ひらいて【レズパコ#08】
りちゃこと二人きりでカラオケに来ると、大森靖子ばかり聴かされる。だから私も対抗して、プリキュアおよびプリパラを振り付きで熱唱する。
大人数だと私たちは盛り上げ役に徹してしまうので、本当に歌いたい曲を歌う機会はあまりない。私はリクエストされれば知名度の高い曲だけ惜しみなく披露するけど、りちゃこはZOCすら歌わない。
目を閉じて歌詞も見ず『ひらいて』を歌うりちゃこを眺めながら、私はデンモクに次の曲を入力した。氷が溶けて薄まったジンジャエールの底をすすり、喉を整える。
のんも誘いたかったが、それではりちゃこが思い切り吐き出せない。二人は友達の友達というほど他人行儀ではないし、むしろ仲は良好だが、のんと二人きりでカラオケに来ても、りちゃこはきっとノリのいい流行りの曲しか歌わないだろう。
先日のことを謝ろうとするより先に、りちゃこにカラオケに誘われてしまった。学校でも普通にしゃべってたし、道中も冗談を交わし合ってきたけど、やはりどこかぎこちない。個室に入るとついに話が尽きてしまった。かれこれ小一時間、大森靖子とプリパラの交互浴を繰り返している。
りちゃこが歌い終わり、私はマイクを握って立ち上がった。目を閉じてイントロだけ聴いていると、自分で入力したのにその曲が『トライアングル・スター』なのか『ぷりっとぱ~ふぇくと』なのかわからなくなる。どちらにせよ私は本意気でそれらの曲を歌うと泣いてしまう。
初めてりちゃこの前でプリパラを歌いながら号泣したときは、大爆笑された。だからりちゃこが『呪いは水色』を泣きながら歌ったときは笑い返してやった。
私たちは子供の頃からずっと仲が良かったけど、いちばんの友だちかと聞かれたらお互い首を傾げてしまう。親友というよりは戦友といったほうがしっくりくる。
「この前はごめん」
歌いだそうとしたタイミングで、りちゃこがマイクのスイッチを入れてつぶやいた。私は気が削がれ、むの形に口を開いたままりちゃこを見下ろした。画面ではそらみの三人がオフボーカルで踊っている。『ぷりっとぱ~ふぇくと』ではなく『トライアングル・スター』のほうだったか。
「なんでりちゃこが謝んの」
陽気なメロディーが沈黙をいっそう際立たせる。私はテーブルを回り込み、りちゃこの隣に腰を下ろした。
「こっちこそ、蹴ってごめん」
「べつに、気にしてない」
「あまりにもデカくて立派なケツだったから、なんかムラムラしちゃってさ」
「そっか」
しょうもないことで腹を抱えるゲラのくせに、笑ってほしいときに笑ってくれない。のんなら笑ってくれただろう。あるいは辛辣にツッコんでくるか。いずれにせよ、この深刻さを洗い流してくれたはずだ。
「ボンレスハム太郎のことも、ごめん。あのころはたしかに縛られたチャーシューみたいな体型だったけど、いまやボンキュッボンだもんね。かぶるくんもいまのりちゃこ見たらずるむけくんになるよ」
はあ、と大きなため息がハウリングする。りちゃこはマイクを構えたまま、カラオケの画面を眺めている。ずっと友だち、という歌詞が白々しく通り過ぎてゆく。
のんがいたらな、とまた考える。
りちゃこが大森靖子を歌っていると、たまにものすごく悲しくなる。私がどうしようもないバカに思えてくるから。
「ごめんね、れお」
マイクのスイッチを切り、顔を向こうにそむけたままりちゃこがつぶやいた。音にかき消されて聞こえなかったふりをしていると、膝の上に手が伸びてきた。
「あんなこと、言うんじゃなかった」
アメジストのネイルを施した爪が内ももに刺さる。どかそうとして手を伸ばすと、なにを勘違いしたのか握り返された。
「最低だよ、私」
「もしかして泣いてる?」
顔を覗き込もうとすると、りちゃこはますます顔をそらした。上半身ごとひねって、ソファの背もたれと壁の隙間に胸をめり込ませる。握った手から震えが伝わってくる。
「え? ガチ泣き? 見せて見せて」
りちゃこの膝にまたがって、マイクで肩を小突いた。ぼふぼふと空気の音が響く。『トライアングル・スター』が終わって、採点が始まる。なにも歌ってないのに、三十七点だった。私の冗談につけられた点数だとすれば、わりと健闘したほうだ。
振り返ったりちゃこの潤んだ瞳に、私は思わず笑みを引っ込めかけた。
「ははーん、りちゃこにもようやくプリパラの良さが伝わったみたいだね。それじゃあリクエストにお応えして、次はぷりっとぱ~ふぇくと入れちゃおうかな」
デンモクに逃げようとした私を、りちゃこが抱きしめて引き止める。マイクがテーブルにぶつかって、キーンと部屋中に反響する。
「うちそういうお店じゃないんですけど」
