それとゆわなびぃ【レズパコ#09】
ぽつぽつと小雨が降ってはいるものの、道の駅のマルシェは大盛況だ。テラス広場には簡易テントが軒を連ね、たこ焼きや天ぷらのおいしそうな匂いを裏口まで運んでいる。
オーシャンビューの正面とは対照的に、裏側は絶壁だ。ほぼ垂直の斜面はワッフル状のコンクリートで舗装され、道の駅の屋根を超えたあたりから鬱蒼と緑に覆われている。日が当たらない代わりに風も届かない、駐車場から搬入口に通じるこの薄暗い谷間に、私とのんは座っていた。
休日なのにふたりとも半袖ハーフパンツの体操着姿で、ひっくり返したビールケースに段ボールを敷いて腰かけ、せっせと玉ねぎの皮を剥いている。軒下なので雨はしのげるが、さすがに蒸し暑い。薄手の青いゴム手袋が、溜まった手汗でたぷついている。
スタッフはほとんどマルシェの実演販売に駆り出されているし、店内レストランも売り場もいつも以上に忙しいから、人手が足りない。だからこうして裏作業を手伝っているのんを、私も手伝っているというわけだ。
「そろそろ休憩しない?」
言うやいなやのんはゴム手袋を外して、ゴミ捨て用のバケツに放り投げた。粉々になった薄皮が少しだけ舞う。
「ほら、見てよこれ、指ふやけてる」
ふにゃふにゃと茹ですぎた落花生のようになった指先を見せびらかす。私もゴム手を外して自分の指を確認した。マニキュアも塗ってない裸の爪を、白くふやけた甘皮が縁取っている。
「うわあ、ざらざら」
不意にのんが手のひらを重ねてきた。膨らんだ指紋の溝をこすり合わせる。ひんやりとぬるく、ちょっとぬめっている。
「長風呂するとたまになるよね」
私が意識しすぎなのかもしれないが、今朝からずっとこの調子だ。出迎えの尻叩きから始まり、道中も手を繋いだり腕を組んだり、道の駅についてからもやたらとスキンシップを求めてくる。
どうして今日に限ってこんなに触ってくるのか。悶々と疑問が渦巻いているのに、自意識過剰な感じがするから訊けない。ちょっとテンションが高いだけかもしれないし、これくらい普通だったような気もするし。
「アクエリアスでいい?」
のんが立ち上がり、搬入口のスチールラックに積まれた段ボールを開封して、ペットボトルを抜き取った。
「お店のやつでしょ」
「そう。あとでママに報告して立て替えてもらうから、一本だけね」
私に確認を取ったくせに、のんはフタを開けると一気に半分ほど飲んだ。そのままこちらに差し出す。私は黙って受け取り、残りを飲み干した。べつに間接キス程度でどぎまぎしたりしない。
りちゃこに言われたとおり、私はなにか思い違いをしているのだろう。昨夜ためしにのんをおかずにしようとしてみたけど、うまくいかなかった。罪悪感やらなにやらで妄想にブレーキが掛かって、最後までいけなかった。いたずらに指先がふやけただけだ。
「よいしょっと」
「ちょっ、のんっ」
尻をこちらに向けて膝に座ろうとしてきたので、さすがにツッコんだ。脳裏をよぎった背面座位という言葉を打ち消す。
「重いってば」
私の身体を背もたれにして、遠慮なく体重をかけてくる。座ってたビールケースがずれて地面を滑る。踏ん張ろうとした足がバケツをひっくり返し、玉ねぎの薄皮が宙を舞った。なんとか転ばずには済んだが、汗ばんだ私たちの足は皮くずまみれになった。
「あーもう」
私はスニーカーと靴下を脱ぐと、軒下ぎわに裸足で立って、ぱんぱんと黒板消しを打ち合わせるように薄皮のくずを払った。のんもそれにならう。こまかな雨粒が案外肌に心地良い。だけど足にまとわりついた薄皮を洗い流すにはぜんぜん足りない。
「ホースあるよ」
シャワーヘッドのついた巻取りホースを伸ばして、蛇口をひねる。
「うわあっ」
