お城跡を巡る旅in栃木#1
前乗りした道の駅茂木を爽やかに目覚めました。心配された台風の影響はほぼ無く、そのせいか暑くもない快適な車中泊でした。
昨夜ローカルコンビニで買った地元のパンを頂き、早速出発です。
と、言って僅か10分ほどで着いてしまいました。
実は、若い時に宇都宮でshopを経営してまして、アパートに暮らしてましたが、良く実家にも帰ってました。
その道すがら茂木は通る町なので、馴染みがあります。次に行く予定の飛山城は芳賀町にあり、こちらも覚えてる町名でした。
八田氏が頼朝からこの地を任されて、茂木を名乗り以後400年も続いたそうです。江戸まで続き、最後は佐竹と運命を共にして、秋田に流された史実を知りました。
現在は栃木県ですが、非常に親近感を持ちます。人々の交流も盛んだったろうし、ほとんど親戚関係の地域のようです。
現在は公園になってますが、土塁など遺構も残されており、茂木氏の功績を感じます。
距離的にも佐竹の影響はかなり受けたものと思われます。この後行く宇都宮氏との関係性など、この地域の力関係が垣間見れます。
次は飛山城を訪ねます。ほんの目と鼻の先ですが、走りながら気になる事が出てきました。
道路沿いに屋台の様な物が出ており、やたら人が多いのです。立て看板で宇都宮花火大会が開催されるのを知りました。
ん、昨日です。台風の影響で順延となり、本日開催の様です。花火大会が普通に出来るようになって来たのかと嬉しく思います。
が、この花火大会により公園が立ち入り禁止で入れません。
これは諦めざるを得ません。
少しだけ覗きにましたが、色々遺構も残っているようで是非次の機会に訪ねたいです。
大分早いのですが、宇都宮城跡まで行く事にしました。
宇都宮城は基本跡形もなくなり、ここは発掘調査により復活した場所のようです。
これから色々発展させて行くのかも知れませんが、現状の所は中途半端になってると感じます。
江戸の初期に廃城となっており、仕方ないのかも知れません。しかし、宇都宮氏の功績は多大な物があります。百人一首に関わり、楠木正成との戦いなど歴史に残る人物なのを、今回初めて知りました。
この辺が栃木県民性なのかと思います。控えめで主張する事が少なく、生真面目な性分故、徳川に忖度して何も残さなかったのかもしれません。
そんな気分を体現してるかの様な模擬城でした。
良く北関東の戦いとテレビで取り上げられますが、群馬県は別にして栃木はやはり兄弟だと感じます。
今回の旅で茂木から芳賀、そして宇都宮まで基本親戚関係ですし、そこに佐竹も入りこんでいるのが良く分かりました。
政略結婚で姻戚関係を作り力の均衡を保つやり方です。この関係性は庶民レベルまで浸透していったと思います。
どうりで、栃木、茨城の言葉はほぼ一緒ですが、群馬は少し違います。
地理的に少し離れてる事もあり、若干違う文化があるのでしょうか。
宇都宮の心の支えである二荒山神社に行きました。これも初です。
街の中心部にあり今も市民に愛されてる様子です。宇都宮氏はこれを背景に、芳賀氏、茂木氏の協力と、時には佐竹の力も借りて500年の長きに渡り北関東の雄として君臨してきたのです。
その街は現代でもこの地域の1番都市になってます。そんな大都市を久しぶりに散策しました。
昔取引してたアパレル屋さんが、元気そうでユニオン通りに10店舗以上展開してるのには驚きです。この時代にこれは大変立派だと思います。不断の努力と何やらノウハウがあるのでしょう。
36年ほど前に住んでいたアパートも健在でした。
以前ロードバイクで訪ねた時に見つけた〝キタナトラン〝の焼きそば屋さんも元気に営業中だったので、軽くお昼ご飯を頂きました。
さて、常陸国と下野が兄弟の様な関係なのを認識して、少しホッコリとしました。
次回は上野の国と武蔵の匂いのする町のお城跡を巡ります。