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白血病の妻を支える夫となって

2024年6月20日
病院の医師から精密検査の結果を伝えられると、
妻が白血病に罹患していることが突如分かりました。
世界が一変しました。

妻32歳、私33歳、子ども1歳。
2023年1月に結婚して、第一子が産まれた何処にでもいる家族です。
妻は台湾人で、アメリカで出会い、4年間付き合ったうち、コロナ禍で2年8か月会えない状態が続き来ましたが、結婚に至りました。

自分には遠い世界であった白血病やがん闘病の話。
きっと同じように苦しみ、戦う人たちがいるはずなので私たち家族の悩みや状況を書く事で共に頑張れると信じているため書き残します。

異常のきっかけは年末の副鼻腔炎

2023年12月末に妻の鼻詰まりがひどいということで、耳鼻科の救急外来を受診しました。医師から言われたのは、急性の副鼻腔炎。
薬を処方してもらい、しばらく飲み続けて、4日ほどすると少し改善しました。

しかし、年が明けるとまた調子が悪くなりました。そこで、自宅から近くにある耳鼻科に行き、もう一度見てもらうとやはり副鼻腔炎の診断。
もともと妻にもアレルギー性鼻炎があったということなので、何も思わず薬を飲んでもらうことにしました。

しかし、1か月半たっても、まったく症状が治りません。妻も鼻で息ができず苦しいということで、ここから耳鼻科巡りが始まりました。

謎の肌荒れと歯からの出血

3月ごろから、身体がとてもしんどいと言われ、当時生後半年の子どもの世話も大変であろうということで、なるべく無理せず休んでもらうことにしました。
その後に、子どもが母乳を飲んだり爪でひっかいた傷の治りが私よりも悪いことに気づきました。また、肌荒れが激しくなり、今度は皮膚科にも診察に行きました。
当時は完全母乳で育児をしてもらっていたため、ホルモンバランスが崩れたり、夜中に授乳のために起きるなどの生活からきているのだろうと思っていました。
歯を磨くと歯茎から血が出るということで、鼻詰まりのせいで口呼吸をずっとしている影響で、口が乾燥してしまっていると歯科医師からも診察を受けました。

やはり治らないので耳鼻科巡りを再開

3月下旬から5月頭にかけて、療養もかねて一旦妻の実家である台湾に帰省してもらい、生まれ育った場所で休んでもらうことにしました。
台湾では、少しづつ元気になっていく姿を日々のLINE越しに確認することができたので、やはり慣れない土地での生活や育児の心労が来ていたのだと思っていました。
その後、5月に台湾から日本に戻り、しばらくたった後、妻の体調が悪化しだしました。この時は、「やはり日本での生活が合わなくてつらいのか。どうしたら良いのだろう」と日々考えていました。
それでも、鼻詰まりは半年たっても改善していません。職場の人にも耳鼻科医で有名な人がいないか聞き続け、何軒か紹介してもらったクリニックに行くことにしました。

紹介状経由で地域基幹病院で検査、白血病発覚

6月14日に職場で紹介してもらった耳鼻科に行くことにしました。
この前日には普段熱を出さない妻が発熱して、身体の調子が悪化していきました。
耳鼻科で半年前から副鼻腔炎が治らず、発熱が起こったことを説明しました。
合わせて、お薬手帳を持っていき、日本でこれまで処方された薬と台湾で処方された薬を見せて、効果がなかったことを話します。

このような状況を説明した後、耳鼻科医師からは「これだけ薬を処方されても改善していないのはおかしい。地域基幹病院に紹介状を書くので、すぐに行ってほしい」と言われました。

6月18日。朝イチで基幹病院の耳鼻科に行き、CTと血液検査を行いました。
耳鼻科医師から言われたのは、「貧血はよくありますか?」「疲れやすくないですか?」といった問診があり、翌日の総合内科医の予約を取られました。

6月19日。総合内科医が血液結果を判断されると、すぐに翌日しかない血液内科の問診をねじ込まれました。

6月20日。11時からの予約でありましたが、念のために10時には病院に着いて診察室前で待っていると、病院から電話。
電話を出ると、血液内科の医師からの直接電話であり、すぐに来てほしいといわれる。
今、目の前で待っていると伝えると、すべての順番を飛ばされ、診察室に。

血液検査の結果から、白血病であると診断され、今すぐ治療を開始する必要があるということで、大病院に移動後、今日から入院して治療を開始すると言われました。

妻の故郷である台湾で治療の選択

地域の耳鼻科で紹介状を書いてもらってから、白血病とわかるまで6日間。
先週まで疲れていると言いながらも、一緒に子どもとスーパーマーケットに買い物に行っていた妻。
あまりのショックに震えて、壁に身体を預けないと立てなくなりました。

造血幹細胞移植も視野に入れる必要があると言われて、
医師からの説明を聞き、知識のない中で必死に考えました。

まだ日本語が得意ではない妻をこのまま日本の病院で治療を行っていいのか。
移植手術をするということは、おそらく家族から貰う可能性が高いだろうが、台湾から日本に呼んで検査と治療をするにはビザ取得等の時間が間違いなくかかり、最短での治療が行えない。
台湾の家族は、自分の娘がどういう状況になっているかが、日本の医師から中国語で説明できない。
血液検査の結果を見るとギリギリ今日ならば動ける。
たまたま、台湾から妻のご両親が来ていて、一緒に日本の医師から説明を聞けた。

こういった状況を判断して、その日のうちに台湾に戻り、翌朝一番で台湾の大病院に行き治療を開始するという選択を日本の医師と妻と台湾の家族と相談して行いました。

日本の医師は、すぐに診断結果を英文で診断書を書いてもらい、
日本の医師からも受診予定の台湾の医師と直接電話でコンタクトが取れないか台湾の病院側と取り合ってもらいました。
ここまで即時に対応いただいた事に今でも心から感謝しています。

6月21日には、台湾の大病院で診察を受け、台湾の医師に日本での診察結果を共有し、台湾で治療を行うことになりました。

現在

2024年10月現在も台湾で治療を続けています。
幸いにも、妻の弟と骨髄の型が一致しており、移植手術の準備を進めています。

そして、治療は順調に進められています。

看病に付き添いながら感じたことは、やはり言葉や文化の違いがあるため、妻の故郷に帰った事は正解だったと感じています。

当然ですが、患者本人や家族が治療方針や状況を直接わかるというのはとても安心できます。

この文書を読んでいただいた方に伝えたいのは、体調がおかしいと思ったら血液検査を申し出でほしいという事です。

私たちは副鼻腔炎がきっかけで、白血病と向き合う事になりました。
少しでも身体がおかしいと思ったら躊躇せずに血液検査を申し出たり、大病院への紹介状を書いてほしいと医療機関に申し出てください。

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