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サイモン&ガーファンクル 早く家に帰りたい
前回の続き。非食品は大きく五つの分類があります。前回は四番目の分類、ハブラシでしたが、五番目は「その他諸々コーナーの棚」です。春夏の防虫殺虫剤や冬のカイロ、ペートフード、電球、文具、特にカイロは冬になると確実に売れました。
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使い捨てカイロは1970年代中頃に開発された画期的商品でした。それまでは、鉄製の湯たんぽでしたから。
私、小学生の時、鉄の湯たんぽでお腹を火傷して、おへその横に火傷の跡がしばらく残りました。湯たんぽをお腹に乗せてお昼寝してたら、布カヴァーがズレて鉄がお腹に触れていたんです。そんな事もあって、安全なカイロは私にとっても素晴らしい発明です。笑
商品を開発したのは、菓子メーカーのロッテ。菓子の乾燥を保つために使う脱酸素剤のメーカーと提携して開発したそうです。
初めは販売ルートが薬局だったので、商品名には薬の名前に多い「〇〇ン」と末尾にンを付けた「ホカロン」とネーミングされました。一個百円だったので「百円カイロ」とも呼ばれていましたね。懐かしい。
その十年後には、貼るタイプが登場して、腰や背中、靴下にまで貼るミニタイプも出て今ではすっかり冬の生活必需品になっていますよね。
当時カイロの企画で覚えている事は、大きいサイズだとけっこう剥がれやすいので、よりミニサイズの方が売れていったという事や、大容量(枚数)になるほど断然安いってことです。
現在ではいろんなメーカーの貼るカイロがありますけど、商品の開発は日本企業のロッテだったわけですね。ロッテさん偉いなぁ感謝。ロッテのチョコ、ガーナも好きよ。
というわけで、
カイロ→早くうちにカイロ〜
→早く家に帰りたい
サイモン&ガーファンクル
「Homeward bound (邦題)早く家に帰りたい」を含むアルバム「パセリ•セージ•ローズマリー•タイム」の紹介です。
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このアルバムのラスト曲「7時のニュース/きよしこの夜」で、ニュースを読み上げるDJの声がありますよね。あれって、政治的なニュースで、ベトナム戦争の反対運動についても言及しています。
本作の発売が1966年で、米軍がベトナムに爆撃投下を開始した翌年です。アメリカ国内では反戦運動が展開されていました。
一曲目は「スカボローフェア」↑元は英国の民謡ですが、歌詞は異世界の悪霊が出てくる謎めいた話です。ポールサイモンが男女の恋と反戦を融合させたような曲にしました。
英国の海沿いの町スカボローで開催されるフェア(マーケット市)を指して「君はスカボローフェアへ行くのかい?それならそこに住む彼女によろしく伝えてくれよ、かつて僕が心から愛した人なんだ」旅人に語りかけてるのは死者(戦死者)の霊です。
旅人は、それには答えず霊を追い払うために「パセリセージローズマリータイム、パセリセージ〜」と繰り返しつぶやきます。魔除けの呪文のように四つのハーブの名前を唱えて異世界に連れて行かれるのを阻みます。日本でいう、クワバラクワバラとかナムミョウホウレンゲキョウのようなおまじないの言葉でしょうか。
また、反戦運動の中でヒッピー達が「自然回帰」という運動の中で、そのシンボルとしていたのも、これら四つのハーブでした。
「59番街橋の歌 (副題)フィーリン•グルーヴィー」↑は、この副題の様に、爽やかなグルーヴを感じる曲で、私は本作の中で一番好きです。
ポールサイモンが徹夜仕事の帰り、明け方にマンハッタンから59番街橋を渡る時の気持ちを歌った曲で、こちらは明るい歌詞です。
この印象的なベースとドラムは、ウエストコースジャスの代表的なピアニスト、デイヴ・ブルーベックカルテットのメンバーだそうで、跳ねるベースサウンドが心地よいです。まさにフィーリン・グルーヴィーな曲ですね。
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「早く家に帰りたい」(最後↓)は、ポールサイモンがひとりで英国でクラブ周りをしていた頃に書いた曲です。体は異国でライヴを続けながらも心は祖国にあり、自分の住む家に想いを馳せる、といった曲です。
子供の頃、私は毎日外が真っ暗になるまで野球をして遊び、夕焼けも沈み野球のポールが見えなくなると家に帰りました。そこには、当たり前に帰る家があって母が居て家族の食卓がありました。
しかしちょうどその頃、海の向こうではベトナム戦争が激化していた時代でもありました。
本作は、映画「卒業」の印象もあるかもしれませんが、発売当初は社会情勢の中で反戦色もあった作品だったと思われます。
もしかしたら「早く家に帰りたい」も、戦地の息子と祖国の母の心情と被せて聞く人も居たのかもしれません。
曲は寂しげながらも起伏があって郷愁を誘います。心の根底にあるであろう、うちに帰りたい、という気持ちが露わになってきます。
最後にSilently for me (何も言わずに静かに安らげる場所)と繰り返しながら、曲は終わります。
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