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桃色パジャマ水色パジャマ【レズパコ#16】

【前回のお話】
#15 このケダモノが

 先にシャワー浴びてきてと言われ、ついにそのときがきたかと身構えた。寮のユニットバスはシャンプー中に壁に肘をぶつけてしまうほど狭く、当然ながら脱衣所なんてない。フェイスタオルで体を拭き、トイレのふたに置いておいた下着を身につけ、開けたドアを目隠しにして顔だけ覗かせた。アニメを見ていたのんが振り向いてたずねる。

「パジャマ持ってきた?」

「ううん」

 持ってきたのは翌日の着替えだけだし、そもそもパジャマを着るという習慣がない。

「そんなこともあろうかと」

 ドア越しに手渡されたのは、とろとろとすべり落ちていきそうな生地の、パステルピンクの半袖半ズボンパジャマだった。やたらと肌触りが良く、袖を通すとこれから行われることへの期待と不安がいっそう高まってゆく。

 交代で風呂に入ったのんを、ドライヤーで髪を乾かしながら待つ。折りたたみのワイヤーネットの洗濯かごに投げ入れられた衣類を横目に見やり、ふんすと鼻を鳴らす。ファイアスティックの接続されたテレビには、この機会に履修してもらわなきゃねと勧められたジョジョの奇妙な冒険が流れている。ディオがなにか叫びながら仮面を被って射殺されたが、ドライヤーの音にかき消されてなにも聞こえなかった。

 浴室のドアが開く。裸ののんが立っているかもしれないと思うと振り向けず、アニメに集中しているふりをする。

「うりぃぃぃ~」

 ドライヤーをかけ終わったのを見計らって、背後からのんが肩越しに顔を出した。驚いて振り向くと、残念ながら服を着ていた。おそろいだけど色違いのパステルブルーのパジャマだ。ドライヤーを手渡すと、隣りに座って髪を乾かし始めた。

 テレビで繰り広げられる凄惨なシーンより、視界の隅の湯上がり肌にドキドキしている。同じシャンプー、リンス、ボディーソープを使ったはずなのに、部屋に充満してゆく匂いは甘ったるい熱をはらんでいる。

 夕食にのんがパスタを茹でてくれたときの、ごきげんな鼻歌が脳内でリフレインされてる。

「ふんふんふーん、ふふふんふふん、おいしいパスタ作った私、家庭的な女がタイプのれお、ひとめぼれ~♪」

 なんだその替え歌は、と笑って受け流したけど、思い返せばたしかに私はのんにひとめぼれだったのかもしれない。

 教室でひとりつまらなそうにしているのんが、気になって仕方がなかった。友だちになりたい、とは明らかに別の衝動が、私を突き動かした。のんは出会ったころから変わらず甘くミルキーな匂いがしていて、それが私をたまらなく引き寄せ、飛びついてがぶりと噛みつきたい気持ちにさせるのだ。

 ひとめぼれというのは単なる性欲だと聞いたことがある。つまり私は最初から、のんといかがわしいことがしたくて近づいたのか。

「今日は早起きしたからくたくたじゃよ。それに明日から仕事だし。ふわぁーあ」

 だから早くベッドに入ろうと言外に誘うのんを責められない。そもそも私はこの部屋に来たときから、いや、あの雨の日からずっとそのことで頭がいっぱいなのだ。

 夜十一時に消灯し、シングルベッドに並んで横になった。先に入ったのんが壁側、私はベッドから落ちそうなぎりぎりに陣取る。それでも布団の中に相手の体温を感じる。身動きしなくても鼓動でベッドが揺れている。

 ここまで紳士的な態度を貫いてきたのんも、さすがに手を出してくるだろう。まさかなにもせず眠ってしまうということはあるまい。どうやって切り出すか、いまごろ必死に考えているに違いない。

 互いになにも話さぬまま、時だけが過ぎてゆく。時々のんが身じろぎするたびに、びくんと反応してしまう。ベッドを通してダイレクトにその振動が伝わっていることを思うと、もはや息をすることさえ恥ずかしい。

 閉じていた目を開くと、すっかり暗闇にも慣れていた。ぶら下がっている電気紐までよく見える。耳を澄ますと、のんの息遣いが聞こえてくる。まるで眠ってしまったみたいに安らかで規則正しい。

「のん?」

 思わず声をかけてしまった。

「もう寝た?」

 返事がない。寝たふりをしているのだろうか。彼女の演技力を考えれば、ありえない話ではない。だけどこういう場合のんなら、わざとらしく「ぐー」とか「すぴー」とか言ってみたり、寝てるよーと返事をしそうなものだ。まさか本当に寝たのか。

 寝返りを打って身体を横に向ける。のんは目を閉じてすうすう寝息を立てている。

「こ……こいつ……死んでいる……!」

 さっき見終わったジョジョ第一部のラストのセリフを口にしてみる。首だけのディオを抱きしめて息絶えるジョナサンの感動的なシーンだ。かなり迫真だったにも関わらず、のんの口角はぴくりとも上がらない。こいつマジで寝てやがる。

