、あれで時給いくらなんだろう」と。
 無表情でカウンターを押し歩行者を数える老人。ハキハキとした態度で荷物を受け取る配達員。にこやかな笑顔で建物を見ている関係者。真っ黒に日焼けしながら細い体をした警備員。同じ人生を生きているのに、なぜその職業を自らの人生に科したのか問いたくなったことはないだろうか。
 誤解なきように記しておくが、私はそれらの人に嫌悪感を抱いてはいない。それらの職業に従事する方たちを否定する気も一切無い。単なる興味として、「なぜその職業に就き、そして時給はいくらなのだろう」と考えたことが何度かある、というだけである。

 そのような人達の心情が、サスペンダーズのコント『看板持ちバイト』では垣間見える。冒頭、看板を持っているだけのバイトに不満を漏らす古川さんの言葉が面白い。
 意識無意識に関わらず、人はだれしも一度は上記した職業に就く人を目にして、一度は疑問に思ったことがあるだろう。「あの職業で、果たしてあの人は満足しているのか」とか、「あの仕事は何時から何時までなのか」とか、そのように、一度は人が抱いたことがあるであろうシチュエーションをベースにしている気がする。
 古川さんが「このバイト、つまらなくて、時が経つの遅い」と不満を漏らすことによって、観客から笑いが起きる。なんとなく、「やっぱりそうだよね」、「やっぱり退屈なんだな」という笑いのように思える。それは、観客が常日頃からどこか心の片隅で、「あの仕事、大変だしつまらなそう」という意識が表出することによって起こる笑いのような気がするのだ。
 そして、その流れを古川さん演じる看板持ちバイトをする男は崩さない。時間が経つのが遅く感じられ、自分が壊れてしまうように感じる。
 
 ここに、現代社会の人々が抱えている問題を私は感じた。人は、空いている時間があると、それを埋めるために何か行動を起こす。ある人はスマホでYoutubeを見たり、ある人は音楽、ある人は読書というように、『空いた時間を埋める』という行為を人々は選択しがちであるように思うのだ。
 言ってしまえば、何も考えずにぼーっとすることが苦手というか、無意識のうちに、そのような状態に対する嫌悪感があるのではないか。ただぼんやりと棒立ちして、何時間、何十時間を過ごしてしまうことに耐えられない。それは「勿体ない」という意識によるものなのか、「何か有益に時間を使いたい」という欲望によるものなのかは分からない。しかしながら、YoutubeやTikTokのように、次から次へと新しいコンテンツ、新しいエンタメ、新しい時間の消費方法について、人々はまるで追い立てられるようにネットの世界を探し求める。そして、ちょうどいい時間つぶしを発見すると、SNSで時間つぶし相手を攻撃したり、私のように深読み賞賛記事を書くようになる。

 さて、そんな現代人である看板持ちバイトの男、古川さんの傍を、時間を潰せそうな問題を抱えた依藤さんが通る。これも、いわばTwitterで興味深いツイートを発見して、時間つぶしにリプライを飛ばす行為に近いものがある。人は、あまりにも暇だと、どうでもいいようなことに首を突っ込みたくなるのであろう。
 しかし、安易なリプライは大怪我のもとである。Twitterを見れば毎日、安易にリプライを飛ばして、持論を展開して相手のためを思っているような言葉を放つ謎の暇人が数多く見受けられる。そういう人たちは単に時間を潰したいだけであって、相手のことは基本的に考えていない。「君のためを思って言っている」という聞こえの良い言い訳で自らの発言を正当化する人もいるが、結局は「自分のためでしょ?」という事実に生涯気づかない。
 そのような考えを言われる前に、看板持ちバイトである古川さんは自分が立っているだけで暇であることを伝え、僕のためを思って悩みを聞かせてくれないか、というようなことを言う。
 さらりとしているが、この場面に『思っていることは全部言う古川哲学』がある気がする。
 本来であれば、人に話しかけて「悩み聞きますよ」程度で終わらせてもいいところを、自分の利益でもあることを伝えることで、上記の「自分のためなんでしょ?」という問いに対して予防線を張っている。「あなたのためを思って言っているように聞こえるかもしれませんが、自分のためだってわかってますから」という古川さんのさらけだしの予防線がさりげなく現れていて、そこに古川さんらしさ、サスペンダーズらしさが表れているように私は思う。
 そこまで聞いて、問題を抱えた依藤さんは想像もしない角度から、抱えている問題を古川さんに告げる。
 古川さんが思い描いていた問題と、依藤さんが抱えていた問題とのギャップが面白い。このような思い違い、食い違い、認識の違いはTwitter上では日常茶飯事である。わずか140文字を曲解して、自分に都合よく解釈する人々が後を絶たないのは140文字という制約が産む認識の違い、読解力・理解力の違いである。看板持ちバイトの古川さんも、依藤さんの発言を聞いて勝手に思い違いをする。争いというか、様々なトラブルというのは、このような思い違いから生まれてくるのではないかと考えてしまうほど、予期せぬ問題が依藤さんから放たれる。