対面で胸に突っ伏すりちゃこのつむじに語りかける。おっパブごっこをするなら逆のほうが適役だろうに。もしカメラで監視されていたら、いかがわしいことをしているようにしか見えないだろう。
遠慮して膝立ちになっているのも癪なので、りちゃこの太ももに腰を下ろした。マイクのスイッチを切ってソファに落とし、手持ちぶさたな両手で髪をツインテにして遊ぶ。小さいころは結んでたから、こっちのほうが見慣れている。
涙とか鼻水とかファンデとか、制服につかないだろうか。画面では旬のアーティストが元気に宣伝をしている。
「まあ、たしかにちょっと、やだなとは思ったけど」
背中にまわされていた腕にぎゅっと力がこもる。いまここにクラスの連中が乱入してきたら、りちゃこは泣いてたことなどおくびにも出さず、対面座位のまま腰を振り始めるだろう。私だってマイクのスイッチを入れて官能的に喘ぎだす。そういう生き物なのだ、ふたりとも。
おあつらえ向きにマットが敷かれた体育倉庫、あの状況下でビッグバンアタックに発展するのもまた不可抗力だ。私と違ってりちゃこは下ネタ大好きだから、笑えないゲスな発言をしてしまうのも仕方がない。
だからといってなにも、のんが相手じゃなくてもよかっただろう。あの場にいた者なら誰でも、たとえばタカナシでもよかったのに。ばれたらスドウとアリダに両ケツを蹴られることになるだろうけども。
相手がのんじゃなかったら、私はあんなに怒らなかった。つまりどういうことかというと、こいつの指摘は図星ということだ。
「私ってレズなのかなあ」
「へ?」
泣き濡らした顔を上げてりちゃこが目を丸くする。初めて火を見た猿のような顔をしていたので、両手で掴んでいた髪をこめかみに添えて、邪馬台国ヘアにしてやった。
「いや、私は違うと思いたいんだけど、なんか最近そんな気がしてきて」
「困るよ急に、そんなこと」
「あんたが言いだしたんでしょ」
「私が? いつ?」
「いまその話ししてたんじゃん」
「ん?」
「え?」
私たちは見つめ合ったまま、処理落ちしたスマホのような緩慢さで演算を開始した。充電しすぎたバッテリーのように、じわじわと身体が熱くなってゆく。
「ああ、なんだ。のんのことか」
先に解答を導き出したのはりちゃこだった。私はまだまだ計算中だ。指を折って数えたり、おはじきを並べてみたり、xとかyを当てはめてみたりしたけれど、まるで理解が追いつかない。さっきからのんのことで謝っているのではなかったのか。
「れおはたしかにのんのこと好きすぎだね」
ふんと鼻を鳴らしてりちゃこがつぶやく。
「いっつもくっついてるし、のんが他の人と話してると割り込んでくるし、のんがいなくてものんの話ばっかりだし」
恥ずかしくて逃げ出したいのに、腰をがっちりとホールドされていて動けない。
「まあ友情と愛情の境界なんて曖昧だからね。れおはアホだから、なんか勘違いしてわかんなくなってるだけだと思う。いつごろから自覚し始めたの?」
「たぶん、最初にのんにビッグバンアタックしたときから」
「それじゃん」
クイズ番組の正解をひらめいたみたいに、りちゃこがぱっと嬉しそうな笑みを浮かべる。
「うっかり成り行きで種付けしちゃったから、こいつは俺の女だって本能が錯覚しちゃったんだよ。れおってそういう野生動物みたいなとこあるじゃん。そのせいだよきっと」
「そうなのかな」
「そうだよ」
うむを言わせぬりちゃこの迫力に、圧倒されてうなずいた。さっきまで泣いていたとは思えない、重機のようなパワーが全身にみなぎっている。ぶるんぶるんと盛大にエンジンを吹かしている。
「あんな女、俺が忘れさせてやるよ」
ねっとりとささやいて、背中に回していた手でお尻をつかむ。私はりちゃこの首に腕を回して、そう来なくてはと微笑んだ。
上下運動が始まった途端、内線電話が鳴り響いた。私は下から突かれながら手を伸ばし、壁にかかっている受話器を取った。
「延長、んっ、お願いしますう、あんっ」
「おらっ、孕め。妊娠しろっ」
かしこまりました、と無機質に通話が切れる。私はマイクを拾い上げて、廊下まで響き渡るよう淫らに喘いだ。りちゃこの下品な笑い声が、ふたりの横隔膜を共鳴させる。
熱暴走した私の頭は、いまだ演算処理を続けていたが、面倒なので強制シャットダウンすることにした。誰も観客のいない中、私たちはお互いを笑わせるために必死で腰を振り続けた。
のんがいればなと、なおも私は考えていた。と同時に、のんがいなくてよかったと、心の底からほっとしていた。
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