スイス漫遊記3~日本祭りの喜びよ~
日本祭りの設営
朝、6時に目が覚めて準備をしたのち、6時30分に朝食を取った。移動があるため急いで食事を取ってホテルを出た。
バス亭に着いてしばらくバスを待っていたところ、自分が立っているのとは反対の車線からバスがやってくるのが見えた。そこではたと気が付いた。ヨーロッパは日本と車線とハンドルが逆である。うっかり湖側に立ってしまったので、危うくバスを見過ごすところであった。レマン湖の側に立つと、私の行きたい方向と逆になってしまうのであった。
なんとかバスに乗り込み、目的のトラムに乗ろうとしたのだが乗り場が良くわからず、仕方なく降りたバス停から駆け足で会場へと向かった。
会場の集合時間は7時30分で、なんとか五分前には到着した。
私のほかにスイス人のアテナン君とジョン君、スペイン人のディエゴ君とともに会場の設営を担当した。アテナン君は茨城に農業体験で行ったことがあり、日本のアニメと漫画には興味は無いが、文字に興味があるとのことだった。同じ漢字であっても読み方が違うのが面白いのだそうだ。
担当の方の指示のもと、ステージ設営、会場のテーブル設置、提灯の設置などなど多くのことを担当した。2万人以上の人たちが参加する一大イベントの設営を担当できるのはとても嬉しかった。
遠く離れたスイスのジュネーブで、日本とスイスの国交樹立160周年を祝う行事に参加することができ、本当に嬉しかった。
イベントが多くなればなるほど、指示は大変になると思う。それでも、一人一人が考えて、嫌な顔一つせずに一所懸命に会場の設営を行った。みんなで一丸となって設営をすることで、ますます日本とスイス、互いの国の良好な関係が続くことを願った。
アテナン君は自作のおにぎりを作って持ってきてくれて、それをみんなで食べた。ネギやごま油が入った美味しいおにぎりで、味噌汁と一緒に飲みたいねと言って笑った。
アテナン君とディエゴ君は日本語が堪能で、母国語であるフランス語、英語、日本語の三カ国語を基本的に話すことができた。ヨーロッパの人たちは二か国から三カ国語話せるのは標準である様子だから凄い。
三味線のライブ
会場の設営が終わった後は時間があり、和太鼓の演奏ライブから三味線の演奏ライブを楽しんだ。寄席でしょっちゅう聞いている東京音頭や炭坑節など、日本の民謡を津軽三味線で弾く様子はとても感動的だった。集まった人たちが集中して聞き入り、日本語でコール&レスポンスをしたりして、何とも言えない感動が押し寄せた。
あっという間に書道教室の準備の時間となり、なっぱさんに挨拶をしたのちに、会場の設営を担当した。
書道教室の設営・受付担当
書道教室の設営が始まると、人が怒涛のように押し寄せてきた。座る場所を求めてどんどんと椅子や机を移動している最中にも席を取るためにやってきた。書道の道具等を準備するため、人が勝手に座らないように見張る担当をやった後、受付に移動して来る人を捌く役を担った。
私のほかに、フランス語が堪能な二人の女性が付き、一人は会計、一人は名前を聞いて案内する係を担った。
この書道教室では、あらかじめ決まった漢字を一文字書くことができ、どの漢字にするのかということと、書道に参加する人の名前をカタカナでチケットに書くという作業があった。私はそれの担当となり、参加する人から漢字と名前を聞いて、整理券の裏にそれを書く役割をやった。
私が出来ないことはフランス語が話せないことと聞き取れないことだったので、相方の女性がそれを担ってくれた。忍という文字と愛という字が人気で、ひたすらにチケットの裏に忍と愛という漢字を書き、相方が聞いてくれた名前をカタカナで書いた。ガブリエルとかソニーとかいう名前ならまだしも、憶えていないがカタカナにしにくく、聞き取りにくい言葉もあった。
それでも、カタカナで名前を書くと合っているか合っていないかは別として、カタカナで書かれた名前を見て喜ぶ人たちもいた。いい加減なことは書けないなと思いながらも、漢字を書いたり名前を書くだけで喜んで「アリガトウ」と言ってくれたのは大変に嬉しかった。
予想以上に人が押し寄せたため、満員札止めにしなければならない状況になった。札止めになった後は、私は今度は適切な場所に人を案内する係を担当した。というのも、メンバーの数人は別のイベントに参加するため抜けることになっていたからだ。
