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私だ【レズパコ#07】

【前回のお話】
#06 ボンレスハム太郎

 昨日はお腹が痛くて学校を休んだ。今朝にはスッキリしていたが、なんとなく億劫で家を出るのが遅れた。のんには足をグルグルにして走るラインスタンプを送っておいた。

 のんとの待ち合わせのために、私は毎朝一つ遠い駅から通学している。家を出て、学校とは逆方向の海側に自転車を走らせて、正しく一日を始めるためにのんのケツを叩く。その分のロスタイムがあるので、ちょっとくらいの遅れなら最寄りの駅から乗れば始業に間に合うのだ。朝起きれなくてギリギリなときはたまにそうしている。

 金曜日とはいえ、電車は珍しく混み合っていた。やけに多い乗客を見て、のんを探すのは諦めた。そういえば道の駅のマルシェが今日から土日と三日間続くから、それも関係しているのかもしれない。

 当然座れる席もなく、入り口付近に立った。いつもなら壁にもたれてのんと動画でも見ながら過ごすところだけど、今朝はなんだか景色を眺めたい気分だった。

 のんの駅からなら海が見えるのに、最寄りの駅からだと住宅や田んぼしか見えない。のんと遊んだ公園とか、マックとか、まねきねことか、ジョイフルとかが、まるで作り込みの甘いゲームの書き割りみたいに通過してゆく。

 昨日は本当にお腹が痛かったんだ。と私は言い訳がましく思った。便秘を治そうとフルグラを食べすぎたし、父の晩酌に付き合っておつまみをヤケ食いしたから、それでお腹を壊したんだ。断じてりちゃこやのんと気まずいからズル休みしたわけではない。

 だったら、どうして今朝はわざわざ遅く出てのんを避けたんだ。

 いや、べつに、ただなんとなく病み上がりでだるくて遅れただけだし。

 じゃあどうしてのんを探さないんだ。いくら混んでるとはいえ、いつもだったら乗客をかき分けてでも探し出すだろうに。

 だって、それは――

 自問自答で自分を追い詰めていると、ふと背後に違和感を感じた。

 いま、触られた?

 気のせいだろう、で済まそうとしたのを見計らったように、またスカートになにか当たった。電車が揺れているせいだろう、と言い聞かせるのを否定するかのごとく、お尻にぐっと押し付けられる。カバンの角かな、と希望的観測にすがる間もなく、もみもみと指が動き始める。

 助けて、なんて取り乱したりはしない。この人痴漢です、と検挙したりもしない。振り向きざまに肘鉄を食らわせ、金的を蹴り上げる。もしもの場合はそうしてやると、ずっとイメージトレーニングをしてきた。

 なのに実際のところ、私は恐怖で動けなかった。わずかにできる抵抗といえば、ケツ筋に力を込めるくらいで、そんなガチガチに固めた防御も、背後の手は容赦なく揉みほぐそうとしてきた。

 私なんかのケツで人生終わらせていいのかい。奥さんだって子供だっているんだろう。その手は家族を守るためにあるんじゃないのかい。とクールに説教をかまして泣き落としさせる。そんなシミュレーションだってしてきた。このバカ校の制服は狙われやすいと自嘲してるし、また触られたよとうんざりするクラスメイトの愚痴も笑い飛ばしてきた。

 だけど心のどこかで、自分だけはそんな目には合わないと高をくくっていた。父子家庭でも健気に明るく生きている私が、そんなひどい目にあっていいはずがない。

 毒のある虫が身体を這いずり回っている感触。気持ち悪くて恐ろしくて振り払うこともできない。ただ一刻も早くどこかに消え去ってくれることを願うしかない。

 これは罰なのだろうか。りちゃこに酷いことをしてしまったから、地獄から痴漢が派遣されてきたのだろうか。

 りちゃことは幼馴染だし、喧嘩をしたのも一度や二度ではない。殴る蹴る引っ掻く罵る、ひと通りはやり合ってきた。だからあれしきのことで、罪悪感なんて感じない。

 本当にそうか。と、またしても自問が首をもたげる。だったらどうして、りちゃこにさっさと謝らないんだ。あの日の帰りでも、ラインでもなんでも、謝るチャンスはいくらでもあっただろうに。

 思えばあのときりちゃこは、冗談で済まそうとしてくれていた。いきなりわけもわからず蹴られておきながら、便秘でイライラしてるからとか、れおも一発やろうぜとか、言ってることは下品で最低だけども、笑って受け流そうとしてくれていた。

 笑えないんだよ! と怒鳴った自分の声と共に、恥ずかしさがこみ上げてくる。どっちが! と言い返してきたりちゃこは完全に正しい。なのに歯止めがきかず、言ってはいけなことを口走ってしまった。ボンレスハム太郎だけは口にしてはいけないと、肝に銘じていたはずなのに。

 だけどりちゃこだって、言ってはならないことを言ったではないか。

 母親の葬儀でふざけて踊ってたこと。まあ、確かに触れてほしくない話題だし許せないけども、とりあえず事実だからそれはさておき、よりにもよってあんなことを。

 私がのんのことを好きだなんて。よくもまあ、本人の前でそんなたわけたことを。

 お尻を揉んでいた手が、トトトン、トトトンとリズムを刻む。感触から察するに、指を立ててウェーブさせているらしい。私が無抵抗だから余裕が出てきたのか、明らかに楽しんでやがる。怖い怖いと思っていたけど、だんだん腹が立ってきた。人の尻を鍵盤扱いしやがって。

