古今亭文菊 ちりとてちん・水屋の富
故郷の語り
落語の世界を感じたことのある人間からすれば、落語を見に行くという体験は扉を開けに行く感覚に近い。はっきりと存在はしていないが、落語家という存在を間口として開かれる落語の世界への扉の前に立ち、その落語家の語りによって案内される落語の世界は、誘われる度に新しい発見がある。そして、その世界は常に語られる度に変容を遂げるため、一つとして同じ世界に行くことはできない。語りの案内によって誘われた落語の世界は、まるで一つの旅をしたかのように深く心に刻まれ、忘れられることのないまま静かに、確かな温度を保って存在し続ける。
落語の世界への扉のうち、私にとって故郷とも呼ぶべき、そしてまた落語の世界の中心となる扉であると確信している語りによって、私を落語の世界へと誘ってくれる落語家がいる。
古今亭文菊。
彼こそが私にとって落語の世界のど真ん中を歩き、私におかしみのある落語の世界を鮮やかに魅せてくれる落語家である。彼以外に、落語の本流、源流を感じさせてくれた落語家は他にない。
そんな本流の扉を開き、落語の世界へと誘ってくれる落語家、古今亭文菊の落語を一年と数ヵ月ぶりに聞いた。オーストラリアに行く前、最後に聞いたしばしの別れとなる演目は「籔入り」であった。
あの頃よりも成長して、さらに自由になって、私は古今亭文菊師匠が上がる高座を観客席から見た。
幾星霜が過ぎようとも、私は故郷の語りに帰ってくる。古今亭文菊の語りが生き続ける限り、私はその素晴らしさを語り続ける。
ちりとてちん
古今亭文菊師匠の出囃子である「関三奴」が流れたとき、改めて「ああ、久しぶりに文菊師匠が見られるんだなぁ」と感慨深かった。何度も聞き続けた筈の関三奴だが、やはり聞くたびに袖から文菊師匠が出てくるのだなぁとワクワクする。ちょっと腰を屈めていつものように現れた師匠は、少し段差のある梯子をゆっくりと上って高座にあがった。
1年と数ヵ月が過ぎても、そこには今まで見てきた文菊師匠がいる。いつもの姿で、いつもの声で、そしていつもの佇まいで。私は故郷に帰ってきたのだった。
横丁の旦那に呼ばれ、世辞と愛嬌に定評のある男が残り物の食事を嬉しそうに食べたあとで、今度は愛想のないぶっきらぼうな男が旦那から珍品を食わされて七転八倒するという「ちりとてちん」。
オーストラリアで仕事をしているときも、日本で仕事をしているときも、世辞と愛嬌はいつも人との関係を円滑にした。何の因果か運に恵まれ、オーストラリアで生活をしているときも、ほとんどの人が優しく私に接してくれて助けてくれた。世を渡るためには運も重要だが、それを活かす世辞と愛嬌の大切さを改めて落語を聞いていると感じる。どんなものでも美味しそうに、喜んで食べる男と、腹がいっぱいだが渋々食べつつ文句を垂れる男とでは、どちらが気持ち良いかというのは言わずものがなである。
久しぶりの文菊落語に触れて、まるで自分自身にも問いかけられているかのように、世を生きる術のヒントを改めて文菊師匠は私に語りかけているのではないかと思った。世を渡るにはぶっきらぼうで見えっ張りじゃ苦労する。何事も心の底から楽しく、喜んで、時に冗談を言い合いながら語り合えば、世を渡る幸福というものに触れることができるのではないか、と。
とはいえ、ぶっきらぼうな男の方も旦那が拵えた珍品を食して七転八倒しつつ、どこまでも自分らしく生きている。ひどい目に合いながらも、自分の意思を曲げない意地の強さもまた、苦労は多かれど魅力的に見えた。
落語を聞き続けていると、人間同士がかかわり合う上で大切なものが残っている気がするのである。競争の世界にいて、誰かとなにかを比べあっていると失ってしまう何かを、しっかりと残している。その思いが現代まで繋がっているように思えるのである。
どんなにバカでも、おろかでも、意固地でも、落語の世界は受け入れてくれる。様々な違いを受け入れて、認めあって笑い合う。お互いがお互いを批判するだけではなく、愛を持ってかかわり合う落語の世界が、私にとってはとても居心地が良いのである。
オーストラリアから帰ってきて改めて、文菊師匠の落語の世界の心地よさに身を浸し、筆舌に尽くしがたい幸福を味わった。
水屋の富
二席目はネタ出しであり、ネタ下ろし、つまり初演となる演目だった。マクラでは冗談をまじえながらも、丁寧に当時の時代背景、水屋という商売の成り立ちや必要性、江戸の街の水道設備の詳細など、人々の生活に欠かせない職業である水屋について文菊師匠は語った。
その詳細な語りによって、ありありと当時の風情が脳裏に残った後で、演目の「水屋の富」の世界へと誘われた。
あらすじを簡単に書くと「宝くじに当たった水屋の男が、金が気になって仕事が手につかず、最後はその金を盗まれる」という話である。
文菊落語の面白味を削がないように、あえて詳細は省くのだが、私は丁寧なマクラを語った文菊師匠のとある言葉が頭に残り、それが最後のオチに繋がるまで忘れることができなかった。
私としては、主人公の男がなぜ最後にオチであの言葉を発するのだろうということの、一つの答えらしきものを前半に残したように思うのである。
今日では、当たり前のように蛇口を捻れば水道水が出る。だが、オーストラリアはまだしも、紛争地帯や発展途上国では水のみならず電気・ガスも整備されていない国もある。豊かになったからこそ、かつて水屋という商売が存在していたことを不思議に思う人々もいるであろう。
そのような重要な設備に関わりながらも、宝くじに当たったことによって金のことばかり気にするようになった主人公は、夜も眠れず、人を疑うようになり、最後には得意先から叱られてしまう。
それほどまでに突然手に入った大金というのは恐ろしいのだ、と言えばそれまでかもしれないが、私には人々の生活を支える職業を手放せるほどのものなのだろうかと思ったのである。
生きていくのに困らない金があったら、人の命をないがしろにして逃げてしまっても良いのだろうか?
