ローレン•ウッド 行かないで
前回の京都がらみの話ですが、一昨年、日本に帰国中の姉と二人で京都へ旅行しました。コロナ禍で人が少なく、姉は高校生以来の京都に感激していて青蓮院では、池の石の上でずっと動かない白サギと、長い間向き合っていて、他に人も居ませんでした。コレ↓
私が姉に「(もう)行くよ」と言って、姉が立ち上がると、ずっと動かなかった白サギが、キッとこちらを向き、こう言いました。
「行かないで」
というわけで ローレン•ウッド
「Please dont leave 行かないで」1979年
この曲↑は、マイケル•マクドナルドがバックコーラスで参加していますが、当時の彼は引っ張りだこだったと思います。
この頃のマイケルといえば、ドゥービーズで76年にWhat a fool believe、78年にTakin’it to the Streetという最大級の名曲でシーンを席巻した後です。そのマイケルと周辺人脈は当時、ローレン•ウッドを推していたそうです。
ローレンウッドの前身は、チャンキー,ノヴィ&アーニーという三人組で、チャンキーはローレンウッドの愛称です。
私はこの三人組時代の作品が好きです。
チャンキー,ノヴィ&アーニー 1976年
私がこのアルバムを知ったのは、私が19歳、姉が25歳、都内で姉が一人暮らしを始めた時です。その姉のアパートへ行った時、「100万ドルの美脚」と言われる姉の友人がいて、その旦那さんがどうやらロック好きらしいということで遊びに行くことになりまして、訪問したアパート先のご夫婦は、とても感じの良いお二人でした。
ご主人は歯医者さんのドクターで音楽好き。私が「(KISSが今好きを隠して)フリーやロバートパーマーが今好きです」と言うと「弟君イイ趣味してるねぇ」と言って男二人でロック談義が始まりました。
姉と100万ドル妻はキッチンの方でおしゃべりしてまして、歯医者の兄さん先生は歯の治療の如く次から次へと色んなレコードやカセットを私に施して録音してくれました。
「これイイんだよ〜チャンキーノビ&アーニー、聞いて〜」「こういうの好きです」「そっかーじゃこれは録音しとこう、あとは…」その時貰ったカセットの数々は、後々私の宝の山となりました。
三人のメンバーは、
チャンキー(ローレン・ウッド)ヴォーカル
ノヴィ ビオラ
アーニー ベース
ビオラ奏者のノヴィはドゥービーブラザーズのBlack Waterでの演奏が有名ですし、最近note仲間で話題沸騰のTakin’it to the Streetアルバムでもノヴィさんがビオラで参加しています。この三人組で二枚のアルバムが出ていて、それが72年と76年ですから、ソングライターであるチャンキーことローレンウッドがAORの女性始祖なんて言われのも頷けます。
↑この曲なんかは、どこかで聞いた覚えありませんか?溢れる愛のニコレットラーソンのデビューアルバムの四曲目です。ギターが覆面のエディヴァンヘイレンのあの曲です。元はチャンキーの曲だったんですね。
これ↓なんかは後に大ヒットする映画プリティーウーマンの挿入曲のまるで原型です。
そして1979年、マイケルマクドナルドのバックコーラス入りシングル「行かないで」を引っ提げて、ローレン•ウッドがソロデビューします。
その10年後、1990年に公開された映画「プリティ・ウーマン」で、2nd収録の「フォーレン」が使われ、映画とともに大ヒットしました。(一番下にライヴ動画添付↓)その後は職業ライターとしてマイペースで活躍しているそうです。
70年代後半、AORになったボズスキャッグズやマイケルマクドナルドの大ブレイクより少し以前に、チャンキー,ノヴィ&アーニーは、軽快なAOR風ロックを展開していたんですね。ビオラを随所に活かしたこの個性的な三人組、私は好きです。歯医者の兄さん、ありがと〜。
ただ、その後のローレンウッドのソロアルバムのジャケットがどれも良くないんですよ!同時代のリッキーリージョーンズ並みにハイレベルな写真なら、もっと売れてたかも。笑 ↓
ところで、気になる「100万ドルの美脚」ですが、奥様はお笑い系でもイケる元気な方でして、私達四人がちゃぶ台を囲んでた時、姉が「◯◯子の美脚は100万ドルって言われてるのよ〜」と言うと、彼女はちゃぶ台から立ち上がって「それほどでもないわよ〜」と脚を伸ばして私の目の前でポーズをとってくれました。
100万ドルとそのご主人と私の姉、という輪の中、弟身分の私が「おぉぉすげ〜」とか、言えるわけないじゃないですか。
ノーコメントで照れ笑いするしかなかったのは、言うまでもありません。
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