ヒップモーニング【レズパコ#01】
挨拶をするときは尻を叩かなければならない。おはよーだけで済ますのは倫理にもとる。相手が生理だろうが痔だろうが関係ない。むしろ弱っているときこそ思いっきりひっぱたいてやるべきだ。噂によると男子校の挨拶はカンチョーらしいから、女子のか弱い平手で叩くだけなのは恩情である。
なにもうちのクラスに限った話ではないし、ましてや私が個人的に推奨している運動でもない。学校全体がそういう文化なのだ。なんでも室町時代から続いている由緒正しき伝統らしい。連綿と紡がれる歴史に敬意を表し、私は今朝も友の尻を叩く。
「おっ、はっ、よう!」
「きゃんっ」
おっ、で踏み込み、はっ、で振りかぶり、ようの掛け声に合わせてすっぱ抜く。紙風船を叩き割ったような軽快な音色が悲鳴と重なる。手のひらに残る確かな弾力。
「まさかと思ったけどこのケツの張り、もしかしてのん?」
「そういうあなたは――」
驚いた顔で振り返るのんに、くるっとターンして尻を向ける。餅つきの合いの手のように狙いすました平手打ちが、私の尻をすかさずひっぱたく。
「れお、れおなのね!」
「のん! 会いたかった!」
向き直って両手をしっかり握り合う。どんな即興の寸劇にも合わせてくれる、彼女こそ私のベストフレンド。実際は尻の感触を確かめるまでもなく、後ろ姿だけでのんとわかる。だが人違いの可能性もあるわけだから、やはり叩いておいたほうが確実だろう。
駅のホームで繰り広げられる感動の再会に、周囲の人々は無関心だ。赤いタータンチェックのスカートを見れば、ああ、あの女子校の生徒か、と納得される。この場でいきなりドラミングをして、ゴリラのようにウホウホとナックルウォークで駆け出しても、日常の景色としてシカトされるだろう。
特に品行方正な私と違って、のんは明らかに頭の悪いギャルだ。うねってまとまらないライオンのような茶髪、キラキラピンクの尖ったネイル、尻たぶが見えるほどのスカート丈、そんな標準的な私とは対象的に、のんは一見すると清楚な黒髪女子高生だが、アホそうなオーラは隠しきれない。目尻を引っ張られてるような極端な垂れ目のせいだろうか。いつも眠たげなその目を見ていると、私はまた無性に彼女の尻を叩きたくなる。
この制服にはバカですというレッテルのほかに、痴漢可という張り紙も貼られているので、ぼっちはまともに登校すらできない。私たちは互いにケツを預ける者同士の信頼の証として、挨拶代わりに尻を叩くのだ。
電車のドア付近にもたれかかって、昨夜お気に入り登録した写真やショート動画を見せ合う。仲良し女子高生がわちゃわちゃふざけている動画を眺めていると、今日も世界の平和を実感する。進学も就職も将来も存在しない、この楽園が一生続いていくのだと確信できる。バカでいいのだと開き直れる。
「ちょっと、れお」
スマホから顔を上げたのんが、垂れ目を心持ちつり上げる。私は左手で彼女の尻を揉みしだきながら、いったいどうしたのだろうと首を傾げた。なにか困ったことがあるなら助けてやりたい。私はいつでもこの愛すべき友の力になる所存だ。
「この人です」
急にのんが私の左手首をつかんで高々とかかげた。カンカンカンと脳内にゴングが鳴り響き、チャンピオンベルトが腰に巻かれる。勝者、花山玲央。私はスマホを持っている右手も突き上げて、堂々と胸を張った。
「今度からお金取るからね」
「いいじゃん、減るもんじゃないし」
「減ってるの。とくにれおの触り方、なんか吸収されてる気がする」
言われてみれば私は毎朝のんのケツから活力をもらっている。しかしこれが有料コンテンツになってしまったら、私は一月も経たず破産するだろう。
どうしたものかと考え込みながら、解放された左手をふたたび元の位置に戻す。のんの平手がピシャリと手の甲を打つ。
「怒るよ」
「ごめん、完全に無意識だった」
「そのうちほんとに痴漢で捕まるよ」
「大丈夫、のんにしかしないから」
「次やったら現行犯逮捕ね」
私の左手が悪さをしないように、のんがしっかりと指を絡める。手を繋いで、肩を寄せて、夏服越しのぬくもりと柔らかさを感じていると、ますます衝動がこみ上げてくる。こういうとき私は自分が人間であることが恨めしくなる。できることなら動物に生まれたかった。この親友に私の情熱を伝えるには言葉じゃ足りない。むき出しの身体をぶつけ合わなきゃ気がすまない。
最近のんがよく夢に出る。彼女はてくてく歩いていて、私はそれを走って追いかけている。全速力なのに距離が縮まらない。ひらひらと揺れる赤いタータンチェックのスカートが、闘牛士のマントのように私を刺激する。伸ばした指先が大気圏に突入したように発火する。のん、のん、のん、と呼びかけようとした口に熱風が吹き込んで、舌をからからに干からびさせる。
汗だくで目覚めるたびに私はラインを確認して、のんがちゃんとこの世界に存在していることに安堵して二度寝する。
だからホームで演じた感動の再会はべつに大げさでもないし、彼女の尻を叩かなければ私の一日は正常に始まらないのだ。
改札をくぐって先をゆくのんの尻を、私はまたひっぱたいた。
「きゃんっ」
毎度のことなのに新鮮な悲鳴を上げてくれる、この友人がいるから私は毎日が楽しい。なのにこのもどかしさは、日増しに募ってゆくばかりだ。夢の中でいつか彼女に届いたら、私は火達磨になってしまうかもしれない。燃えて、燃えて、永久に燃え尽きない太陽になって、のんのお尻を明るくまぶしく照らし続けるのだ。私はそのために生まれてきたのではないかと、最近つくづくそう思う。
「七時三十二分、花山玲央容疑者、現行犯逮捕」
腕時計を確かめて宣言し、のんが私の手首をつかむ。しょうがないなと下がった垂れ目に、私はとろけそうになる。
駅前の炎天下、集うタータンチェックの赤スカートがコントラストに映える。疼き出す私の手が、獲物の群れをロックオンする。のんの尻は素晴らしいが、彼女らの尻もみんな違ってみんないい。白状すると私はのんのみならず、いろんな女の夢を見る。私は血肉を求める捕食者であり、その飢えは決して満たされることはない。
だけどこの夏、私はついにたどり着く。燃えたぎる情熱を受け止める、最善最高の単純極まりない、ある方法に。
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