「水屋の富」という演目は、金と仕事のバランスを絶妙に観客に問いかけているように思うのである。
これは、現代にも通じるものがあるのではないだろうか。
株式投資や不動産投資など、様々な手段で突然、大金を手にしたとする。だからと言って、それまで築き上げてきたお得意との関係、重要なインフラに関わる仕事を簡単に手放せるのか。
これは愛とも異なる。誰もが誰かの生活を支えるために、または自らの生活を継続するために仕事をしている。そして、それは突然降ってきた大金によって失えるものなのか、それともそうでないのか。ということである。
昨今では早期リタイアという言葉もあるが、社会との関わりは切れない。誰もがなにかしら社会との接点を持ちたいと望み、それによって相互に対価を払い、受けとる。これらの営みの中で、金銭はどれほどの影響を与えるのであろうか。それは人によって異なるであろう。
水屋の富の主人公は、しつこいほどに大金を確認する。当時は銀行に預けることもできず、家に置けば泥棒に盗まれる可能性もある。そのような不安に苛まれた結果、仕事よりも金のことが気になって仕事が覚束なくなる。株式投資をやっている者なら身に覚えがあるかもしれない。ちょっと目を離している隙に株価が暴落し、あっという間に紙切れになってしまうという恐怖を抱えたことがある人もいるのではないだろうか。
人生は金か、仕事か。
水屋の富では、最後は遊び人に金を盗まれる。これもまた落語の世界が巧妙に仕掛けたタネであると思うのだ。仕事熱心で真面目だが大金を手にしてノイローゼになる主人公の金を、その様子を見ていた遊び人の男が盗むのである。
世の中というのは、こういうことが平気で起こる。一所懸命頑張って貯めた金を詐欺師が奪う。最近では地面師たちというドラマがNetflixで話題だが、大企業でさえ詐偽集団に金を盗まれるのだ。
だからといって、真面目に働くのが悪いというのではない。大事なことは、自分の人生にとって何が大切かということを忘れてはならないということだ。
もしも、大金を手にした男が「こんなのはした金だ」と考えて、金のことが気にならなくなっていたら、この話は生まれなかっただろう。この話が今世にあるというのは、誰もが大金のことが気がかりであり、それによって大小様々に悩まされているということである。一度大きく痛い目を見た人もいれば、気にせずに生きている人だっているのだ。
ちなみに今では、銀行は1000万までの預金は保証してくれる。だが株式投資は紙切れになるリスクを孕んでいる。世の中にはまだ預金だけに徹し、大きくリスクを取った株式投資等の投資に手を出す人は少ないであろう。金だけに限らず、人は大小様々に自分の大切なものを気にして生きている。何も気にせず生きていくのは楽かもしれないが、それはそれでつまらなくなる可能性もある。そう考えると、何かしらに煩わされることもまた、生きていく喜びかもしれない。
オチを聞いた後で、もやもやとまとまらない考えが私の中に浮かびながらも、今ようやくこの記事を書くことによって少しまとまったように思う。
いずれにせよ、これはまだ初演である。もちろん初演とは思えない完成度だが、これから果たしてどのように進化していくのか、今後の文菊師匠もますます目が離せない。
思うがままに 望むがままに
終演後、同じく文菊落語を愛する人と一緒に近くのお店に入り、3時間近く語り合った。オーストラリアぶりに再会したその人は、ますますエネルギッシュに、そしてさらに文菊愛を高めていた。
美味しいお酒と料理に舌鼓を打ちながら、落語談義に花が咲いた。大好きな文菊落語を語り合える仲間がいるというのは、本当に幸せなことだと思う。
私自身を振り替えってみれば、金に目が眩んだわけでもなければ、仕事が嫌になったというわけでもない。ただ単純に、自分がやりたいと思ったことを自分の責任で思うがままに、望むがままに突き進んでみようと思ったのである。既に資格を取得したり、コミュニケーション能力は人よりもあるという自負もあり、いつでも戻れる環境を整えることが出来たから、新しいことに挑戦してみようと思ったのである。そして、オーストラリアで一年を過ごし、一緒に過ごした仲間や上司からいつでも戻ってきてねという言葉をもらい、はっきりと海外でもやっていける自信と事実が出来上がった。
興味の赴くままに生きても、何の後悔もない。
そう思ったからこそ、私は色んな人に会ったり色んな場所に行って、様々な経験をしたいと思ったし、経験を積んだのである。英語や日本語、それらの言語はいつも私を支えてくれた。
そして、改めて文菊師匠の落語という故郷に帰ってきて、今も心の中にじんわりと残り続けている思いや感情があれば、私は大丈夫だ、と思えるのである。
どんな苦労に苛まれても、どんな厳しい状況がやってきても、笑い飛ばせるような逞しさを、日本だけでなくオーストラリアでも培うことができたのだ。
幸いにして欲の浅い人間であるから、それほど金に困ったこともないし、大金が迷い込んできても、やることは変わらない。細々と思うがままに、望むがままに、そのときそのときで考えて進んで行く方が性に合っている気がする。予測がつかないことほど面白い。
素晴らしい落語と、その後の語り合いの幸福を味わいながら、私は帰路についたのだった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?