2024/07/11 雑記「都会が自分を救うとき」
5年ぶりに会った友人二人と新宿に繰り出し、男三人で焼き鳥食いながらバカな話を。
音楽をやっている共通点の中でも、ラルクからキングクリムゾンまで話が合う。ほとんど一緒に飲んだことがなかったけれど、音楽に感動した人間同士、かけてきた想いがある。
それぞれがそれぞれの人生で変化を体験し、それぞれが選択の結果そこにいた。
集中しないバカ話などないので、精一杯楽しんだ後に急に我に帰って寂しく思う3分後、なんとなく人間を観察しながら山手線に乗る。
マナーを守らないのは若者、ではなく、若かろうが歳くっていようが一人で生きているような表情で、自分と友人だけが特別であるかのような振る舞いで、電車という空間が成立するか成立しないかギリギリのところでその人達は存在し、お互いが、お互いの時間に干渉をしないでいる。
決して心地よくはないけれど、これがきっと東京の縮図であり、己が見たい幸福を自分から積極的に見ることが求められてしまう。けれど、つまりそれはきっと幸せなのだ。
周りが見えない田舎で何をすればいいかわかって生きられる人はすごいと思うが、きっと自分はそうは生きられなかった。
コントラスト、が、必要だったのだと思う。
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ここ数日、退廃的な想いに苛まれた。
それは、手を伸ばせばすぐそこに存在する「豊かさ」を、ただ自分が選ばなかった結果を体感しただけだった。