 通学前から早起きして準備していたらしいし、終業式でも船を漕いでいたし、ジョジョを見ているときもぼんやりしていた。だとしても、どうしてこんな状況で眠れるんだろう。だったらどうして、だらだらアニメなんか見てたんだ。シャワー後にさっさとベッドインしていれば、いまごろあんなことやこんなことをしていたはずなのに。

 未練がましく手を伸ばしかけて、止める。

 向こうから手を出してくれたなら、私はなんだかんだ言いつつ受け入れただろう。だけどこちらから手を出すことはできない。のんの告白を保留にしておきながら、そんなことできるはずもない。

 暗闇に浮かぶ横顔は、あの岩屋戸で私に覆いかぶさってきたときと同じく、うっすらと光って見える。伏せられた長いまつげ、すっと通った鼻すじ、つんと小さな唇。かわいいというより、かっこいい。

 またドキドキしてきて、ベッドが脈に合わせて揺れる。ほんの少し顔を近づけてみただけで、匂いがよりいっそう強くなる。

 タオルケットをかぶった胸の膨らみが静かに上下している。ごくりとつばを飲む音が闇に響く。それで起こしてしまってもおかしくないくらい、私には爆音に聞こえた。

 手を繋ぐくらいは許されるだろうか。友達としてのスキンシップの範疇だし、いつもやっていることだ。

 おずおずと伸ばした指先が、のんの腕に軽く触れる。ひんやりとなめらかなその感触に、ぶわっと心が騒ぎ立つ。いけない。このまま手なんか繋いだら、きっと鼓動でベッドが爆発してしまう。

 すー、はー、と波紋を練るように息を潜めつつ、手をもとの位置に戻す。切なくて、もどかしくて、もうどうにかなってしまいそうだ。のんをいますぐ抱きしめて、めちゃくちゃに唇を吸ってしまいたい。

 おそらくのんは私のことを大切にしようとしてくれている。今日だってたくさんもてなしてくれた。真剣に付き合おうと考えているからこそ、ちゃんと返事がもらえるまでそういうことはしないと決めているのだろう。だとしたら、これが夏休みのあいだもずっと続くのだろうか。そんなの生殺しだ。

 ならばさっさとオーケーして、付き合ってしまえばいい。なんて、まるでそういうことがしたいだけの打算的でクズな発想に心底自分が嫌になる。

 自分に自信がないから、自分のことが嫌いだから、のんに好きだと言えないのかもしれない。こんな私は愛される資格がないのだと、心が無意識にブレーキを掛けている。

 枕に広がる黒髪に、そっと鼻を擦り寄せる。ベッドを軋ませないよう慎重に、両手で自分自身をまさぐる。肌触りのよいパジャマの生地を、ゆっくりと指先でなぞる。

 うーんとうなりながら、急にのんが寝返りを打つ。私はビクッと動きを止め、彼女の体勢が安定するのを待った。横でごそごそしてるのがバレたのだろうか、と思ったが、すぐにまた寝息が聞こえ始めた。

 健やかで涼し気な水色の背中に、さらに寂しさがつのる。まるで拒絶されたみたいに胸が締め付けられる。暗い真夜中の海の向こうに、ガラスの浮き球が遠のいてゆく。

 わっ、とのんの背中にすがりついて、うなじに顔をうずめた。胸もお腹も太ももも、ぴったりと隙間なくくっつける。なにをしているんだこのバカ、とツッコむ余裕もなく、のんの匂いで肺を満たし、全身でぬくもりを感じる。そしてあろうことか私は、さかった獣のように腰を振り始めた。

 のん、のん、のんのんのん!

 好き、好き、好き好き好き好き!

 心の中でならいくらでも言える気持ちを、股間に集約してぶつける。

 ばか、ばか、ばかっ!

 いったい誰に対してのバカなのか、考えるまでもないのに私は、バカだからのんを恨んだ。こんな気持になるくらいなら、ずっと友達のままでよかったのに。

「こらこら」

 ささやき声で静止され、私はようやく動きを止めた。のんが窮屈そうに寝返りを打ち、こちらに顔を向ける。怒ってはいなかった。それどころか、泣き出しそうな私の顔を見て、ふふっと静かに笑った。

「まったく、これだかられおは」

 吐息混じりにつぶやき、すっとハンカチでも差し出すように唇を重ねてきた。あまりにも自然な口づけに、私はあっけなく身を委ねた。衝動も抵抗も鳴りを潜めて、ふわふわと穏やかな波に揺りさらわれた。

 寮の薄い壁の向こうで、誰かがキュッと蛇口をひねる。打ち寄せるのんの指先が、私の乾いた砂浜をしっとりと黒く濡らしていった。

【次回のお話】
もちろん続く。

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