 もし痴漢されているのがのんだったら、私はとっくに犯人を蹴り飛ばしていただろう。この人ですと駅員に突き出すだけじゃ足りない。ロープで亀甲縛りにしてつり革に吊るしてサンドバッグにしてやる。

 どうしてのんのことだとそんな過激になるのか。りちゃこがのんを襲っていたときもそうだ。見た瞬間にカッとなって、あの時点ですでに理性が飛んでいた。

 だって、のんは大切な親友だから。

 そのとおりだ。一理ある。説得力もあるし、答案にそう書けば丸をもらえる。どこに出しても恥ずかしくない答えだ。

 私がのんのことを好き? 恋愛的な意味で? ありえないから。バツバツバツバツ、大バツだ。一から勉強して出直してこい。

 たしかに私はのんのケツが好きだ。女同士だからと開き直って、さんざんもてあそびまくってきた。この卑劣な痴漢のように。

 それどころか、ビッグバンアタックという悪ふざけの対象にもした。あれ以来、のんにはアタックできてないし、挨拶代わりの尻叩きすらできてないけど。

 それって、意識してるからなんじゃ――

 空欄に書き込みかけた回答を、消しゴムでゴシゴシと削り飛ばす。途中計算からして間違っている。そんなんじゃ部分点すらあげられない。

 のん=親友。美しい定理じゃないか。いまさら証明するまでもない。

 だいたい、私がのんのことを好きだとしたら、自分で打ち立てたルールを破ることになってしまう。レズパコ禁止。個人的な恋愛感情の持ち込み禁止。アリダとスドウを仲裁した手前、私自身が同じ轍を踏むわけにはいかない。とっくに踏み抜いているとしても。

 そもそものんにあんなことをすべきではなかった。ビッグバンアタックってなんだよ。ただの強姦じゃないか。のんの機転で笑いが取れたけど、あのとき助け舟もなく続けていたら、たとえばのんが嫌がっていたら、私はただのトチ狂った変態じゃないか。

 もしかしたらのんは嫌だったのかもしれない。笑って流してくれたけど、私との友情を壊さないよう気を使ってくれたのかもしれない。同性の友人とはいえ、いきなりお尻を触られるなんて嫌に決まっている。なにが挨拶だ。なにがビッグバンアタックだ。こうして被害者の立場になってやっと気づけた。いままで私はなんてことを。

 誰も悪くない。私だ。私が悪いんだ。のん。ごめんね、のん。りちゃこもごめん。全部私のせいだ。ごめんなさい、ごめんなさい、お母さん、こんなバカな娘でごめん。

 お尻をなで回し、軽快にタップしていた指が、とことこと上に登ってきた。まさかまさか、おっぱいまで触る気か。私はぎゅっと腋を締めて身体を硬直させた。しかし手は腰のあたりで登るのをやめ、お腹に回ってきた。私は犯人の手が視界に入ってしまわないよう、顔を上げて正面の窓を見つめた。

 これが罰だと言うなら神様、どうぞ存分に懲らしめてください。だからどうか、のんにしてきた悪行を許してください。また以前のような、くだらないことで笑い合える関係に戻してください。

 前方にまわされた両手が、さすさすとお腹をさする。背中に流した髪に犯人の身体がかすかに触れているのを感じる。ぞわぞわと悪寒が広がってゆく。

 のんと一緒に登校していれば、こんな目には合わなかったのに。のんは無事だろうか。のんに会いたい。あの眠たげな垂れ目と見つめ合って、手を繋いで、抱きしめて、お尻をむちゃくちゃにしてやりたい。

 性懲りもなくそんなことを考えていたせいか、のんの香りの幻が鼻腔をくすぐった。あまやかでミルキーなのんの匂い。

 電車がトンネルに差し掛かった。真っ暗な車窓が鏡になって、背後の様子が映し出される。私の肩越しに覗く黒髪垂れ目の痴漢と目が合う。にやにやと細められた目。トンネルを通過して、光と音が風をつんざく。

「いや、お前かい」

「私だ」

 一気に体の力が抜けた。のんはそんな私を支えるように、お腹に回した両腕をきつく絡めてきた。

「ちゃんとうんこしてきた?」

「うん」

「ちゃんと流した?」

「うん」

「ちゃんと手ぇ洗ってきた?」

「うん」

 気が緩みすぎて雑な返ししかできない。出しすぎて古墳になってるよ、くらい言えないものか。いや、朝から痴漢の恐怖に見舞われて、そんなジョークが言えるほど私の神経もうんこも図太くはない。

「偉いねえ、れお。いい子いい子」

 ふざけたノリでお腹をさすってくる手に、危うくほだされて、涙がちょちょぎれそうになる。誰のせいでさっきまで怯えていたと思っているのだ。緊張と緩和がエグすぎて、笑えるどころか泣けてくる。

「りちゃこも心配してたよ」

「うん」

「ちゃんと謝れるよね、れお?」

「……うん」

 ぐすっと鼻をすすって、私は後方に肘鉄を繰り出した。ぐえっ、とのんが耳元でえずく。電車のアナウンスが次の停車駅を告げる。窓の景色がゆっくりと減速してゆく。やっぱり私がこんなバカを好きであるわけがない。降りたら思いっきりケツをひっぱたいてやろう。それまでせいぜい、私が暴れないようそのまま抱きしめているがいい。

【次回のお話】
#08 ひらいて

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