ストレートに設定されていた水が、勢いよく腰に突き刺さってきた。のんが慌ててヘッドのダイヤルを回すと、今度は霧が噴射された。私は両足に玉ねぎの薄皮を貼りつけたままずぶ濡れになった。
「あはは、ごめんごめん、わざとわざと」
握っていたレバーを離して水を止め、悪びれもせず言いながらダイヤルを調節する。私はのんに飛びかかってホースを奪うと、濡れた銃口を突きつけた。
「なにか言い残すことは?」
のんがハンズアップして不敵に笑う。
「愛してくれてありがとう」
思わぬ返しに一瞬ひるんだが、にやりと細められた垂れ目を見れば、ただの冗談だとわかった。あの海賊漫画のあのシーンだな。私はほほえみ返して、容赦なく引き金を引いた。せめてもの情けで顔から上は濡れないように配慮する。きゃあきゃあ逃げ惑うのんを追いかけて、ついでにふくらはぎについた薄皮も洗い流してやる。
やっぱりこうして、ふざけて笑っているのがいちばん楽しい。愛だの恋だのレズだのパコだの、んなこといちいち考えたくない。
「ねえ、れお。夏休みになったらうちで一緒に働かない?」
自分で足の薄皮を洗い流していると、のんが水たまりに飛び込んできた。
「社員寮が空いてるから、そこに住み込みでさ。もちろん寮費はタダ。出勤日は弁当も出るから食費もゼロだよ」
「いいねー」
「でしょー。寮にはユニットバスだけどお風呂もあるし、エアコンも付いてるから夏でも快適。光熱費も会社負担」
「サイコーじゃん」
「時給は要相談だけど、1200円は確実だね。ふたりで二週間くらい働いてお金貯めて、夏休みの最後には旅行いっちゃおう」
「お、おお、すごーい」
冗談かと思って適当に相槌を打っていたが、やけに具体的なのでたじろいだ。
「もしかして、ガチで言ってる?」
「うん。ママからおじいちゃんに話通してもらうから。社員寮は本当は旅館のほうの派遣さんとか外国人パートナー用なんだけど、中学のとき私しばらく使わせてもらってたから、今回も頼めばなんとかなるはず」
「いやいやそんな、悪いよさすがに。もしここでバイトするにしても、ぜんぜんうちから通える距離だし」
「まあ、寮は私名義で借りるから、れおは好きなときに帰ってもいいけど」
「のんこそ自宅から通えばいいじゃん」
「そーね、たしかに」
コンクリートの水たまりを、足の指でぴちゃぴちゃ鳴らす。濡れた体操着にミントグリーンのブラが透けてる。
「けどさ、そっちのほうが楽しいよきっと。れおもそう思わない?」
「思う。絶対楽しい」
「じゃあ決まり」
のんがホースを奪い取り、空に向けて水を放つ。私はシャワーの放物線を目で追い、ふたりで過ごす夢のような夏休みを思い浮かべて、なんだかちょっと泣きたくなった。そんな楽しくて幸せなこと、簡単に実現するわけがない。実現したってきっと破綻する。
ふと隣を見ると、のんは小便小僧みたいに股間からシャワーを放水していた。センチメンタルな気分が一気に吹き飛ぶ。
玉ねぎはまだまだ残っている。剥いたら袋詰めもして値札も貼らなきゃいけない。この天気じゃ体操服も乾かないだろう。着替えは持ってきてるけど下着はない。
まあ、いっか。どうせなら全力で後悔しよう。
私は軒下から飛び出すと、両手を広げてシャワーを浴びた。谷間から見上げる空は薄曇りで、夏はまだ近くて遠い。
のんがホースを伸ばしながら駆け寄ってきて、ダイヤルを回す。
「なにか言い残すことは?」
私はニッと笑い、銃口を向けるのんの右手を取って高々と掲げた。
「道の駅王に、おれはなる!」
「うぃーあー」
気の抜けた声を合図に、頭上に霧の花が咲く。さりげなくのんが左手で尻をなでてきたが、私はやり返しも振り払いもせず、手びさしの隙間に目を細め、雲間に浮かぶちっちゃな虹を見つめていた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?