群馬、栃木のお城跡を訪ねる旅#2
素晴らしい石垣のお城跡と偉人との出会いを胸に、次の館林城跡を目指します。
と言っても車で20分程の距離でした。ここはお城跡あるあるのパターンの一つで、市役所等の公共施設になってました。
考えてみれば、余程の山城でなければ、お城は町の中心にあったはずです。様々な理由で廃城になれば、その土地は基本公共のインフラ施設になるのは当然です。
ただ、残念なのがこの様な場合ほとんどの遺構などが廃棄されて、残ってないのです。
館林城もこれでした。面影らしき物は皆無で、もしかしたらこれは土塁跡かなという小高い土盛りが残っていただけでした。
德川期には直轄地になってたので、重要な土地のはずなのですが、不思議と何も残されてません。
実は群馬県は先に訪ねた高崎城、前橋城ともほぼ遺構がなく、巨大な県庁やホールなどになってました。偶然だとは思いますが、何か因果関係でもあるのでしょうか?
そんな思いを抱かせられるような場所です。
案内板も無く、新たな史実を知る事も出来ないので、次を目指す事としました。
栃木県に入ります。と言ってもこれもものの数十分でした。
佐野城跡にやって来ました。なにやら嫌な予感です。場所が駅前、というより駅中なのです。
流石に駅の中には何もありませんが、城跡まで繋がってる通路もありました。
これもあるあるですが、公園になっており遺構らしきものは有りません。地形から城跡を想像出来ます。現存の場所は非常に小さく忘れ去られた感が漂ってました。
さて、見所が少なかったので時間が出来てしまいました。そこで、予定にはなかっ壬生城跡に行く事にしまた。
何かでここを知り機会があれば行こうと考えてた所なので、ちょうど良いかな。
ここも色々お殿様が変わりましたが、最後は徳川家の直轄地になり、参勤交代の時の宿泊地として栄えたようです。
しかし、地味ですよね。地名として殆ど聞いた事もないのではないでしょうか?
地形としても全くの平地で観光資源としての場所では厳しいかなと感じます。
我が家の歴史を調べている時に、ある一派が壬生氏にたどり着き、そこに鳥居氏が居て、その部下に森田某がいたらしいとの事を知りました。
そんな事から訪ねてみようとなったのです。我が森田家の流れがここに繋がるかは全く不明ですし、おそらく違う流れだと思います。
名前や家の歴史を調べていると何かしら引っかかる事柄が出て来て、それを掘り下げたり、訪ねたりするのが楽しいです。
今回のお城跡巡りは後半はかなり地味になりました。遺構はほぼ無く、その意味では地味な旅になったのですが、やはり現地に来なければ知れなかった事もありました。
館林は宇宙飛行士の向井千秋さんと文豪の田山花袋さんの出身地で、壬生には箱根八里を作詞した鳥居さんが居ました。
お城跡を巡るシリーズも大分充実してまいりまして、次の栃木シリーズで第一段階のフィナーレかと思います。
宇都宮を拠点に様々訪ねて行こうと考えてます。そして、一旦北関東を終えて、秩父から山梨辺りを訪ねて行きたいと思います。
この辺りでも又、秀吉の北条攻めが出てくるのでしょうね。そこも含め知らない殿様名(実は隣にいる知り合いの名前だったりする)を知る事になると思います。
では、武蔵から甲斐国への旅で!
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