ええい、ままよっ!と覚悟を決めてやれる限り案内した。全部で三か所ほどテーブルがあり、各スタッフがお客さんの相手をして習字を教えている。空きが出たところではスタッフが手をあげるので、お客様を案内するという手順だ。お客様によっては、二人並んで書きたいという要望があるため、仮に空きが出来ても離れていたり、一つしかない場合は案内できないなどの問題があった。これは次回に何かしら改善が必要かもしれないと思った。
書道教室のスペースには、受付から入るルートとは別のルートからぞろぞろと入ってきてしまうお客様もいたため、次回は何かしらパーテーションなどで区切るなどして、参加者以外は入れない工夫も必要だと思った。
と、色々と改善点はあるが終わったのだから次回に活かせば良いと思う。私はフランス語が全く分からず、イベントスペースを尋ねられたり、何かしらブツブツと言っている人には、すぐに相方を呼んで対応してもらった。
その中でも、総括しているなっぱさんの監督っぷりは凄まじく、フランス語が堪能であるとともに、絶対の信頼を寄せられる存在としてぱっぱぱっぱとお客様を捌いていく姿には感動した。これぞ世界で活躍する日本人という姿を見て、畏怖の念を抱いた。
フランス語が分からなければ、分からないなりにやれることを一所懸命やればいい。そうやって一所懸命にやった結果、色んな人からアリガトウと言ってもらえたり、喜んで帰ってもらえたのは嬉しかった。中にはクレーマーもいたらしいが、私は私にできることを全う出来て良かったと思う。
欲を言えば、フランス語が出来れば良かったなと思うのだが、こればかりは仕方のないことだ。また別の機会にフランス語を使うことがあれば学べば良いだけのことである。
なんとかやりきった書道教室の後、ジュネーブお歌の会のライブを聞いた。
風に乗り、鳥とともに
念入りにサウンドチェックをする様子や、舞台裏での練習風景などを見てから、ただならぬ熱意を持った合唱団がいるぞと思って見ていた。指揮者の方は気合の入った様子で何かしら音響係に指示を送り、合唱団に向かって何やら言いながら音を調整したり、伴奏者のピアノの音についても細かくチェックしていた。
そうして始まったジュネーブお歌の会の演奏は、そのメロディや一所懸命な姿、音色とリズムがじんわりとしみ込んできて、思わず目頭が熱くなった。特に島唄の演奏を聴いたときは、遥か遠くにある日本の文化、想いというものが何百年にも渡って、ヨーロッパの地へと届いていることの事実。そして、160年もの間、培われてきた友好な関係。それらが怒涛のように押し寄せてきて胸を打った。唄に国境はなく、想いはどこまでも届いていく。その事実を目の当たりにして涙がこぼれそうになった。
本当に素晴らしい歌声だった。届けたいという思いがひしひしと感じられて、それは私だけではなく聞いていた人々も同じ様子だった。一曲が終わるごとに歓声と拍手が沸き起こった。名の知れた歌手でなくとも、練習をして、届けたいという一心で演奏する姿は本当に素晴らしかった。間違っても、練習不足でも、一所懸命に届けよう、届けたいという思いさえ忘れずに音楽を楽しめば、それだけで十分なのだと思った。
最高の体験
自分たちが設営した舞台や机で、食事を楽しんだりライブを楽しんでいる様子を見ると、何とも言えない気持ちになった。建設業をやっているときもそうだが、作り上げるまでの過程を知っていると、作りあがったあとにその場所で活動している人の様子というのは、言葉には言い表せない喜びがある。自分たちが苦労して作り上げた場所で多くの人たちが新たな活動を始める。建設の喜びとは、常にそこにあるのだ。そして、誰も損をせずに誰もが気持ちよく仕事が出来たり、過ごすことができること。それが私の一番の芯なのである。決して職人さんが不当に損を被るようなことはあってはならないのだ。誰かひとりでも幸せにならない建設なんてものがあるなら、それはふとしたタイミングで瓦解してしまうものなのだ。思えばそのような嫌なしがらみに巻き込まれそうになったとき、私は前の会社を離れることを決意したのだったと思いだした。
みんなが幸せに会場の設営をして、楽しくそれぞれに役割を全うして運営したイベントは、大成功だった。より良くなることはまだまだ可能であるが、まずは一歩を踏み出して多くの人たちに喜んでもらえたことを噛み締めたい。
最高の体験をした後、私は再びレマン湖を歩いてホテルに戻り、ぐっすりと眠った。