女子大生がホームレスにお菓子をあげた結果
大学3年になった今年の4月末、私はフードバンクのお手伝いに行き始めた。
大学1年の頃、Facebookのイベントで知り合った、教会のおじさん。フードバンクをやっているAさんとは、その教会でたまたま出会った。(ちなみに、教会で行っている行事は信者以外もたくさんいる。)
フードバンクのお手伝いの内容は、食糧の仕分け。食品の種類と賞味期限ごとにわける。
この頃は、フードバンクはメディアでの取り上げもあり、食糧の寄付が絶えない。でも、フードバンクを回しているのは基本Aさん一人。
Aさんのフードバンクでは、直接Aさんが「配りますよ」と、無料市などは基本的に行わない。社協や施設を通して、食糧を困窮者に届ける。本当に必要な人は、自分でとりにいけないからだそうだ。
ただ、連日来る食糧、農家さんがご厚意でくれる新鮮野菜はすぐに届けないとだめになる。「スピード」と「必要な人へ」の両輪を回すのに苦労しているそうだ。
「本当に必要な人にとどけたいの」
十数年、民間シェルターなども含めた困窮者支援をやっているAさんの言葉は、まだ20年しか生きていない私に、ずん、と響く。
いくらシステム思考、などと本で読んでも、一人の言葉に影響されてしまう。
お手伝いはいつもボランティアなので、代わりに、廃棄予定の賞味期限切れの食品をもらって帰る。ただその日は、特別、Aさん個人がもらった高知銘菓ももらって帰った。
両ハンドルいっぱいにさげたお菓子やら、野菜やら。
Aさんの言葉が頭の中をめぐりながら河川敷沿いを走る。
国立大学に行けるくらいの裕福さをもった20歳の私には「本当に必要な人」がどこにいるのか、どんな人なのかわからない。
本当に必要な人になんて届けられるのか?とりあえず、どんどん配ったほうがいいのでは?なんて思う。
ふと右の視界にはいるおじさん。
ホームレスだ。
あ、きっとこの人が「自分でとりにいけない」「本当に必要な人」の一人だ。20歳のわたしは判断した。
自転車を近くのベンチの前にとめて、お菓子を取り出す。これだけ、あげよう。
でもお菓子っているのか?ご飯ものがいいのでは。ご飯ものは今ないや。今度にしよっかな。
止めていた自転車をもっかい走らせた。
でも、以前Youtubeで見た動画を思い出した。
すごいな、この人。アメリカじゃこうやって配るのってフツーの文化なんだろうな。日本人はこういうのなくて、冷たい文化だな、なんて、動画を見ながら思っていた。
ー私は、冷たい日本人になるのか。いや嫌だ。おじさんのところに戻って、お菓子を持っていった。
「これ、いりますか?」
どんな感じで受け取ってくれるのだろう。こうやって渡したら私はどんな気持ちになるんだろう。人にやさしくするってどんな気持ちになるんだろう。きっと満たされた気持ちになるだろうな。
瞬間的にぐるぐる思いが巡ったと同時におじさんは言った。
「あ、大丈夫です。」
「え、いいんですか…?」
「はい、大丈夫です。」
そのまま、私は引き返した。なんでおじさんは断ったんだろう。
あ、日本って、困っている人にものをあげる文化がないんじゃない。
他人に”助けられる”文化がないんだ。
20歳の女子大生がホームレスにお菓子をあげた結果、こう思った
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?