銅像巡りの旅IN横浜
新たな企画を思いつきました。〝銅像〝を訪ねる旅です。銅像とは多くの功績を残し、世の中に貢献した人物を、後世に伝える為に有志などが建立した物との認識です。
何故そこにある(居る)のか、どんな実績があるのかなど、歴史の裏側含め知る機会になります。
今回はロードバイクのリハビリも兼ねて近場の横浜での銅像巡りポタリングです。
まずは井伊直弼さんです。
何故横浜?
日米通商修好条約の締結を成して、その後の発展に寄与した功績を称えるべく、後に彦根藩士達がこの地を買取り建立したとの事です。
現在は市に寄贈されて公園になってます。
水戸藩出身の私としては微妙な感覚も持ちますが、時代の流れを作った人であるのは間違いないし、この方が居なければその後の横浜の発展がここまでになったかは分かりません。
その意味でのこの地に鎮座(立ってるけど)してるのは良いのかと感じました。
隣りにありましたので、軽ーく参拝してみました。この時期なのに何故か七五三の親子らしき人達が大勢いました。
なんでかはスルーして、次の目的地へ。
直ぐそばに野辺山地区があります。
小高い丘(山)の上は公園になってまして、
動物園もありますが、ここが無料なのは知らなかったです。
明治の始め頃外国から専門家を招いて、様々なインフラ事業を整えて活躍した方々の銅像がある様です。さすが横浜ですね。
政治家でない一介の専門家が実は活躍して、日本の土台を作ってくれてたりします。そんな気ずきも教えてくれる銅像です。
ここには展望台もありそこで新たな知識を得ました。
横浜在住の方々なら常識?でしょうか。
桜木町や関内など繁華街は海だったのです。
吉田新田と言われるように吉田勘兵衛さんが埋め立てて町を作ったそうです。
知らない事を知れるワクワク感で満足しながら、街中に降りて行きます。
時代は大分下って昭和の大スターが可愛らしい笑顔で迎えてくれました。
まだ小さい頃このお寿司やさんに出入りして色々お世話になったそうです。
この銅像は店主さんが建てたようで、愛情溢れる佇まいでした。
さて先程の埋め立てた中でもメインの場所となってる横浜球場(横浜公園)に向かいます。
当然ベイスターズの試合をやってました。場外まで声援の音が響きます。これも日本文化だな。大谷さんの所ではこの様なサウンドは無いだろうと妙な感覚をもちまして、嬉しくなりました。
なんとここには日本庭園もありました。
日米の人達がこの場所に集い日常を癒されてたとの事ですが、所謂スポーツをしてたのは日本人以外だったようです。そうでしょうね。
何もない小さな漁村だった横浜が人口2位を抱え、様々な分野で発展してきた。その原点の場所だと思うと何やら感慨深い物を感じます。
今回の海外の方はどちらもイギリス人でした。
他にもオランダ、アメリカ、フランスなど知る限りでも数多く居ます。次の企画を考えたいと思います。
おまけで山下公園で赤い靴の女の子に会って来ました。
まだ時間もあるので、三ツ沢公園まで行きます。ここも丘の上で激坂がありましたが、脚は何とか持ちました。これなら小田原も近々行けるかなとの確信を持てて嬉しく、ゼーゼーして登りました。
以前の市長さんで、横浜のスポーツ振興に尽力された方だそうです。更に元々地元の名士さんで平沼町の名主さんだったとの事。
知らなかった方ですが、何かテーマを設けて掘り下げて行くと色々な偉人に出会えます。
今回の旅は横浜と言う大都市ですから、探す手間はかからないほど色々ありました。
地方などに行けばそれ程銅像があるとは思えないので、ポイントを絞り探して行きたいと思います。
銅像と言う過去の遺産を伝える是非はあるかと思いますが、その土地の成り立ちや何故その様な人物が生まれたのかなど、これから導きだされる事柄は多くあると思います。
見慣れた場所にひっそりと佇んでいたなど、新たな発見もある様に思います。
実は今回のコースはネットで調べたある方のブログを辿ってます。新しい世界を教えて頂き、ありがとうございます。名前等勝手に上げる訳には行きませんので、匿名ですが感謝します。
さーて、次はまず現在の地元を探索して行きますかね。以外と居ると思います。
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