 そこから、一気に飲み込まれていく古川さん。
 依藤さんが演じる普通の見た目の男のリアリティが凄まじい。
 つくづく思うのだが、依藤さんの演技力が半端じゃなく優れている。
 つい最近まで可愛らしくも狂気を孕んだ女性『たか子』を演じていたかと思えば、今度は見た目は普通だがゴリゴリの半グレである。
 もっと前まではピュアなたかゆき少年、さらにさかのぼればヤリチンのサークル員だったのだ。
 まさに怪人二十面相もびっくりの人物の演じ分けである。
 とりわけ凄いのは『声のトーン』。依藤さんは相当耳が良いのだろう。ひょっとすると音楽にも才能があると思えるほど、絶妙に、今までより声のトーンを低くして、その筋の人が持つ空気感、感情の無さ、ルールは絶対であり、そのルールを守らなかった奴に罰を与えるのは当然というような冷酷さ。それらを言葉と声のトーン、表情、全てを抑制して表現する凄まじい演技力。ゾクゾクするほどの演技である。
 古川さんが何をやっても古川さんになってしまう『キムタク化現象』とは対極的に、どんなキャラでも演じ分けられる依藤さんの凄まじさ。これはいずれドラマもありなんじゃないですかプロデューサー。
 そんな演技力の凄まじい依藤さんに暗黒に引きずり落され、ガチガチに周りを固められて身動き取れなくなりそうになった古川さんが、勇気を振り絞って放つ言葉が情けなくて面白い。
 その情けない論に強力な説得力を持たせられる古川さんの空気感。まさに古川さんにしかできない空気感である。看板持ちのバイトに甘い理由で手を出し、その現実を突きつけられ、そこから逃避しようとしたら今度は面倒なことに巻き込まれ、踏んだり蹴ったりな人生の中で、それでも自分の気持ちに正直すぎる古川さんの思いの爆発。その感情の爆発の情けなさは、かつて古川さんが『修学旅行班決め』や『復讐のバーベキュー』、『タイムカプセル』などのコントで見せた爆発のさらなる進化にある。
 ゆるぎない古川哲学に裏打ちされた、強烈な一言。今までのコントであれば、これであっぱれ大爆笑!おしまい、おしまい~だったであろう。『寄せ書き』や『少年野球』など、「この寄せ書きのような~」や「通ってるから~」などのハードパンチで一撃ノックダウンで拍手喝采であっただろう。
 しかし、サスペンダーズは更なる進化を遂げた。
 『花占い』でも見せたように、依藤さんが黙っていないのである。
 まさに長篠の戦い。鉄砲三段構えのハードパンチを依藤さんが繰り出すのである。古川さんの暴発的な一発の後で、狙いを定めた依藤さんの二段、三段構えの銃砲が、古川さんを打ち抜く。
 古川さんの情けない哲学による窮鼠猫噛みの一撃の後で、強烈なカウンターを食らわせる依藤さん。ここに、価値観のバチバチのハードバトルが繰り広げられる。まさに大振りで殴り合っているかのような、幕ノ内一歩のような、笑いのデンプシー・ロールが巻き起こる。
 これが、最高に面白いのである。
 一見すれば、もろ手をあげて歓迎し賞賛すべきであろう古川さんの考えを、現実的なヤクザである依藤さんが完膚なきまでに反撃する。もうね、凄いとしか言いようが無いっす。最高っす。やばいっす。
 看板持ちバイトの古川さんの哲学と、問題を抱えた半グレである依藤さんの、お互いの言い分が大振りのハードパンチの応酬のように見えて、また一つ、サスペンダーズが凄まじい方向に飛躍したぞと歓喜した。
 また、俯瞰して自分を見つめていることが分かる依藤さんの「半グレに~」も最高である。このメタ的に自分を見つめている人物がさらりと描写されるのがたまらなく私は好きである。
 そうして、結局暗黒に引きずりこまれた看板持ちバイトの古川さんが「時経つの遅ぉ」というフレーズを言うところが痺れる。
 前半の「時経つの遅ぉ」と、最後の「時経つの遅ぉ」では、同じフレーズであっても、それまでに経た困難が間にあることによって、また違った面白さに変化している。まるで小津安二郎の『東京物語』の冒頭と最終シーンで、同じ角度、同じ映像でありながらも、様々なことを経てきたことを感じさせるかのようだ。一周回って、『円』が意識されているコント。結びの美しさもさることながら、古川さんだけが一方的に主張して完封勝利になるのではなく、依藤さんも反撃してどっちつかず、あるいは古川さんも押し切られている(?)ようなコントになっている。

 日々、こんなにもサスペンダーズが凄まじくなっていることがたまらなく嬉しい。一ファンとして声を大にしていいたいのは、サスペンダーズの凄さはとどまることを知らないということだ。停滞がない、後退がない、転びながらも、傷つきながらも、前に前に進んでいるサスペンダーズ。
 素晴らしいコントだった。


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